「イエス・キリスト」っていう名前、今までに聞いたことがありますか?アメリカで開発された、あるインターネット検索プログラムによると、この名前が世界で一番有名な名前です。でも、何をした人なのか知っていますか?どうしてそんなに有名なのか。イエス・キリストの教えと彼の人生を学んで、その理由を確かめてみましょう。
イエス・キリストって誰?
イエス・キリストは、今から2000年以上前、現在でいうパレスチナにあるベツレヘムという小さな町でお生まれになりました。「イエス」はユダヤ人の男性に使われていた名前で、当時は珍しいものではありませんでした。
「キリスト」はギリシャ語で「油注がれた者」という意味です。ヘブライ語で同じ意味だと「メシア」となります。当時、王や祭司など、特別な務めを果たす人々には、オリーブ油を塗る習慣がありました。
聖書に登場し、長い年月に渡って世界中の多くの人に知られているイエスにも、もちろん特別な役割がありました。それは、彼がいろいろな呼び方で記されていることから分かります。
【61通りのイエス・キリストの呼び方】
救い主・贖い主・創造主・偉大な教師・仲保者・弁護者・羊飼い・よい羊飼い
神の独り子・神の御子・主・全能者・審判者・解放者・偉大な教師・メシア・エホバ
預言者・油注がれた・アルパでありオメガ・助け主・慰め
信仰の導き手でありその完成者・権威・命のパン・長子・初子・世の光
花婿・隅のかしら石・救世主・忠実で真実な者・大祭司・教会の頭・聖なる僕
インマヌエル・言いつくせない賜物・王の王・神の子羊・世の光・ユダ族のしし
自由を得させる者・わたしたちの望み・平和・平和の君・人の子・よみがえられた主
岩・わたしは有る・わたしたちの罪のための贖いの供え物
いと高き者の子・よみがえりであり命・門・道・真理・命・ぶどうの木・勝利・霊妙なる議士・大能の神・とこしえの父・生ける水
今でも世界中で、クリスマスやイースターなど、イエス・キリストに関係するイベントは多くの人に親しまれています。聖書には、地球の始まりからイエス・キリストの誕生が預言されていて、まだ会ったこともなく、会えるかどうかも分からないのに、人々はキリストの誕生を待ち望んでいたことが書かれています。
末日聖徒イエス・キリスト教会においてイエス・キリストとは何者か?
時代・人種に関係なく、多くの人が知っていて愛されているイエス・キリストは、実際に何を教えられたのでしょうか。
キリストの教え
山上の垂訓
イエスが山の上で人々に教えられたことから、「山上の垂訓」と呼ばれる教えがあります。この教えは、現在のイスラエル北部のガリラヤという地域の岸辺近くで与えられたものです。

まず山上の垂訓の一部を紹介します。
【2マイルの精神】
言われたことだけをするのではなく、相手に喜んでもらうために、さらに何かすること。
もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。
マタイによる福音書5章41節【黄金律】
自分がされて嫌なことをほかの人にしない。逆に、自分がされてうれしいことをほかの人にする。
だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。
マタイによる福音書7章12節
至福の教え
山上の垂訓の中に、「至福の教え」というものがあります。これは、本当の幸せを手に入れるための8つの方法が書かれてあります。

山上の垂訓についてもっと知りたい方はこちらから。
たとえ話を使った教え
イエス・キリストの教えの中には、たとえ話を使ったものもありました。それは、当時ユダヤ人の間でも普通に行われていたことでした。しかしキリストのたとえ話は、ほかのユダヤ人の教師と比べてとても分かりやすく、聞いている人にとても親しみやすいものだったようです。
【からし種ほどの信仰】 マタイによる福音書17章19-21節
このたとえ話は、てんかんという病気の子供を治せなかったイエス・キリストの弟子に対して使われたものです。からし種は直径0.5ミリ程度の小さな種です。しかし、成長すると人の身長を余裕で超えるくらいの大きな木になります。からし種くらい小さくても信仰があれば、山でさえも動かすことができるくらい信仰は強くなる、と言われました。少しでも信じる気持ちがあったら、奇跡を起こすことができるという教えです。

【10人のおとめ】 マタイによる福音書25章1-13節
当時のユダヤ人には、夜に花婿が友達と花嫁の家へ行き、結婚式をするという習慣がありました。10人のおとめは花婿を迎えるために明かりを持って待っていましたが、花婿の到着が遅れたため、明かりを灯す油が足りなくなりました。5人は予備の油がありましたが、残りの5人は持っていなくて、代わりの油を買いに行ってる間に結婚式が始まり参列できなかった、という話です。これは、「最後の日」と呼ばれる時、つまりキリストが再び地上に来られる再臨の時に、わたしたちはどうしたらいいのかを教えています。
燃料用の油は信仰や証、これまでの従順な生活を表しています。それは人に分けたり貸したりできるものではありません。キリストが再び訪れられた時、わたしたちの信仰や従順な生活をしてお会いする用意をしておかないと、結婚式に参列できなかった5人のおとめのようになってしまいます。最後にキリストによって救われるチャンスを失うことがないように、日頃からの準備が必要です。

【善きサマリア人】 ルカによる福音書10章25-37節
あるユダヤ人が旅の途中で強盗に襲われ、身ぐるみはがされ半殺しの目に合いました。そのユダヤ人が道端で苦しんでいたところに、1人の祭司と1人のレビ人が順番に通りました。当時、祭司は人に仕え教える仕事をしていました。レビ人も祭司と同じような地位がありましたが、何もせず行ってしまいました。最後にサマリア人がやってきて、傷ついたユダヤ人の傷の手当をしただけでなく、宿屋に連れていき、宿代も払い、「もしお金が足りなかったら払いに来ます」と言った話です。
ユダヤ人とサマリア人は歴史的に見て犬猿の仲とも言えるような関係でした。しかしこのサマリア人は、そのようなことに関係なく、ただ目の前の傷ついた人を助け、さらに自分ができることは何でもやりたい、と考えていたことが分かります。このサマリア人の模範から、その人のことをよく知っていなくても、困っている・助けを必要としている人に対して助けを差し出すことを、キリストはわたしたちに求められています。

【100匹の羊のうちの1匹】 ルカによる福音書15章4-7節
イエス・キリストは羊飼いとも呼ばれています。羊はわたしたちです。100匹の羊のうち、1匹がいなくなったら羊飼いはその1匹を諦めるでしょうか。キリストはその一匹を探すために、99匹を野原に残して捜し歩くと言われました。キリストはわたしたちの誰一人としていなくなったら悲しまれます。ですから、キリストはわたしたち1人1人を本当に愛してくださっています。

【放蕩息子】 ルカによる福音書15章11-32節
ある2人の兄弟の話です。弟は自分が相続する予定の財産を、父親が生きているうちにもらったのに、遊びほうけて使い果たし、落ちるところまで落ちてしまいました。食べることもできず死にそうになり、ついに家に帰りました。
父親はその息子の帰宅を心から喜び、盛大なパーティーを開きました。全然連絡もなく死んでしまったと思っていた息子が、生きて帰ってきたからです。しかし、まじめに働いてきた兄は、両親が自業自得の弟の帰宅を喜んでいたことに嫉妬しました。まじめに働いてきたからこそ、兄には父親から相続した財産が残っていたのにです。そして父親は兄を信頼していました。
兄はその事実を忘れてしまうほど、広い心で実の弟の帰りを喜べませんでした。どんな人でも心を改めて正しい道に戻ろうとするなら、キリストはそれを必ず喜ばれます。そして周りの人もそれを一緒に喜ぶことを望んでおられます。

キリストが行われたこと
イエス・キリストがこの世に生まれて亡くなるまで、たった33年の短い生涯でした。彼はその人生をかけて、わたしたちがどのように人と接して生きるべきか、どのような人物になるべきか、完全な模範を示してくださいました。イエスはいつも貧しい人を助け、心が謙遜な人に手を差し伸べられました。残念ながら心が高慢だった人たちは、イエスの教えに聞く耳を持たず、助けを必要としませんでした。心が謙遜だった人たちは、イエス・キリストがされた奇跡を目の当たりにすることができ、信仰はさらに深まりました。
8つの項目に分けた奇跡を写真と共に以下に紹介します。
亡くなった人たちを生き返らせた

画像末日聖徒イエす・キリスト教会

画像:末日聖徒イエス・キリスト教会

画像:末日聖徒イエスキリスト教会

ルカによる福音書 9章12-17節
画像:末日聖徒イエス・キリスト教会

ヨハネによる福音書9章1-12節
画像:末日聖徒イエス・キリスト教会

マタイによる福音書9章1-9節
画像:末日聖徒イエス・キリスト教会

ヨハネによる福音書5章2-9節
画像:末日聖徒イエス・キリスト教会

マルコによる福音書5章25-33節
画像:末日聖徒イエス・キリスト教会
わたしたちとどんな関係があるの?
とても長い年月の間、イエス・キリストが人々から愛される理由は、彼の教えが偉大でたくさんの奇跡を行われたからだけではありません。多くの人に愛されてきた理由は、イエス・キリストが最も大切な務めをされたからです。この記事の始まりで、キリストの意味は、「油注がれた者」で、そう呼ばれるのは特別な役割があるからとお伝えしました。次はその役割についてお話します。
「贖い」という言葉を聞いたことがありますか?一般的には、罪に対しての償いという意味です。しかし、キリストの贖いは、人々の「罪を償い、死を克服するためにイエスが払われた大いなる犠牲」(福音の原則「贖罪」より)です。自分自身の罪のためでも自分自身の死を克服するためでもなく、人々(わたしたち)のためです。
贖いの祝福 肉体の死の克服
贖いに欠かせなかったのが、十字架に掛けられ亡くなることです。その3日後、イエス・キリストは復活しました。これにより、すべての人が死んでも、神様の定められた時に復活できます。
罪の赦し
また、わたしたちが犯してしまった罪も、悔い改めるならキリストによって神様から赦してもらうことができるようになったのです。ダリン・H・オークス管長はこのように言われました。
「イエス・キリストは、確かに神の独り子、神の愛子(あいし)です。……主は……罪と死からわたしたちを救ってくださる救い主です。これが地上における最も大切な知識です。」
神様は、イエス・キリストにこの贖いの大切な役割を与えました。それはキリストにしかできないことだったのです。
「ドーナツと腕立て伏せ」のたとえ話は、キリストの贖いの役割についてさらに理解を深めてくれるでしょう。
癒し・慰め・助け
キリストの贖いは、ほかにも癒しと慰め、助けを与えてくれます。わたしたちが悲しい時、苦しい時、どのように助けたらいいか、キリストはすべてご存知です。それはキリストご自身が、あらゆる種類の問題や困難を背負って苦しまれたからです。そして、イエス・キリストはいつもわたしたちのそばにいて、わたしたちのことも置かれている状況も理解してくださり、助けてくださいます。
「あしあと」という詞を知っていますか?これを読むと、キリストがいつもそばにいて苦しい時に助けてくださるということが分るでしょう。
「あしあと」
ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ね
した。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道にお
いてわたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのにわたしの人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、
あなたがなぜわたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません」
主はささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしはあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」

死んだあと天に帰って大切な家族や友だちと一緒に過ごすためにも、贖いに頼らなければなりません。どんな人でも贖いが必要です。そしてこの贖いの祝福を全部受けるために、神様と約束を交わすバプテスマを受ける必要があります。
バプテスマについてはこちらから問い合わせてください
罪の赦しや心に与えられる癒しやキリストの助け、そして死んだあとどこへ行くかは、それを求める人にだけ与えられる贖いの祝福です。
「もとめなさい。そうすれば、与えられるであろう。捜しなさい。そうすれば、見いだすであろう。たたきなさい、そうすれば、開かれるであろう。
すべて求めるものには与えられ、捜す者は見いだし、たたく者には開かれるからである。」
第三ニーファイ14章7-8節
こちらから贖いについてもっと知ることができます。→「キリストの十字架と贖い:キミは説明できるかな?」
キリストの完全な愛

キリストはなぜ、わたしたちのために命を落とされたのでしょう?なぜ、わたしたちのためにあらゆる苦しみや困難を経験されたのでしょう?それは神様がキリストに与えられた特別な役割のためです。そして、何よりわたしたちのことをとてもとても愛してくださっているからです。
キリストのわたしたちへの愛を、慈愛といいます。慈愛とは、好きな人と両想いになって感じる愛とは違います。とってもとても大好きという愛とも違います。慈愛は、見返りを求めない、とても気高く、尊くて、強い愛です。そして慈愛は、イエスが人生を通してわたしたちに示して下さった模範の1つで、わたしたちもお互いに対して持つべきものです。慈愛を持つことができるように、神に日々祈り求めることができます。そして自分でも慈愛を抱くことができるように日頃から最善を尽くしていきましょう。
慈愛は長く耐え忍び、親切であり、ねたまず、誇らず、自分の利益を求めず、容易に良からず、悪事を少しも考えず、罪悪を喜ばないで真実を喜び、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
モロナイ書7章45節
人がその友のために自分の命を捨てる事、これよりも大きな愛はない。
ヨハネによる福音書15章13節
わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネによる福音書13章34節
ない人たちに親しまれてきたか分かりましたか?わたしたちがより良い人になるために、もっと幸せになるために、そして大切な人をもっと大事にするために、キリストの教えと彼の生涯から学んだことから、あなたの生活でできることを始めてみてください。
キリストについての質問、伝えたいことがある人はぜひコメントしてください。