わたしの好きな話の一つは、デビッド・A・ベドナー長老が2016年6月のLDSチャーチニュース(英語)で話した話です。神様がわたしたちを「1人ずつ」愛しておられることを証されました。

チャーチニュースより

5月のある日、デビッド・A・ベドナー長老と地元の教会指導者がスペインのラス・パルマス・デ・グラン・カナリアを歩いていると、1人の男性が近づいてきました。

「あなたは教会の人ですか?」と彼は訪ねました。彼は一行に自分は末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン書があるので誤ってモルモン教と呼ばれる)の会員だったが、25年ほど教会を休んでいると言いました。十二使徒のベドナー長老はその男性を見つめて言いました。「戻ってくる時ですよ。」

その瞬間をスペイン・マドリード伝道部のケビン・B・パック会長は決して忘れないでしょう。

「ベドナー長老はその男性に自己紹介をし、自分の愛を伝え、家族と今、戻って来るように招きました」とパック会長は言いました。「このとても繊細な瞬間に立ち会い、救い主の御名の特別な証人が主の羊の1人を教え導くのを見るのは感動的な経験でした。」

「1人ずつ」の原則

最近、わたしはベドナー長老の最新の著書「One by One」(英語)を読んでいます。そこには長老がスペインでその日に示したまさにその原則について証しています。救い主と主の僕がどのように「1人ずつ」を愛するか。本の中でベドナー長老は次のように述べています。

十二使徒定員会の会員としての奉仕の間にわたしが学んだ重要な教訓について、分かち合ってほしいとわたしはよく言われます。わたしは世界中の忠実な教会の会員と会い、奉仕をし、学ぶという祝福を受けているので、学んだ教訓はたくさんあり、多岐にわたっています。しかし年月を重ねるにつれて「1人ずつ」という原則と霊的な規範はわたしを祝福し、わたしの務めに力強い方法で影響を与えました。

「1人ずつ」はベドナー長老やキリストの特別な証人としての使徒たちが体現していることです。2016年のチャーチニュースの記事でパック会長は次のように述べました。「(ベドナー長老)が言ったことというよりも、長老が実際に行った姿を見たのは衝撃的でした。どこに行っても、長老は「1人ずつ」教え導く機会を探していました。その1人にはワードを導く責任の重さを感じているビショップや、神から自分は本当に召されたのかを知りたい宣教師だったり、ラス・パルマスの通りで出会ったお休みしていた会員や、信じるために何をする必要があるか知りたい教会の会員ではない人・・・たちがいました。これらの人々にとって長老の訪問は主の愛の象徴でした。主は彼らのことを御存じで、彼らの状況に気づいておられ、人々が主のもとに来るならば主はそこにおられるのです。

教会の会員として、わたしたちは自分の召しの責任についてどれほど頻繁に思いを馳せているでしょうか。教会の会員としてわたしたちは周りの人々を見て、どのように元気づけることができるか、愛することができるかについて時間をとって考えるのを忘れていないでしょうか。天の御父はわたしたち1人ずつに呼びかけておられます。わたしたち1人ずつの祈りに耳を傾けられ、1人ずつを愛されます。それでわたしは兄弟姉妹に対して同じようにするのは大切だと思います。

ベドナー長老は次のように述べています:

(わたしは)主はわたしたち一人ひとりを御存じであるということを厳粛に確かに証します。主はわたしたちの名前を知っておられます。わたしたちの心配も知っておられます。主はわたしたちの不安を御存じです。わたしたちの将来性や可能性を御存じです。

この末日の神権時代に、永遠の父なる神が最初の示現で少年に対して発せられた最初の言葉が「ジョセフ」だったのは意義深いことです。御父と御子イエス・キリストはジョセフ・スミスを個人的に知っておられました。救い主に仕えるためのどのような召しでも、それは1人ずつの原則について学ぶことへの招きなのです。なぜなら主は常にそのように御業を進められるからです。

 

この記事はもともとDanielle B. WagnerがLDSLivingに”What Happened After anInactive Mormon Asked Elder Bednar If He Was LDS“という題名で投稿したものです。
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