2003年に視力を失って目の見えない人となってから、恥ずかし過ぎてベッドの下に潜り込んで隠れたくなるような経験をたくさんしましたが、前向きでいて、単純に笑おうという選択をしてきました。その一つに、一時間かけて親戚の集まりが行われているソルトレークシティ近くの渓谷に行った時のことがあります。やっと到着したわたしには、ある一つのことしか考えられませんでした。お手洗いに行きたくてたまらなかったのです。

キャンプファイアーの火を囲んでいる夫の親族に仲間入りする前に、わたしたちはキャビンへと寄り道しました。お手洗いのドアを開け、閉めて、鍵をかけました。杖を壁に立てかけて、便座に座る準備をしました。いつもどうりの仕草です。しかし、便座に腰掛けようと手探りで便座を探していると、わたしの手は便座のかわりに毛の生えた頭に触れたのです!あわててすぐにズボンを履き直したのは言うまでもないでしょう。

頭の高さからして、それは幼い頭だろうと推測しました。その子の目の前で起きた光景にパニックになったであろう、と。簡単に予想推測できました。

新たな友人を安心させようと「怖かった?」と問いかけると、「うん。」

話しました!その頭は話すことができました!それまでなぜ一声も放たなかったのかはわかりませんが、その声を聞いてわたしは嬉しくなりました。謝罪をしてから、トイレ友達を離れ、信じられない、と頭を横に振りながら、グループまで歩いていきました。グループになっていた親戚たちはわたしが近づいてくる姿を見るなり、どうしたのか尋ねました。

わたしは「カウンセリングのお金はわたしが払うわ。」と言いました。「あのトイレにいた女の子はカウンセリングが必要になると思うから。」

 

笑うことができない経験も。。。

もちろん、中には面白くなかった経験もあります。実際、がんと診断され、唯一視力が残っていたほうの眼球を摘出しなければならないと言われた時は、もう二度と笑うことはないだろうと思いました。

複数に及ぶ手術、入院、そして終わりのないように思えた心と身体の痛みを経て、わたしはすっかり打ちのめされてしまいました。わたしの性格と、生きていく意志は、眼球と共になくなってしまったと思いました。

やがて暗い世界で自分の足元が見え、人生は生きる価値があり、楽しむ価値もあると気づくまで1年半以上かかりました。

 

癒しのプロセス

この癒しのプロセスにおいて助けとなったのが、笑うことでした。わたしの目が見えないことについてはじめて笑うことができた時のことを今でも覚えています。教会で、ある女性がわたしが子供にもう手話を教えたのか聞いてきました。わたしが真面目な顔で教えていない、なぜそんなことを聞くのか、と言うと、「子供と話せるようによ。」と言われました。笑ってしまいました!

現世における試練に見舞われるとき、わたしたちは深い失望、怒り、恐怖、悲しみ、痛みを経験します。困難なことをいつでも笑って乗り越えられるわけではありませんが、ささいなことにユーモアを見いだすことができると、わたしたちの問題も忍耐しやすくなります。笑うことは、わたしたちが感情に縛られ、麻痺してしまうのを防ぎ、必要な見解を与えてくれます。また、キリストに心を向ける手助けをしてくれます。人生が耐えられないくらい厳しく感じる時でさえも主はわたしたちに幸せになってほしいと思っておられることを学ぶのです。

視力を失った当初、とてつもなく光が恋しくなりました。たくさんのものを見せてくれる太陽の輝きが恋しかったのです。しかし、わたしにはまだわたしを温め、励まし、導いてくれる、御子の光があるということを学びました。わたしの仕事は、その光を感じられる位置にいることです。かつては太陽にむかっていたのと同じ要領で、御子のほうを向く必要があります。感情の中に埋もれていると、必要な光を受けることができません。わたしたちは、笑うことができれば、感情の麻痺から解放され、御子の光からくる強さを見いだすことができます。

盲目でいることには慣れましたが、それでもたまに目が見えたらいいのに、と思うことがあります。「こんなのばかげてるわ!ただ見たいだけなのに!」と思う日もあります。感情を整理して、救い主の方を向き、自分に与えられた人生を生きようとするにつれて、わたしは前進することができます。いいえ、それは容易ではありません。でも笑いのネタが徐々に増していくことは確かです。

上手くいかない時にユーモアを見いだすことで、自分の快適な領域である自宅から出て他の人に自分の物語と証をわかちあうことができました。目が不自由でよく知らない環境に入り込むのは挑戦ですが、笑うことで遠慮や時によっては恐怖心を乗り越えることができます。

 

義眼のハプニング

ある日、わたしはたくさん笑いました。飛行機は朝の7時に離陸する予定だったので友人のヒラリーとわたしは朝6時までにソルトレイクシティ空港に着けるように、ユタ州リーハイにある自宅を出発しました。オハイオ州ピッツバーグで開催されるTime Out for Women(女性の休憩)という女性のための大きな集会に参加する予定で、わたしは忘れ物のないように注意していました。荷物もまとめ、準備万端のわたしをヒラリーと彼女の夫のティムが迎えに来ました。ティムはわたしたちを空港まで送ってくれ、チェックインの時まで特に何の問題もありませんでした。

ヒラリーは軽くわたしに「クリス、目に何かした?」と言いました。「ちょっと痩せたんじゃない?」とか「髪型変えた?なんか印象が違うから。」というような言い方でした。わたしが義眼を触ろうとすると、なんとも恐ろしいことに、目がありませんでした。

右の義眼はシリコン製で、目のくぼみを覆う皮膚に付着しています。がんを患ったときの眼球の摘出の仕方のせいで、わたしには普通の義眼をつけることはできません。この接眼義眼の場合、シリコン部分から眼球部分を取り外し、必要であれば予備のものと取り替えることができます。わたしは間違って、非常に重要である眼球の入っていない方の義眼を持ってきてしまったのです。

大笑いしました。どうしようかしら?目玉のないまま国の反対側まで行ってピッツバーグで何千人もの女性に話をするなんてできませんでした。視覚教材にも限界があります。幸運なことに、頭がよく働いたのである計画を提案しました。

ヒラリーが彼女の夫のティムに電話をし、「あのね、ハニー、クリスが目玉を忘れてきちゃったのよ。取りに行ってくれる?」と言っているうしろで、わたしは大笑いが止まらず、ヒラリーも笑い始めました。

わたしは夫のジェームズに電話をかけ、彼を起こし、なんとか笑いの合間に、わたしの義眼を持って、中間地点でティムと合流してくれないかお願いしました。ティムがジェームズから義眼を受け取り、急いで空港にいるわたしたちの元に届けることになりました。飛行機が離陸するまでに間に合えば、ですが。

次に、ヒラリーとわたしはセキュリティーチェックの場所に着き、ヒラリーは警備員に彼女がわたしを出発ゲートまで送った後、また戻って来なければいけない折を説明しようとしていました。「あのー、友人は目が見えないんですが、彼女は眼球を家に忘れてきてしまって、主人が持ってきてくれるので入り口の方で彼に会わなくちゃ行けなくて。戻ってくる時はもう一度セキュリティーチェックをはじめからしないといけませんかね?」

わたしは目の見えない人、というアピールを頑張ってしました。そんなに努力は必要なかったと思います。結局のところ、わたしの顔にはプラスチックでできた偽物の物体が目のくぼみにくっついていたんですから。警備員はきっと、目の構造を全て見たと思ったことでしょう。彼は動揺する様子もなく、威厳を持ってヒラリーに彼女が何をしたら良いのか説明しました。そしてわたしたちは出発ゲートへと向かいました。

これ以上恥ずかしい説明をするのは嫌だったので、ゲートに着くと、わたしは同じ集会での他の話者たちと一緒に座り、ヒラリーがゲートの職員に説明をしました。彼女はあの「盲目の友人が目玉を家に忘れてきた」話の説明をもう一度しました。ヒラリーは航空会社に彼女が戻ってくるまで離陸しないでくれと頼み、わたしの義眼引き渡しリレーの最後のひとっ走りに向かいました。

それからすぐにわたしたちの登場予定のフライトが呼ばれ、友人のメアリーエレンとわたしは、わたしの荷物とヒラリーの荷物をゲートへ運ぼうとしました。そして問題は起こったのです。

「すみませんが、」航空会社の職員は言いました。「そんなに多くの荷物を持っての搭乗はできません。」

そして、向こうの方からヒラリーが説明をしていた職員が大声で言いました。「大丈夫よ。その人が目玉のない人だから。」

座席に座ると、不安でなりませんでした。心配しないようにしましたが、ジェームズとティムがハイウェイでお互いの反対車線を走りながらまるでフットボールをパスするかのようにわたしの義眼を投げ渡す姿が想像できました。(あとから知りましたが、ジェームズは義眼を何の入れ物にも入れず、裸のままで「これ、丈夫だから!」と言ってティムの手に渡したそうです。なんてかわいそうなティム。)

彼らがどこで落ち合ったとしても、ヒラリーが飛行機の離陸に間に合うように、義眼の受け渡しが上手くいくよう祈りました。そして、彼女はやがて到着しました。義眼リレーは無事に成功したのです。

わたしの恥ずかしい瞬間がこれで終わりだというなら、もちろん大変すばらしいことですが、わたしにはこれからもたくさんそのようなことが起こるとわかっています。人生では様々なことが投げかかってきますが、それらを笑い飛ばせる方法を見出せば、それらを喜びを感じながら乗り越えることができます。わたしたちの困難や感情に、わたしたちよりも権力を持たせる必要はありません。そして、試練の中でユーモアを見つけることによって、御子の光に顔を向けることができます。

ビデオはlds.orgより

 

この記事はもともと Kris Belcherによって書かれ、ldsliving.comに“What My Prostheric Eye Taught Me About the Savior: Suprisingly Funny Insights from a Blind Mormon”の題名で投稿されました。

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