背教とキリスト教分裂のいきさつ

キリスト教の信条 は始まりの頃から変わらず同じというわけではありませんでした。イエス・キリストとその十二使徒が組織した、古代の教会の中で広まっていった教義をめぐり、人々は不調和、分裂、混乱を生み出しました。当時、十二使徒はイエス・キリストの福音を純粋なままで教えていましたが、人々によって誤解、偽りの教え、ほかの教えとの融合などが出現し始めました。使徒はその問題を正そうと一生懸命努力しましたが、彼らの死後、純粋な教えは時間が経つにつれて失われていきました。この混乱の中でもキリスト教徒たちは、互いの信条を一致させ、「キリスト教徒が何を信じていた」かについて定義付けしようとしました。

信条からは、古代から現代にわたっての数々のキリスト教会の分裂が分かります。キリスト教のいくつかの教派は信条をその礼拝の中で使い、それを使わない教派もあります。ほかの教派については、ある特定の信条にこだわるかどうかによって、正統派とそうでないものと区別されています。プロテスタントのいくつかの宗派では、信条と似た信仰を、ほかの教派よりも長い文章で表したものを持っています。それは信仰告白と呼ばれます。16世紀のラディカル・リフォーメーション(宗教改革における急進派を指す呼称)から生まれたキリスト教の別の教派は、 信条がなくてもいいと考えています。末日聖徒イエス・キリスト教会には13の信仰箇条があり、教会の教えの核になる原則と信仰を述べています。キリスト諸教派があまりにもたくさんある中で、どの教会に神の教えの完全なものが含まれているのか見分けることは難しいでしょう。

キリストの使徒たちの死後、キリスト教徒の信条は真理の探究をすることでした。このような探求は、末日聖徒イエス・キリスト教会で教えられているイエス・キリストの回復された福音によって終わりを告げます。教義の違いや、自分たちの教会の起源について話すときに、イエス・キリスト教会の現代の預言者や使徒たちは、ほかの宗派の誰をも攻撃しないようにしています。十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老は次のように述べています。

「宗教哲学について厳しいことを述べてきましたが、末日聖徒はそのような信仰を持つ人々を批判しているのではないということを、ここで申し添えておきたいと思います。わたしたちは、宗教界の指導者と信徒の多くは、神を愛し、またそれぞれに最善を尽くして神を理解し、神に仕えている誠実なかたがたであると信じています。わたしたちは、今日に至るまで何世紀にわたって、信仰と研究のともしびを守り続けた人々の恩を受けています。神やイエス・キリストの御名をよく知らない人々の中に存在するかすかな光と比べてみれば、それだけで長い歴史の中におけるキリスト教の教師たちの働きの偉大さがわかります。」(「背教と回復」聖徒の道1995年7月号 p.90) 

1、背教:真の教義が失われる

純粋な教義が混乱し、ついには腐敗する時期のことを、末日聖徒イエス・キリスト教会では「大背教」と呼んでいます。しばらくすると、純粋で、ゆがめられていないイエス・キリストの教えは地上から消え去りました。神の属性と特性についての真実の概念が失われ、イエス・キリストの福音の本質的な原則や儀式もなくなりました。キリストの十二使徒が亡くなると、神権の鍵が失われました。神権の鍵とは、神が人にお与えになった権能のことです。この権能を保持している人は、ほかの人々のために神の御名によって救いに必要な指示と制御と統治をすることができます。その権能が人間の知恵に取って代わられてしまったのです。

古代の教会の教えや教義に関しての混乱は、使徒の亡くなる前から始まっていました。パウロがコリント人にあてて書いていますが、「まず、あなたがたが教会に集まる時、お互いの間に分争があることを、わたしは耳にしており、そしていくぶんか、それを信じている。」(1コリント11:18)ガラテヤ人への手紙で、パウロは「あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使いであろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。」(ガラテヤ1:6−8)

オークス長老はキリスト教の初期の時代に起こったことについて説明しています。

「『不可知の神の奥義』とか『聖三位一体の奥義』などの、聖書にはない言葉遣いで定義されている教えは、ギリシャ哲学が説く概念に源を発しているものです。このような哲学上の概念が、使徒の死に続く5世紀の間にキリスト教を変質させてしまったのです。たとえば当時の哲学者たちは、物質界に属するものは悪であり、神は感情も情念もない霊であると主張していました。信徒としてキリスト教信仰に大きな影響を及ぼすようになった学者たちも含めて、このような教えを奉じていた人々にとって、キリスト教初期の簡潔な教えは受け入れがたいものでした。ご自分は天父の真の姿であるとおっしゃり、ご自分と天父がひとつであるようにひとつになりなさいと、弟子たちにお教えになった神の独り子、また十字架につけられて亡くなった後に、骨肉の体を持つ復活した存在として弟子たちにみ姿を表されたメシヤという概念は、彼らにとってなかなか受け入れられる物ではありませんでした。」 

2、キリスト教の信条:神の属性を定義する試み

混乱と不調和を終わらせようとして、古代のキリスト教の指導者たちは評議会を組織して、はっきりと彼らの信条を定義しました。その一つはニカイアで開かれました。今は亡きゴードン・B・ヒンクレー大管長は次のように述べています。

「コンスタンティヌス帝はキリスト教に改宗したとき,神の属性について聖職者の間で様々な議論があることを知りました。この議論に終止符を打つために,紀元325年,ニカイア(ニケーア)に地位の高い聖職者が集められました。参加者には自由に見解を述べる機会が与えられました。しかし,議論はますます熱を帯びるだけで,一致した定義に到達することはできませんでした。そのため一つの妥協案が出されることになったのです。これがやがてニカイア(ニケーア)信条として知られるようになったもので,その基本的な概念は,現在の大半のキリスト教徒の信仰に受け継がれています。」(「わたしたちの知っていること」2007年4月

これやその後に開かれた会議によって、神とその御子イエス・キリストの真の属性についての理解は失われてしまいました。オークス長老は次のように語っています。

「この後も教会の公会議が幾たびも開かれ、そこでの決議と聖職者や哲学者の書物を基に、ギリシャ哲学とキリスト教の教義が結合しました。こうして、当時の公認されていた教会の会員たちは、神と神会について完全な真理を失ってしまったのです。その影響は、3つの位格を持つ唯一の神という主張をし、唯一の御方である神を「不可知」の「体も肢体も感情もない」存在と定義するさまざまなキリスト教の教義の中に今も存続しています。」 

3、宗教改革は聖書を人々にもたらすことで始まる

それから何世紀か過ぎて、キリスト教徒の中には改革の必要を認める人たちが現れました。キリスト教の初期の時代には、神の言葉である聖書を持っている人はほとんどいませんでした。 多くの人が読み書きができなかったからです。そのため、改革の第一歩は書かれた言葉を人々に広めることでした。ロバート・D・ヘイルズ長老(現代の十二使徒)は次のように述べています。

「元来聖書はヨーロッパの一般市民にはなじみのないヘブライ語とギリシャ語で書かれていました。救い主の死後約400年がたつと,聖書はヒエロニムスによってラテン語に翻訳されました。しかしまだ聖文が広く行き渡るという状態ではありませんでした。手書きの写本はたいてい修道士の手で作られ,1冊仕上げるのに数年かかりました。

やがて聖霊の影響を受けて,人々の心に学術への関心が芽生えました。ルネサンス,つまり「文芸復興」の運動がヨーロッパに広まりました。14世紀後半に聖職者ジョン・ウィクリフがラテン語から英語に聖書の翻訳を始めました。当時英語は形を大きく変えようとしていた洗練されていない言語だったので,教会の指導者たちは神の御言葉を伝達するのには適さないと考えていました。また人々が聖書を自分で読んで解釈するようになったら教義が堕落すると思い,聖文を自由に読めるようになったら,教会を必要としなくなって教会への財政支援が途絶えると恐れる指導者もいました。結果,ウィクリフは異端者として非難され,また処遇されました。死亡し埋葬された後に,骨は掘り返され,焼かれました。しかし神の業がとどまることはありませんでした。」(「回復と再臨の備えー『わたしの手はあなたの上にある』」2005年10月

聖書の翻訳は続き、それに対する反対も続きました。ヘイルズ長老は引き続きこう述べています。

「聖書を翻訳するよう霊感を受けた人がいる一方で,聖書を発行する手段を備えるよう導かれた人もいました。1455年までにヨハネス・グーテンベルクが組み替え可能な活字を発明し,聖書は最初に印刷された書物の一つとなりました。ようやく初めて聖書が同時に何冊も,しかも工面できる価格で印刷できるようになったのです。」

何世紀も経過する中で、聖書をその当時の日常的な言語に翻訳するように霊感を受けた人々がいました。ウイリアム・ティンデイルもその一人です。彼は情熱と決意を持ってそれに臨みました。彼はある学識のある人と語った際に、次のように述べています。「もし神が私を生き長らえさせて下さるなら、やがて畑を耕している少年でも、あなた以上に聖書を知ることができるになるでしょう。」 その後、ティンデイルもほかの聖書を翻訳していた人々も、迫害を受け、逮捕され、ついには殺害されました。しかし、その業は彼らの死によって終わりませんでした。ヘイルズ長老は続けて語られています。

ローマの教会と決別したイギリスの王ヘンリー8世は,自らをイギリスの教会の首長であると宣言し,英語版の聖書をすべての教区の教会に置くよう命じました。福音に飢えていた人々はそのような教会に群がり,声がかれるまで聖文を読み合いました。聖書はまた,読み方を教えるときの教本として用いられました。ヨーロッパ全土で殉教が続いたものの,無知という闇夜は終わりを告げようとしていました。」

英国王ジェームズ1世は、人々の間に分裂が生じたことに対応して、聖書を新しく公式に改訂することを命じました。これに携わった聖書学者は、ティンデイルやほかの殉教者の業績に基づいて作業しました。

 

4、イエス・キリストの福音の真理は回復される

イエス・キリストの福音の回復の準備は、新らしい世界の発見や探検に伴って続きました。ヨーロッパでの宗教上の混乱のために、多くの義人たちはアメリカに信仰の自由を求めてやってきました。

「それから100年以上が過ぎ,このような宗教感情がアメリカ大陸の新しい国の創始者たちを導きました。彼らは神の御手の下に,霊感を受けて起草された権利章典ですべての市民に宗教の自由を保証しました」(ロバート・D・ヘイルズ「回復と再臨の備えー『わたしの手はあなたの上にある』」2005年10月

ひとたび土台が築かれると、回復の時期が訪れました。1820年の4月、当時14歳の少年であったジョセフ・スミスはどの教会に加わるべきか知りたいと思っていました。新約聖書の「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなく全ての人に与える神に、願い求めるがよい。」(ヤコブの手紙1章5節)という聖句を読んだ後、彼はそこに書かれていたことを実行に移すことにしました。そして森の中へ入っていき、ひざまずいて祈りました。彼の謙遜な祈りは答えられ、父なる神と御子イエス・キリストが彼に訪れて、どの教会にも加わらないように言いました。ヘイルズ長老の言葉によると以下のようになります。

この貧しい農家の少年が,この末日に古代のイエス・キリストの教会と神権を回復するよう神に選ばれた預言者だったのです。この回復は,時満ちる最後の神権時代に起こらなければならず,人が地上で得られるすべての神権の祝福を回復するものでした。神から責任を受けたジョセフの業は,地上の既存の宗教を改革したり,異議を唱えたりすることではありませんでした。かつて地上に存在し,そして失われたものを回復することだったのです。

ジョセフ・スミスを通して、イエス・キリストは主の完全な福音を地上に回復されました。これによって神権の鍵も、救いにかかわる儀式・神殿での礼拝・神聖な聖約を含む救い主の純粋な教義や教えも、再び地上にもたらされました。この御業のもう一つの鍵となる部分は、イエス・キリストについてのもう一つの証であり、聖書に書かれている真理を確認する書物である、モルモン書が出現することです。ほかにも現代の聖典として、教義と聖約があります。これは、現代の啓示を編集した書物です。オークス長老は次のように語っています。

「イエス・キリストの回復された福音の教義は、私たちに理解できる普遍的なものであり慈しみに満ちた真実のものです。現世の必要な経験を終えると、神の息子娘は皆、最後には復活し、いずれかの栄光の王国へ行きます。 現在どの宗派や信仰に属しているかに関係なく、義人はいずれかの栄光の王国へ行きます。そこはわたしたちの理解を超えた素晴らしい世界です。また、悪人であってもそのほとんどは、最後には、低い階段の光栄の王国とはいえすばらしい王国へ行きます。 これらはすべて、神のその子らに対する愛と、「御父の栄光を輝かし、彼の手に成るすべてのわざを救う」(教義と聖約76:43)イエス・キリストの贖いと復活のゆえに起こることです。末日聖徒イエス・キリスト教会の目的は、すべての神の子供たちがみずからの可能性を理解し、神が備えられた最も輝かしい光栄に到達できるよう、助けを与えることです。 」

キリスト教の信条の歴史とその移り変わりは、イエス・キリストとその使徒たちの死後、古代の教会に蔓延していた不調和と混乱によって始まりました。そして現代におけるイエス・キリストの福音が完全に回復されたことで終わりを迎えました。イエス・キリストがその古代の教会で組織された全ての原則・儀式・教え・教義・神権の権能・聖約は、栄光の中で地上に回復されました。キリスト教の信条は、天が閉じ、キリストの神権と権威が地上から取り上げられてしまった時代に、真理を探し求める誠実な人々によって生まれたのです。できる限り神に従おうと努力し、忍耐と決意を持って神の真理を探究した人々を通して、イエス・キリストの福音の回復と、再び天が開かれるための土台が備えられたのでした。

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