十二使徒定員会のD・トッド・クリストファーソン長老の夫人であるキャシー・クリストファーソン姉妹は、夫がステーク会長として奉仕していた時に起きた思いがけない心温まる話で、クリスマスのお祝いについて分かち合っています。

それは1988年のクリスマスイブのことでした。朝の5時半に電話が鳴りました。そのような時間の電話は良いものではないに決まっています。わたしは当時テネシー州フランクリンステークの会長だった夫に受話器を渡しました。夫は簡単に話をしてすぐ電話を切りました。

クリスマスイブのサプライズ

「郡保安官からだったよ。家から10マイル(約16キロ)ほどのステークセンターが竜巻の被害に遭ったので、来て見てほしいと言われた」と彼は言いました。

わたしも夫も驚きました。竜巻の警報は出ていなかったからです。昨晩は雨がしとしとと降りましたが、強風は吹いていなかったからです。

クリストファーソン長老が見た被害は思ったよりもずっと深刻なものでした。この建物は奉献してからまだ3年しかたっていませんでしたが、まるで巨大な鉄球が真ん中から突っ込み、文化ホールの屋根をほぼそっくりはがし、遠くまで吹き飛ばし、残骸も床に落ちたようでした。隣接するホールや教室の被害も大変なものでした。

噂が広がると、神権定員会やほかの会員たちはすぐにやってきて、がれきを取り除き、被害を受けていない場所を補強し、保護しました。この作業は何時間も続きましたが、誰も帰ろうとはしませんでした。どこかの名も知らぬ良きサマリヤ人(聖書に出てくるたとえ話で、敵対している関係でも困っている人を優しく助けることができる人のこと)が空腹でありながらも感謝の思いで働いていた人々のために、レストランから何枚ものピザを注文してくれました。

贈り物

クリスマスイブの準備は後回しとなり、調整が必要となりました。このクリスマスの祝日を中断した竜巻のタイミングは最悪でした。その年は、たまたまクリスマスが日曜日だったので、聖餐会のための場所の確保が必要になりました。クリストファーソン会長とわたしたちのビショップ(ボランティアで地元の教会をまとめ、管理する人)のトム・アレンは必死にそのための調整をしていました。ステーク内のナッシュビルにある2つのワード、は18マイル(約29キロ)離れた集会所で集会を開いていましたが、そのうちの1つが翌朝の聖餐会にわたしたちを招いてくれました。

そのためプログラムは当初の予定とは違うものになりましたが、この日はわたしたちにとって、救い主の誕生を祝う、最も心温まるかつてない機会となりました。わたしたちは突然、理解の目が開けました。完全に家を追い出されて「家」が無くなると、どのように感じるかが分かりました。わたしたちはヨセフとマリヤのように一時的な「宿る場所」を与えられましたが、彼らの馬小屋はわたしたちが間借りした教会堂に比べても、適切であるとはとても言えないものだったことでしょう。

ヨセフとマリヤは、後にもっと良い住まいを見つけることができたようです。マタイ2:11には、博士たちが家にいるマリヤとイエスを見つけたと書かれています。わたしたちのワードはほかの教会の厚意により、青少年のスポーツプログラムのために、体育館を冬の間提供してもらうことになりました。日曜日の集会は地元の高校の校舎を使う許可を得ました。

わたしたちは、博士たちが黄金、乳香、没薬という高価な贈り物をマリヤとヨセフに送った時の大きな祝福のことを思い浮かべました。おそらくこれらの贈り物は、この聖なる家族がヘロデの死までエジプトに逃れた間、家族を支えるものとなったことでしょう。

わたしたちは教会の忠実な会員の什分の一により、同じような祝福を感じました。その祝福のおかげで教会堂を速やかに建て直し、9か月後には再奉献する喜びにあずかることができたのです。時に主は、わたしたち自身の選びとは関係なく起こる問題を黙認されます。しかし主はこれらの出来事を通して、わたしたちが主に近づけるようにしてくださいます。幼子キリストが贖い主としてこの世界にもたらしてくださる、お金では決して買えない貴重な祝福をわたしたちが大切にするよう、試練を通して主は助けてくださるのです。

この記事は元々はSister Kathy J. Christoffersonによって書かれ、Deseret newsに投稿されました。