わたしたちが、人生で最も重要なことに重点を置くように、神さまはさまざまな方法をお使いになります。ミッチ・デイビス家族の場合は、プルートという犬でした。ディズニーの社員で残業続き。家に不在がちなミッチは、家族が破綻しかけていることに気づいていました。末日聖徒のミッチ・デイビスは、彼の夢である幸福な家族と、宣教師についての映画を作成することは、彼らが住んでいるカリフォルニアでは不可能だと感じていました。一匹の野良犬が、彼の信仰と家族を取り戻す大きな役割を果たすなどとは思ってもみないことでした。この記事ではプルートとデイビス家族の奇跡の物語を紹介します。
祈りへの偶然の答え
「当時、わたしは週に70〜80時間働いていたため、妻や子供たちとはすれ違いでした。家族が起きる前に家を出て、家族が寝てから家に戻るという生活でした。わたしたちは努力をしましたが、崖っぷちに来ていました。実際のところ、悪い親や悪い伴侶になろうとする人などいないでしょう。わたしたちは、自分の人生を抑制する力を持つよりも、むしろ置かれている状況に振り回されることがあります。そしてあっという間に、自分たちはどこへ向かっていて、またなぜそこへ向かっているのかがわからなくなります。抑制力を取り戻すために、意識して努力しなければなりません」とデイビスは思い起こしながら語りました。
そんなときに、デイビスにはある考えが浮かび、犬を飼ってみるのはどうだろうかと妻のミッシェルに提案しました。「犬の世話をするなど、妻は考えたくもないことでした」とデイビスは笑います。すぐに賛成する代わりに、ミッシェルは、まず犬を飼い始める前に、野良犬で試してみるのが一番いい方法だと聞いたことがあると夫に話しました。「だから、もし野良犬が現れたらその時に考えるわ。今のところ、犬を飼うつもりなんて絶対にないけどね」と彼女は言いました。
その後間もなく、学校からの帰り道に、一匹の野良犬が長男のクリスチャンのあとを付いて来ることになるとは、ミッシェルは知る由もありませんでした。
デイビスによれば、その野良犬は「やせ細り、モジャモジャな毛をしていて、人懐っこくおとなしい犬でした。」デイビス一家はその犬を飼うことに決め、クリスチャンはその雑種犬を「プルート」と名付けました。
ワンダー・ドッグ、今まで知られなかった奇跡
プルートの世話は、ストレスとはかけ離れたものであり、デイビス家族が元に戻るために必要な解毒剤のような存在でした。ミッチは語ります。「犬を飼うことで生活がスロー・ダウンし、何が一番大切であるかを教えてもらいました。犬はあなたが悲しいときや、大変な一日だったときもわかるんです。そして犬が求めることは、お腹をなでてもらうことや、食べ物や水を与えられることぐらいなんです。プルートは、タイミングの良い時にやって来て、わたしたちの心をほぐしてくれました。」 ミッチが午前2時に疲れて家に帰宅したときであっても、クリスチャンが学校でいじめにあったときも、プルートはデイビス家族の心を癒し、家族の人生において忠実な友となりました。
プルートは、家族が重要なことに関心を向けられるように助けましたが、別の意味でも彼らを救いました。この出来事は、この新作映画「The Stray」(野良犬)で、ワンダー・ドッグについて何度も語られていますが、彼らの娘のケンジーについてはあまり触れられていません。当時2歳だった彼女は、ある土曜日の午後、迷子になったことがありました。「日も暮れ始めたころ、妻はケンジーはわたしと家の前で遊んでいると思い込んでいました。しかし、わたしは娘が妻と裏庭で遊んでいるものと思っていました」とミッチーは語りました。すぐに彼らは事の重大さに気づき、ミッシェルは他の子供たちを集め、祈りました。
日が暮れ始めた頃、ミッチとミッシェルは再度祈るともう一度裏庭を確認しに行き、塀の向こう側をのぞきました。「塀の反対側の小道をある男性が歩いていました。その人は、塀の上からうろたえた様子でのぞいているわたしたちの姿を見ると、『小さい女の子を探しているのではありませんか?』と聞いてきました。わたしたちは『そうです』と答えると、彼は『その女の子なら、犬と公園にいて無事ですよ』と言いました」と話しました。家族は、その男性に何度も礼を述べ、ミッチは娘を迎えに車に飛び乗りました。公園に着くと、娘が泣いていて、そしてプルートが彼女のことを守っているのが見えました。「わたしは、大声で叫びながらケンジーとプルートのもとへ駆け寄りました。家に戻ると家族みんなで喜び、みんなで抱き合いました。その瞬間ミッシェルとわたしは、同じ思いで同時に顔を見合わせました。あのとき、わたしたちに『小さい女の子を探しているのではありませんか?』と声をかけてくれた、小道を歩いていた男性は白い服を着ていました。彼が天使であり、彼らを助けるなど信じがたいことが現実に起こりうるのだろうかという思いで、ミッチは車に乗りその男性を探し回りましたが、見つけることはできませんでした。信じない人もいるでしょうが、「わたしたち家族にとって、天使はクレイジーなことではなく、現実なものなのです」とミッチは語りました。
愛と霊感の稲妻
デイビス家族の物語は、コロラド・ヒルズに引っ越してから後、ある夏の午後に最高潮を迎えます。ある日ミッチは、夏の間に息子に友達ができるようにと、息子のクリスチャンと彼と年の近い男の子2人を連れてハイキングに行きました。突然の嵐にあったため、急遽テントを設営し、息子たちにホット・チョコレートを作ってあげようとしている最中に、想像もしていなかったことが起こりました。稲妻がテントのてっぺんを突き抜け、ミッチの胸に落ちたのです。ミッチは当時の出来事を覚えていませんが、次のように当時のことを話しました。「息子たちの話によれば、稲妻がテントを突き抜け、わたしの胸に直撃しました。打たれたときに、稲妻のほとんどがわたしを通り抜け、わたしの隣にいたプルートを襲いました。わたしは後ろへはじき飛ばされると、わたしの体の中に残っていた稲妻がわたしの腕から飛び出て、次から次へと子供たちに襲いかかり、彼らに火傷を負わせました。」
ミッチは危険な状態で死にかけましたが、落雷の矛先がプルートに流れたことにより、また神さまの奇跡により、生き延びることができました。その晩ミッチは、自分と向き合うことになりました。そのときのことを彼は次のように話しています。「雷は、他の場所に落ちることもできたであろうに、よりによってわたしの胸に落ちました。神さまは、わたしが最も神さまを必要としているときにわたしを見つけ、助け、癒してくださり、主の深い憐れみをわたしに降り注いでくださいました。わたしは、この目に見える霊的な経験により、激しい驚きと圧倒される思いがしました。そしてわたしは、少し人生を振り返り、自分自身を吟味し始めました。『わたしの証はどうだろうか?態度は?妻との関係はどうだ?子供たちとの関係は?わたしの人生は何なのだろう?わたしは自分の人生をどういうものにしたいのだろうか?』今すぐにでも心臓発作を起こす可能性がありながらも、当然自分の人生はまだ残されていると考えました。
実質的に、プルートはミッチに生き直す機会と、人生の目的と目標について考え直す機会を与え、一度だけでなく何度も彼を助けました。家族たちは今でも、そのことについて敬意の念を抱いています。
ファミリー・プロジェクト
あれから月日がだいぶ流れたある日、ミッチの一番下の息子のパーカーが、プルートと家族に起きた奇跡についての脚本を書いてみたいと提案してきたときに、ミッチと妻は反対しました。しかし、パーカーはとにかく脚本を書き、両親に見せると、彼らはそのストーリーには、人々に霊感を与え、家族の絆を強める可能性が潜んでいることに気づきました。こうして映画「The Stray」は生まれました。
このプロジェクトの製作には、デイビス家族全員が取りかかりました。「末の息子のパーカーがオリジナルの脚本を書き、真ん中の息子のマーシャルが映画の編集と色付けをし、一番上の息子のクリスチャンが作曲し、妻は協力プロディーサーを務めました。ですからこれは、世界へ向けた、わたしたち家族によって製作されたわたしたち家族についての映画なのです」とミッチは語り、また笑って次のように話しました。「わたしたちは皆、2年ほどこのプロジェクトの製作に取りかかり、困難な経験もしましたが、驚いたことに家族はまだ皆お互いを嫌いにはなっていませんよ。」さらには、この映画でミッチの孫娘が娘役で出演しています。
デイビス家族は、家族の経験を再び思い出すことに多くを得ました。そして人々がこの物語から霊感を見い出せるよう、同時に望んでいます。「妻が協力プロデューサーを務めましたが、撮影中に彼女の隣に座り、素晴らしい俳優たちによって、わたしたちの経験が再演されるのを見守ることができたことは実に光景でした。面白いことに、わたしたち夫婦にとって当時の様子はとても美しく見えたのです。実際にその頃はストレスばかりに見えたのですが。後知恵ですが、30年経ってあのストレスだらけの頃を思い出すと、実は喜びに満ちていたと気付くのです」とミッチは語っています。
デイビス家族の物語を聞く人々が何かを学ぶことができるならば、大小を問わず、ミッチは彼らが霊的な経験の力に気づくことができるようにと望んでいます。「ときにわたしは、神さまに祈ることができることを当たり前のように思ってしまうことがありますが、実はそれは大きな祝福です。すべての人が、このような劇的な経験をするわけではありません。ある人は仕事を失ったり、離婚を経験したりします。教会での奉仕や仕事の責任など、毎日の忙しい日々の中で、そもそもなぜわたしたちはそれらの責任を果たしているのか忘れてしまいがちです。正しい方向に注意を向けられるように、ときどきわたしたちは、雷に打たれた方がいいのかもしれません。あの経験は、まるで神さまがわたしの襟をつかんで揺すり「わたしに耳を貸しなさい」と言われているようでした」とミッチは話しました。
この家族の物語は、祈りの答えはときに簡潔なものであったり、力強いものであったりすることをわたしたちに思い起こしてくれます。そしてミッチは「小さな瞬間の中にも主の深い憐れみを見い出せる」ことを知っています。
この記事はもともとJannalee Sandauによって書かれ、ldsliving.comにThe Miracle Stray Dog That Saved One LDS Family’s Lifeの題名で投稿されました。