先日のクラスで3ニーファイ24を読んでいました。そこには什分の一の大切さについて書かれています。しかし、グリフィン兄弟は興味深い点を指摘しました。主は私たちのお金を必要とされるのかというポイントです。私の意味するのは、神が宇宙の主であり、あらゆるものの創造主であり、所有者であるのに、小さなとるに足りないような紙幣で何ができるのかということです。主はそのようなものは必要ではありません。ここでの要点は、私たちが犠牲を払い、主に従順であることを、主の戒めを守ることによって示すことです。ですから、什分の一が必要なのは、私たちなのです。
主の天使の方がもっと良い宣教師ではないでしょうか。でも、私たちが宣教師になる必要があります。私たちにはそのような経験が必要であり、霊的な成長が必要です。私たちには、召しを受け、それによって学び責任を持つことが必要です。神が私たちに命ずるあらゆることは、私たちのためになるものであって、神のためになるわけではありません。私が気に入ったグリフィン兄弟の言葉を引用しますと、「私が神に仕えなければならない必要性は、神が私の奉仕を必要されていることと比べると、無限大に大きい」のです。私は今日神殿に行ってそのことを感じました。確かに、私がそうするときに、主に仕えていたわけですが、それと同時に幕の向こう側の兄弟姉妹のために奉仕していたわけですが、今日、私には神殿が必要でした。私がそこを去ったときに、とてもすばらしい平安と愛を感じたのです。私が大好きな事実は、神が私たちをとても愛してくださり、なさるすべてのことが私たちのためであるということです。主は私たちが学び、成長するために非常に多くのことをしてくださいます。しかも、それはやがて私たちが神が持っておられるすべてのものを相続することができるようになるためなのです。私は天の父に心から感謝しています!
この記事はbyustudentによって投稿されました。