わたしは誰かの重荷になることが嫌で、自分の苦しみを打ち明けることが苦手です。

その理由は多々ありますが、どれもきっと耳覚えのあるものばかりでしょう。例えばこんなものです。話す機会がないのです。ぴったりの表現を見つけるのは困難です。周囲の人がどのような反応をするのかわかりません。傷つくことは怖いことです。

なぜそんなに難しいのでしょう。それはわたしたちの周りに存在する楽天主義と、信仰を助長する文化が関係しているとわたしは思います。世間もわたしたちに、前向きに、そして元気でいるように言っています。なぜなら、人は明るい人の周りにしか本当は集まりたくないからです。これは本質的には間違っていません。しかし、そのことを気にし過ぎることも良くありません。

わたしたちは、評価されることや恥をかくことを嫌います。もし誰かがわたしたちの本当の苦しみを見ると、(わたしたちが自分を客観的にみることと深いつながりがあるように)拒絶されます。

イエス・キリストはわたしたちに、苦しみを隠してほしいと思っていません。しかし、モルモン書のこの聖句から引用することができます。わたしたちは本当に理解しているのでしょうか。

「見よ、ここにモルモンの泉がある。(この泉はこのように呼ばれていた。)あなたがたは神の羊の群れに入って、神の民とよばれたいと願っており、重荷が軽くなるように、互いの重荷を負い合うことを望み、」

もっと話し合うべき問題は、人々が自分の苦しみを安心して吐き出せる場を作ってあげることです。しかしながら、それらの試練が「重荷になる」気持ちを晴らし、周囲の人に助けを求めたときに助けを受け入れられるということに焦点を当てたいと思います。

謝ることをやめる

あなたは今まで感情的になることや、傷つくことに対して謝ったことがありますか?

「泣いてしまってごめんなさい。あなたにすべてを打ち明けてしまってごめんなさい。時間を取らせてしまってごめんなさい。」

こういうときに謝罪することは、本来ならばその人との仲を深める機会になるはずが、恥をかく機会に変わってしまいます。わたしたちの行動に、すぐに間違いや悪いラベルが張られます。謝る代わりに、「ありがとう」を伝えるようにしてみてください。

「肩を貸してくれてありがとう。話を聴いてくれてありがとう。一緒に過ごしてくれてありがとう。」

嘘をつかない

いつもどのように感じているか、どんな状況に置かれているかを正直に伝えることは簡単ではありません。わたしたちは感情的な苦しみを表現する代わりに嘘をつきます。わたしは大丈夫。わたしは疲れているだけ。真実を隠す方法を数え上げると、きりがありません。

嘘をつかないように全力を尽くしてください。今、自分がどのような状況か聞かれる度にすべてを打ち明ける必要はありません。しかし、わかりやすい方法で真実を分かち合うことができます。いくつか例を挙げてみましょう。

最近、精神的に落ち込んでいます。最近よく眠れなくて。夜、頭のスイッチを切るのが難しいんです。やる気を持続するのが難しいです。

明確にする

あなたの周りには、あなたを助けてくれる人がたくさんいるかもしれません。助けを求めるとき、必要としている助けを明確にすることが大切です。そうすることにより周囲の人を怖がらせずに、あなたを助けやすくさせます。

支えとなってくれる人を見つける

皆があなたの重荷を負う備えができている、または進んであなたの重荷を背負ってくれるとは限りません。奉仕の心を持った人に助けを求めることが大切です。どのようにして、支えとなってくれる人を見つけたら良いのでしょうか。以下が3つの提案です。

まず、あなたの支えとなってくれる人は、あなたの話を親身になって聞いてくれる人です。話を遮ったり、気を散らしたり、会話を取り乱したりしない人たちです。あなたを批判したり、ぶっきらぼう(無神経)な言葉を投げつけない人たちです。気付いたこと、思ったことを伝えたとしても、解決方法を投げつけたり、あなたが過剰反応しているだけだと言わない人たちです。

次に、あなたが相談したことを、後からフォローアップしてくれる人です。あなたを見かけた時に、あなたが話したあなたの悩みについて聞いてくれる人です。

最後に、あなたが助けを求める前に行動してくれる人です。誰かが困っていることに気付いたら、またはあなたが悩みを打ち明けたときに、頼まれる前に助けの手を差し伸べてくれる人たちです。強いられて行動することなく、あなたが助けを求めるまで待つようなこともありません。

この記事はもともとAlea Ingramによって書かれ、ldsdaily.comに投稿されました。