すべての母親は、育てた子供が1人だろうと12人だろうと尊ばれるべきだと思っています。育てた子供を産んではいなくても、あなたは母親です。子供にとって、おば、姉妹、いとこ、あるいは友人も母親であり、尊ぶべき存在です。時間と才能を犠牲にして、自立できない小さな子供の世話をする人は、ノーベル賞にも匹敵すると言っても過言ではないでしょう。

自分を見失わない

わたしは前向きでいるように努力していますが、時にはそのようにいられないこともあります。「自分を見失わない」ということを考えると、人生の現実、特に母親たちについて思い起こします。

例えば、次のような惨事は皆さんの多くにとってなじみ深いものかもしれません。「今日、長男が熱を出して家にいる。スープを作るのに野菜を切っていたら親指を切ってしまい血だらけになってしまった。次男(2歳でまだ着替え途中で裸)は血を見て怖くなり、台所の床一面にそそうをしてしまった。長男は今すぐ来て欲しいと泣き叫ぶ。」これに似た出来事はありませんでしたか?

母親が経験することが何であれ、子供たちにとっては大切なことです。女性や母親についてゴードン・B・ヒンクレー大管長は、かつて2004年の世界指導者訓練集会で次のように述べました。

「わたしたちは女性の力を決して見失ってはなりません。……子供の人生に最も直接的な影響を及ぼすのは母親です。…子供を養い、主の方法で子供を育てるのは母親です。女性たちの影響は計り知れないものです。…女性たちは命の創造者です。子供たちの養育者です。若い女性の教師です。なくてはならない同僚です。神の王国を築くための協力者です。女性の役割はなんと偉大なことでしょう。女性たちの貢献はまさに驚くべきものです。」

買い物帰りに我が家の子供たちの次のような会話を聞いたことがあります。

1.「誰も宿題していないよ。」(私たちはホームスクールをしていました)

2.「あの子は芝刈りをしたくなかったんだよ。」(当時13歳の長男)

3.「お隣の子供はサッカーでズルしてたよ。」(両方とも11歳)

4.「お姉ちゃんが弟をぶった。」

5.「弟がぶちかえした。」

6.「お兄ちゃんが弟をクローゼットに閉じ込めた。」

7.「みんながナオミを怒鳴ってたよ。」

8.「ナオミが戻って来てわざと僕にぶつかった。」

9.「ナオミが輪ゴムでリディア(3歳)を撃ったんだよ。」

などです。どのような口論、けんかがあろうとも、ヒンクレー大管長がおっしゃったことを思い出すことが大切です。主に頼って子育てをすることを覚えて実践し続けましょう。

母親の役割

ラッセル・M・ネルソン長老の「女性を敬う神聖な義務」という説教の中で、末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会が1935年に宣言した言葉を引用しました。

「母親の役割は,神の役割に近いものです。それは人間が行う最も高貴で神聖な業で…その神聖な召しを敬う母親を天使の次に置くものです。」

祖母としても、私は多くのストレスに満ちた興味深い経験をしました。それはすべての母親が人生の多くの困難と結びつけることができます。祖母も例外ではないんです。

数年前、私は娘夫婦の元を訪れ、5歳と3歳のとてもお転婆な孫娘の面倒を見ました。このようにして絆を強めると同時に、孫たちの世話をする時間があるのは幸運なことです。

残念なことに私が日曜に娘のところへ到着した時、彼女はインフルエンザにかかっており、なんとか治そうとしていました。幸運なことに回復し、娘夫婦は目的地に向かって出発することができました。不幸なことに私が今度は24時間のインフルエンザにかかり、回復を待たなければなりませんでした。二人の孫たちを8時にベッドにつかせて、次の日までに治そうとしました。しかし、それから彼女たちを落ち着かせて眠らせるまでには少なくとも1時間かかりました。幸い彼女たちは眠り、私も寝ました。

私たちは子育てで意外なことが起きて笑うこともあります。「家族:世界への宣言」にもあるように、教会員の女性たちは何が重要なのかを知っています。彼女たちは母親の神聖な責任がどれほど重要であるかを理解し、愛と正義によって子育てをすること尊びます。

世界にとって、母親の人生は偉大な価値があります。母親たちは彼女たちに関わる人々にとって、特別な使命を果たし、母親として喜びを見出すことでしょう。

 

これはバレリー・スタイムレがもともとはldsblogs.comに投稿したものです。高根澤リエが翻訳しました。