受けた印象や皆さんに共有したい思いをこちらの記事にしました。
感想を一緒にシェアしているような感覚で読んでみてください。
また、皆さんの総大会の感想も分かち合ってくださると、嬉しいです。
土曜午前の部
タバナクル聖歌隊による音楽
- 信仰もて行け
- 心向ければ
- 我らは天の王に
- 一羽のすずめに主は養いを
- To God Be the Glory

ゲレット・W・ゴング長老
神殿の目的と神殿で受ける霊的な祝福を、どうとらえるかについて話しました。
ゴング長老は、混乱や争い、不安の多い世界の中で、キリストがわたしたちを霊的な安全と平安の場所である神殿に招いていると話しています。
「土台となる神殿の教義を理解することで、わたしたちは主をさらに深く愛し、神殿への理解を深め、個人の神殿文化を育むことができます。」
また神殿はわたしたちが家族と共に神様のもとに戻ることに関係しています。
これまでも何度も聞いたことがある教えですが、自分の家族1人1人を思い出した時に、神殿にもっと参入しよう、家族とも一緒に参入したい、と感じました。
わたしに気づきを与えた教えは、儀式と聖約に大小はない、ということです。大きな神殿でも、小さな神殿でも、イエス・キリストを証し、主の宮であることに変わりありません。
「儀式と聖約に大小はありません。神殿について大きいとか小さいとか、豪華だとか地味だとか、決して言わないようにしましょう。愛と感謝を持って、主の宮で清きを主に捧ぐことだけを常に語りましょう。」
タマラ・W・ルニア姉妹
タマラ姉妹はお話の導入に息子を亡くした経験を分かち合いました。修復できないことがこの世にあるとも話しています。
タマラ姉妹は、経験には価値があると述べています。また彼女はかつて福音は苦しいことから逃れるような、「傘」だと思っていたそうです。しかし、福音があっても、わたしたちは人生で雨に振られるように、苦難を経験します。
タマラ姉妹は、福音は嵐の中で立っているための「岩」だと表現しました。
タマラ姉妹の話を通してわたしが得た印象は、わたしたちは困難を経験し、問題によって苦しむことで、神様を通して「自分」がつくり出されていくということです。
受け入れがたく、立ち直るのに長い時間が必要な経験もありますが、そんな中でも神様とキリストの愛に思いと意識を向けたいと、感じました。
「息子の葬儀で息子の家族に、こんなことが起きた理由は分からないけど、理解できないことと信じないことは別だと言いました。すべてを理解できなくても、神が見守り、愛し、また一人一人のストーリーをご存知だと信じています。」
ジェラルド・コセー長老
中央幹部七十人に召された時、コセ―長老はその召しの慰めと導きを求めて祈ったと話しました。その後、自分が使徒として証することが求められていると分かりました。
使徒としての召しを与えられるような人でも、責任の大きさに不安を感じることがあるのだと思いました。
この不安は私自身も感じることがあります。教会でレッスンをする時やお話の割り当てを受ける時、また教会員ではない友人に教会の事について話す必要がある時に、少し不安を感じます。
しかし、コセ―長老は、「証を分かち合うのは義務であり、特権です」と言っています。
キリストについて証をするのは使徒や預言者ではなく、わたしたち教会員にも求められています。
さらに証をすることが、自分や周りの人を祝福します。
「証には神聖な力があります。聖霊によって確認されるからです。兄弟姉妹の皆さん、皆さんの証が、皆さん自身やほかの人々の人生を変えるということに、気付いているでしょうか。惜しみなく分かち合うとき、証はますます強くなるでしょう。」
コセ―長老は、毎日短い時間でも証を分かち合うように提案しました。
家族、ミニスタリング先の兄弟姉妹や同僚、SNS、また日常で関わる人々との時間でもできます。
この話は、証の大切さはもちろん、自分の証を誰かに分かち合ってみようという気持ちを生み出しました。
バイアンニナ・シカヒマ長老
シカヒマ 長老の祖父母の使徒に会うための姿勢と行動力に胸が打たれました。
トンガは多くの島々から成り立っている国です。
トンガに当時の使徒の1人であるマシュー・カウリ長老が来ることを知ったシカヒマ長老の祖父母は、彼に会うために船で海を渡り、ほかの島へ旅をしました。しかし、過酷な船旅の中で、幼い彼らの息子が亡くなってしまったのです。
目的地までの途中の島に、その息子を埋葬し、使徒に会うために旅を再開したその祖父母は、使徒に会うことの重大さを知っていたのでしょう。
現在、総大会はアメリカにいなくても、自宅でスマホやパソコンでリアルタイムで視聴できます。これは20年くらい前はできなかったことです。
しかし、その便利さが当たり前と思ってはいけないと、シカヒマ長老の話を聞いていて感じました。
「使徒と預言者が地上にいる時代に生きていることは、なんという祝福でしょうか。」
現在、定期的に使徒が日本を訪問しています。これも大きな祝福です。総大会が年2回あり、その時のわたしたちに必要な教えと啓示が与えられていることも、素晴らしい祝福です。
この機会に感謝し、自分の生活や周りの人のために活用するべきだと改めて思いました。

ケビン・J・ハサウェイ長老
一人の姉妹宣教師が帰還直前で父親を亡くした話は、とても胸が痛みました。
彼女のように、正しい行いをしたのにとても辛い経験をすると、なぜこうなるのか、と考えることがあります。
ハサウェイ長老はこれは自分の罪や弱さのためではない、と話しています。逆境はすべての人に与えられ、自分の選択の自由を使ってキリストに心を向ける機会となります。
苦しく壮絶な試練の中で、わたしたちはそれに忍耐する必要があります。ハサウェイ長老は、耐え忍ぶ力は、キリストの恵みによって与えられると言いました。
キリストの恵みは、苦難を取り除くのではなく、強さと力を与えてくれます。
わたしたちは、苦しい中でも聖約を守り希望を持ち、主への信仰を使いながら少しでも状況が改善するように努力することができます。
そして、この言葉から慰めを得られます。
「主は遅れることも、何かに気を取られることも、義務を怠ることもなく、皆さんを忘れておられず、皆さんの苦しみを喜びもされません。しかし、待っている間に学ぶ教訓が、もっと早く助けられたなら得られなかった、改心に繋がる成長ををもたらすことを主はご存知です。」
ウリセス・ソアレス長老
断食は神様への献身を表すことができる生き方、という表現が好きでした。さらに、ソアレス長老は断食を礼拝の一部とし、それが「弟子としての生き方を育み、人を主に近づける」と話しています。
断食を礼拝の一部とするなら、断食をする前には準備が必要だと思いました。自分が何のために断食をするのか目的をはっきりとさせ、日記などに書き出すことは助けになるのではないでしょうか。
また最近感じるのは、断食をする前に睡眠をよく取るなど、体調を整えると、断食をしている時間がただの苦しい空腹の時間ではなく、霊的な時間になるということです。
断食をする時には祈りは欠かせません。キリストが荒れ野で40日間断食をした時も、心から祈りました。この模範は、わたしたちが断食をし祈ることで、霊的な強さに加え、神様の御心と自分の思いを完全に一致させることができる、と感じました。
「主の模範が教えているのは、断食と祈りは人々からすべての思いを取り除くのではなく、天を引き寄せ直面するいかなる状況をも乗り越え、また耐え忍ぶための神聖な力を授け、御父の御心に忠実であり続ける霊的な強さを与えてくれるものだということです。」
また、断食献金は神様への愛と人々への愛の表れであると学びました。ポイントは「おしみなく」断食献金をすることです。
わたしたちは断食と断食献金を通して、自分自身を清め高めることができます。
ショーン・ダグラス長老
ダグラス長老は、宣教師はキリストから神聖な使命を受けていること、そして最も大いなる業を行っていると話しました。
サンチェス兄弟の経験から、多くの人が伝道に出るように促しを受けているのではないか、と考えさせられました。
サンチェス兄弟は23歳でバプテスマを受け、その後教会から離れますが、25歳で教会に戻り伝道に出ました。伝道に出ようとした理由は「ただキリストに近づき、主に従いたいと思った」からだと言っています。
キリストへの思いが強くなり、伝道に出ることを考える人は少なくないでしょう。教会から離れていても、主はそのように感じる機会を与えてくれることがあるんです。
サンチェス兄弟が伝道に出ていなかったら、その後の人生は変わっていたでしょうし、子ども達や彼が伝道後にビショップとして関わった人への影響もなかったと思います。
ダグラス長老はこのようなメッセージを若い世代の兄弟姉妹に伝えています。
「伝道にでることをやることリストの上位に置いてください。価値のないものに振り回されないでください。アミュレクのように『幾度となく呼ばれたが、わたしは聞こうともしなかったからである』と言う人もいるかもしれません。
預言者は主がすべてのふさわしく、能力のある若い男性に伝道に備え、伝道に出るように求めておられることを断言しています。皆さんにとって伝道活動は神権の責任です。
若くて能力がある姉妹の皆さんにとっても伝道は任意のすばらしい特権です。伝道に出ることを主が望んでおられるかどうかを知るために祈ってください。」
近年では夫婦宣教師も増え、若い世代を含むすべての宣教師が、神聖な召しを受けています。彼らは人々が悔い改め、バプテスマを受け、確認を通して神様の元に来るように招くことで、ほかのものとは代えがたい大きな喜びを得る事ができます。
D・トッド・クリストファーソン管長
ギャンブルを軽く考えてはいませんでしたが、クリストファーソン管長の話はギャンブルの本質と、なぜ教会はギャンブルをしないように言っているのかがよく理解できました。
そもそもギャンブルの仕組みは、誰かの損失から利益を得ています。
そして、よく聞くのがギャンブルはみんなが勝つように作られていないということです。
「ギャンブルは努力せずに何かを手に入れたいという願望の上に成り立っていて、誰かの損失から利益を得ます。これを『自分を愛するように隣人を愛する』という戒めと調和させるのは困難です。」
確かに、ギャンブルはキリストの教えから大きく外れています。
スマホの普及によって、ギャンブルが身近になり、ギャンブルをするのが多くの大人にとどまらず、10代の若者にもいるということは、驚きました。11歳の子供もギャンブルをしているのは、ゲーム感覚なのだと思います。
日本ではオンラインカジノは法律で禁止されていますが、クリストファーソン管長 は、合法かどうか、金額の大きさが問題ではないと話しました。
ギャンブルによって自分だけではなく、家族や友人、また周りの人に与える影響について考えるように勧めています。
そして、ギャンブルをしないことで浮いた時間やお金をほかの善いことに使うようにも勧めています。
自分は大丈夫、という感覚が危険をもたらすのは、ギャンブルにも当てはまると思います。ギャンブルから距離を置こうと、改めて決意することができました。
編集後記:
この部会では、試練はなくなることはないが、主がそれを克服する力を与えてくれるというメッセージが印象的でした。主はわたしたちが難しいと感じていることを助けてくれます。それがたとえ不可能と思える什分の一の戒めを守ることであってもです。
また、ギャンブルは誰かが負けたことによって儲けているという視点は、とても分かりやすく感じました。キリストの教えから大きく離れた遊びであるということをよく理解できました。
