以前、わたしはホストファミリーとの出会いについてと、神様の導きについての記事を書きました。彼らとの出会いと経験は、一生忘れることのない財産です。彼らとの出会いがあったからバプテスマを受ける決意ができ、今のわたしがあります。ホストファミリーの長女と英会話で初めて会い、彼女がその日に他の地から転勤してきたと聞いた時、それは偶然でありつつも奇跡であり、導かれていると感じました。きっとこの教会の教えを聞いて、入信し、キリスト教徒として過ごすんだなぁという気持ちがありました。

レッスンを受けた1ヶ月間、正直、何を学んだのか覚えていません。今でも覚えていることは、宣教師たちが一生懸命レッスンを暗記して、それを伝えようとしているなぁと関心を持っていたことだけです。今は違いますが、以前は宣教師はレッスン内容を一語一句完全に暗記して教えていたのです。沢山わからない単語があり、宣教師に聞いても自分の母国語ではないので難しいみたいで、あまり理解できませんでした。それでも、ある一定の決意なしにバプテスマを受けることはできません。

バプテスマを決意するまでの試練

大変だと思ったのは知恵の言葉でした。当時、名古屋の高校に2時間以上かけて通っていたので、帰りに姉と名古屋駅で会い、スターバックスでコーヒーを一緒に飲んだり、駅にあるコンビニでリプトンの紅茶を買って、電車の中で飲んだりしていました。宣教師から知恵の言葉について学んだ時、「そんなのできないよ」と即答しました。宣教師はまず1週間試すように、わたしにチャレンジをしました。彼らは毎日電話をし、励ましてくれました。わたしは、この教えが真実なのであれば、この先ずっと守ろうと心の中で決意をしました。

次に宣教師は、日曜日に教会に来なければならないと言いました。でも、わたしはオーケストラの練習が毎週日曜日にあって、教会には来れないと言いました。宣教師は、1回でいいから教会に日曜日に来てほしいと言われ、オーケストラの練習を休んで教会へと行きました。初めてキリスト教の礼拝に参加し、なんだかよそ者のように感じて落ち着きませんでしたが、教会や教会員の雰囲気がどこか世の中と違うように感じました。宣教師は後に、月に2回日曜日に教会に来るようにとわたしに尋ねたので、何とかしますと伝えました。

宣教師はわたしと仲良くしてくれ、素晴らしい友達として接してくれました。彼らがバスケや他の活動をするときに一緒に行動したり、わたしの母が宣教師に週に数回食事を提供してくれました。長老たちは王将が好きで、一緒に王将に行ったりして毎日が充実していました。彼らの優しさと気遣いに触れ、それを心から理解した時、たとえ教えられていることが完全に理解できなくても、教えられた戒めは守らないといけないという感情にかられました。バプテスマを受けるまでに知恵の言葉を守ること、毎週日曜日に教会に行くこと、そのほかすべての戒めを守り抜いていくことを決意しました。

決意を助けてくれたもの

わたしが決意できたのは、モルモン書を読み、お祈りをし、素晴らしい宣教師の模範とフレンドシップがあったからです。彼らの模範を通して、この教会がキリストの教会であり、正しいことを教えているという実感が持てました。彼らを見て、わたしも将来、彼らのように素晴らしい宣教師になりたいと思いました。そのために、わたしは小さな信仰を少しづつ強めていく決意をしました。

バプテスマを受けてから今年で14年になります。家族が教会員でないために、価値観の違いから意見が合わないことも沢山ありました。それでも、色々な決意をして末日聖徒イエス・キリスト教会の会員となったことに何一つ後悔はなく、今ではわたしとわたしの家族にとって、大きな祝福であることを確信しています。

 

この記事は福井敏敬によって書かれました。