私はしっかりしたクリスチャンの家庭に生まれ育ったので、宗教と霊性は常に私の人生の一部でした。私はバプテストとして育ちましたが、私の先祖はメソジスト派やルーテル教会の男性女性がたくさんいます。彼らの親もまた自分たちの子孫を育て、神との個人的な関係を築いてしっかりと生活することの重要性を教えるためにイエス・キリストの福音の原則に頼っていました。

私の先祖とは違って、私は素晴らしいことを勉強し学ぶことができる多くの良い本に恵まれた家庭で育ちました。先祖同様、私の家で最も価値のある本は聖書でした。

私の先祖の多くはあまりうまく読むことができませんでしたが、彼は聖文の読み方と聖文を大切にすることについて教えられていました。先祖の中には、福音の知識と愛を人々と分かち合いたかったので、また、子孫に霊的な遺産を残したかったので、聖職者になった人もいました。ほかの人たちは、曾曾祖父、ジェームズ・ブラウン(1792年生まれ)のように、二人の息子、バイヤードとレオナルドの助けを受けて、自分たちの住んでいる地域社会の霊的な指導者となりました。その町はfree Blacks in Marylandが住んでいてサンドミンゴと呼ばれていました。そこで、当時、リトル・シオンとして知られていた最初のメソジスト教会を建設しました。リトル・シオンでは、人々は自由に自分の愛する神を礼拝できました。150年以上経た今日、その教会はZion United Methodist Churchとして知られています。もともとの建物は火事で焼けたため立て直され、元あった場所に建てられサンドミンゴの地域にとってかがり火としての役目を果たしています。神と個人的な親しい関係を持っていた先祖はその地の家族の墓に安らかに眠っています。

私は神をもっと知りたいです

mormon-jesus1私が末日聖徒イエス・キリスト教会(よくモルモンと呼ばれますが)の会員としてバプテスマを受けた1998年3月10日までには、私は、教会の信仰箇条の最初の信仰箇条である、「わたしたちは、永遠の父なる神と、その御子イエス・キリストと、聖霊とを信じる」について、私の宗教心のある環境で育ったことにより神会の御三方についてのゆるぎない理解を得ていました。しかし、神を信じることは、例えば、神との個人的な親密な関係を築くためのほんのはじめでしかないと考えます。神は数多くの子供の天の御父ですが、神は御自身のすべての子供たちに神御自身を個人的に知るように望んでおられます。

かつて末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会第二顧問であったジェームズ・E・ファウスト管長は1976年10月の総大会で、「救い主との個人的な関係」というテーマで次のように説教をしています。

「わたしたち熱心に求め、単に主について知るためだけでなく、主がわたしたちに主と一つとなるよう招いておられるように努力し(ヨハネ17:21参照)、「御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように」(エペソ3:16)するべきです。わたしたちは主と近い感じを受けないかもしれません。なぜなら、わたしたちは主を遠い存在であると思ったり、あるいはわたしたちは主を実在の御方と思わないために主との関係が清めとならないからです。」

これはどうして可能となるでしょうか、と尋ねる人がいるかもしれません。使徒ヨハネは福音書で教えています。

「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」(ヨハネ3:16-17)

主御自身教えておられます。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マルコ12:30)私たちはどのようにして主への愛を証明しますか?主はおっしゃいました。「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」(ヨハネ14:15)そして、主は再び訓告されました。「もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛の内におるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛の内いにおるのと同じである」(ヨハネ15:10)

私は自分の人生の中で、福音の教えに合致して生活しようと努め、天の御父の戒めと御心に従順に従おうと努めるとき、私は主により近づいた気持ちを感じ、主とのより優しい交わりを持つことができることを経験してきました。時に、自分自身の失敗、不従順により主を遠く感じることがあります。そんな時でも、御父の子供の一人としての私に対する主の大きな愛により、主は近くにいてくださり、見守って下さっています。だから、主は一人一人の神なのです。わたしが忠実で従順なとき、私は自分の魂がすでに私のことをご存じである主をもっと知りたいと飢え乾くのを感じます。

私たちの人生において神の影響を受ける方法

ファウスト管長の総大会での説教はさらにこうあります。

「どうしたらわたしたちは主の神聖で高めてくれる影響の祝福をわたしたちの人生において受けることができるでしょうか。わたしたちの感情はわたしたちにとって神聖であり、他人によって邪魔されてはならないものですので、時々わたしたち全員が感じる、真実であるとわかる、あの静かな確証から始めましょう。わたしたちはいつもこれらの真実性を他の人々に証明することができるわけではありませんが、それは知識という形でやってきます。これはわたしたちの内で醸成し、その源に達する神からのものでしょうか。この世と別の世を分け隔てている薄い幕を通して流れている真理の個人的な証のようなものではないでしょうか。心の中にあるもの、すなわち言葉で言うことができないほど個人的であるため言葉にすることができない気持ちを理解したいという願いが思いの中にありませんか。主はこの静かな感覚が『この件についてあなたの心に平安をつげなかったであろうか』とおっしゃいました。(教義と聖約6:23)」

ファウスト管長は救い主との個人的な関係を維持するために必要な5つの不可欠な要素を与えてくださいました。(1)祈りを含む日々の交わり、(2)日々の人に対する無私の奉仕、(3)生活において従順を増し、完全に近づくための日々の努力、(4)日々神の神性を認めること、(5)日々の聖文研究。

私たちは私たちが仕えなければ神を知ることはできません

末日聖徒が「イエス・キリストについてのもうひとつの証」と呼ぶモルモン書の中でベニヤミン王は民に次のように説いています。「なぜならば、仕えたこともなく、見も知らぬ他人で、心の思いと志を異にしている主人を、どのようにして人は知ることができようか。」(モーサヤ5:13)

末日聖徒イエス・キリスト教会の第12代大管長のスペンサー・W・キンボール大管長は次のように言ってこのことをうまく表しています。

「真理の霊的な知識は、洞窟を照らす光、霧を晴らす風や太陽です……。湿地にある小屋に代わる丘の上の邸宅であり、鎌とさやを棚にしまう刈入れ者であり……殻ではなく栄養豊富なトウモロコシの実であり……ほかのすべてのものよりもずっと多い……」(スペンサー・W・キンボール、「奇跡に先駆ける信仰」デゼレトブック1972年)

私は福音の原則に忠実に従って生活する努力をするとき、また、主の御心と戒めに従順に従おうと努力するときに、私の天の御父との個人的な関係が強まり、より親密になり、主の影響力が私を導く光となることがわかります。そして、いつか主の御許に安全に戻り主の御腕に抱いてもらうために私がとるべき道を示してくれることがわかります。