故人であるボイド・K・パッカー会長、L・トム・ペリー長老、リチャード・G・スコット長老はそれぞれ1970年から、1974年、1988年と長い間、私たちと共にいました。合わせて103年の彼らの使徒としての務めは、モルモン教にとってかけがえのないものでした。私たちはパッカー会長の深い知識、ペリー長老の素晴らしいユーモアや、スコット長老の柔和さを決して忘れることはないでしょう。しかし、十二使徒の職の空席は埋められる必要があり、それは前回の総大会で行われました。
幹部の兄弟達は皆同じ背景を持っている訳ではなく、それぞれの異なる強さ、背景を持ち、人々の生活に独特の方法で触れています。事実、彼らの特徴について考えてみると、ただ一つの明らかで共通する点は主イエス・キリストへの力強い証です。

使徒達は全世界のモルモン教の会員の暮らしに影響を与えます。使徒達は毎回の総大会で話すことに加え、初期のキリスト教におけるパウロやペテロのように指示や導きを人々から求められています。そして使徒達が召された順番は、将来の教会の大管長会に仕える基準を決めることになるので、一度に複数の使徒が召される時に何が起こるかを理解することが大切です。

ここでそのプロセスを簡単に要約します。

大管長会のメンバーと十二使徒定員会は使徒です。15人のうちの1人が亡くなれば、新しい使徒が後任に召されます。先任の使徒、十二使徒として最も任期の長い人が次期教会の大管長となります。預言者が亡くなるようなことがあれば、彼は後任となります。

 

同じ日に複数の使徒が召された場合、先任順をどのように決めるのですか?

パッカー会長、ペリー長老、スコット長老が亡くなった後、この質問は特に意義のあるものです。前回の総大会の間に新たな3人の使徒が召される可能性は非常に高く、またどのような先任順となるかは教会で歴史的に大きな影響を与えると予想されました。

現在、最も任期の長い使徒はラッセル・Mネルソン長老とダリン・H・オークス長老で、二人とも1984年4月7日に使徒となりました。彼らは同じ日に召されたにも関わらず、ネルソン長老はオークス長老の年長として先になりました。それゆえモンソン大管長が亡くなった場合はネルソン長老が教会の大管長となると仮定できるでしょう。

先任順は常に聖任順によって決まりますが、歴史的に見ると、年齢が聖任順を決定する要素となっています。召しが与えられた時、ネルソン長老は60歳で、オークス長老は52歳でした。教会歴史では使徒達は何度も同時に支持され、年齢が上の使徒は一つの例外を除いて常に先任使徒となりました。

直近の例として、2004年10月7日にディーター・F・ウークトドルフ長老とデビッド・A・ベドナー長老の二人が使徒の職に召された時のことがあります。先任のウークトドルフ長老は64歳、ベドナー長老は52歳でした。

同様に、1943年10月7日にスペンサー・W・キンボール長老とエズラ・タフト・ベンソン長老が使徒の職に召されました。キンボール長老は先任の使徒で48歳、ベンソン長老は44歳でした。この場合、最終的には二人共、教会の大管長となり、特に印象に残るものとなりました。ハロルド・B・リー大管長の死後、キンボール大管長は1973年から1985年に亡くなるまで教会を導きました。その後ベンソン大管長が大管長となり、1994年まで奉仕しました。これが今までの21年間に教会の大管長会が決められた理由です。

 

最後に3人の使徒が同時に召されたのはいつでしょうか?

3人の使徒が同時に召された時のことで、召し/年齢について一つの明らかな例外があります。1906年4月の総大会に先立って一人の使徒が亡くなり、他の二人の使徒は一夫多妻をやめる公式の宣言の決定に抗議し、辞職し、三人の欠員が出ました。そこで4月の総大会でジョージ・F・リチャーズ長老、オーソン・F・ホイットニー長老、デビッド・O・マッケイの順で召されました。この場合、年齢は先任順の決定にはなりませんでした。ホイットニー長老はリチャーズ長老より6歳年上でした。また興味深いのは、将来大管長となるデビッド・O・マッケイは召しを受けた時、わずか32歳でした。

最初の十二使徒定員会が同時に召された教会の初期の時代にもっぱら年齢によって決められて以来、年齢はなんらかの形で組織を年齢順で構成することに影響を与えました。それについて教会の公式声明はなく、そして教会の手引きで年齢が先任順の決定要因であると明言している箇所を見つけることは出来ませんが、今日二人以上の使徒を召す時にその役割はまだあるように見えます。

誰がどのような方法で召され任命されるかというのを考えずとも、前回の総大会で、複数の使徒が召されるというのはそれでもなお、重大なことです。200年近くの教会歴史の中で、それはあまり頻繁に起こることではないということを考慮に入れると、これは歴史的なことだと言えるでしょう。

長い目で見れば、誰が召され、どのような順序であっても主が命じておられることを私たちは知っているのです。主が誰を召すように霊感を与えられたとしても、彼は十二使徒定員会のメンバーとしてどの位置にあろうとも、救い主とその福音について言葉や行いにおいて特別な証人となるでしょう。

 

 

この記事はもともとLDSリビングに掲載されたものです。