「聖会」という言葉は、旧約聖書に由来し、過越の祭りや仮庵の祭りのような神聖な機会に、イスラエルの人々が集まった特別な集会を指しています。また、ソロモン王の時代にエルサレムで最初の神殿が奉献された時も、聖会の中で行われました。

このように聖会は、神聖な瞬間や神殿での礼拝、そして主に対する人々の一致した献身と深く結びついています。

末日聖徒イエス・キリスト教会では、この神聖な集会が回復され、現在でも礼拝や特別な行事の中で大切な役割を果たしています。

今日の聖会とは?

教会の公式な定義によると、次のように説明されています。

「聖会とは、さまざまな神聖な目的のために行われる特別で神聖な集会です。参加する末日聖徒は、高い霊性を持ってこの集会に臨むことが求められます。これまでの聖会には、教会の新しい大管長の支持、神殿や重要な建物(カンファレンスセンターなど)の奉献、新しい聖典の紹介、神権指導者への教え、その他の特別な集まりが含まれます。」訳:信仰プラス

つまり、これは普段の集会とは違います。聖会は、重要な霊的節目を記す、神聖で1つにまとまった特別な時間に参加する機会です。

この集会の特徴の1つは、主によって定められた秩序です。聖会では、神権定員会が順序立てて支持を表します。最初に大管長会が行い、その後ほかの定員会が続き、最後に全ての会員が一緒に立って支持を表します。

手を挙げて支持することは、預言者が持つ神様から与えられた権威を認めるだけでなく、その導きを個人的に、そして神聖な思いで従うという決意を表すことでもあります。

聖会はいつ行われるのですか?

聖会は頻繁に行われるものではありませんが、教会にとって重要な時に行われます。たとえば次のような場合です。

  • 神殿の奉献
    古代と同じように、現代の神殿も聖会の中で奉献されます。これは、神様の民が祈りと礼拝において一つとなり、地上にある神様の家をささげる神聖な時間です。
  • 新しい預言者の支持
    新しい預言者が召されるときも重要な機会です。総大会の中で、会員は手を挙げて新しい教会の大管長を預言者・聖見者・啓示者として支持します。
  • 神権指導者への特別な教え
    特定の時期に教会を導くため、神権指導者に霊感を受けた教えが与えられる聖会もあります。
  • その他の特別な機会
    歴史を通して、新しい聖典の紹介や、世界的な預言的出来事など、重要な出来事のためにも聖会が行われてきました。

たとえば、2020年4月には、ホサナシャウトを含む世界規模の聖会が行われ、何百万人もの会員がキリストを賛美して1つになりました。

聖会の歴史的な例

聖会の大切さを更に理解するために、いくつかの出来事を見てみましょう。

  • 1836年3月:カートランド神殿の奉献
    近代の教会で最初の聖会が行われ、力強い霊的な現れが伴いました。
  • 2018年3月:ラッセル・M・ネルソン大管長の支持
    世界中の会員が新しい預言者を支持しました。
  • 2020年4月:最初の示現200周年
    総大会の中で、世界規模の聖会が行われ、霊的に一つとなりました。

これらの例から、聖会は頻繁ではないものの、教会において深い意味を持つ霊的な節目であることが分かります。

聖会はなぜ大切なのですか?

1.教会を一つにするから
聖会に参加することで、1人1人が共通の証に加わります。神殿でも、総大会でも、自宅からでも、すべての人が1つの信仰の体の一部となります。

2.神殿と預言者への信仰を新たにするから
この特別な機会は、神殿と預言者という2つの大切な柱を指し示します。神殿では神様との関係を深め、預言者を支持することで神様の導きに従う意志を示します。

3.霊的な備えを促すから
聖会は、ただ手を挙げたり言葉を繰り返したりするだけのものではありません。霊的に備え、御霊と調和するよう招かれているのです。備えができているほど、その経験はより深いものになります。

4.新しい始まりのしるしだから
聖会はそれぞれ、新しい段階を示しています。神殿の奉献、預言者の働きの始まり、あるいは信仰と希望の世界的なメッセージなどです。

まるで主がこう言っているかのようです。
「これは神聖な時である。よく心に留め、忠実でありなさい。」

終わりに

旧約聖書の時代から現在に至るまで、聖会はわたしたちがより大きなもの、すなわちキリストの再臨に備える神様の王国の一部であることを思い出させてくれます。

聖会に参加することは、単に伝統に従うことではありません。信仰を表し、一つとなり、天と地の前で「わたしたちは主に属している」と宣言することなのです。

これらの神聖な時に備える生き方がいつもできるようにしましょう。そして次にその招きが来たとき、神殿であれ、総大会であれ、また別の特別な場であれ、神様の存在を感じ、主への決意を新たにできるよう備えていきましょう。