編集者の一言:前回の投稿ではサタンが本当に実在することについてお話ししました。今回は実際にサタンが何者で何をするかを紹介します。

打ち破るためには敵を知らなければならない

サタンは現実の存在で,わたしたちは彼が何者で、何をするのかを理解しなければなりません。わたしたちは彼の働きがどういうものであるかを知る必要があります。戦争で勝つには敵を理解しなければなりません。それでサタンが何ものであるかだけでなくその戦略も知る必要があります。イエス・キリストの使徒であるジェフリー・R・ホランド長老は次のように語っています。

「まず最初に,「ルシフェル」とか「偽りの父」とも呼ばれるサタンは,どのように呼ばれようとも悪の化身として実在するということです。いかなる場合もサタンの動機は悪意に満ちています。贖あがないの光が現れたり,人が真理について少しでも考えたりするとサタンは身を震わせます。次に,サタンは神の愛やイエス・キリストの贖しょく罪ざい,平和と救いの業に対して永遠に敵対するということです。サタンはこれらに反対して,時と場所を問わず力の限り戦います。自分が最後には敗北して追放されることを知っていますが,できるかぎり多くの人を道連れにする覚悟でいます。」

それで,どうやったらこの戦いの中でサタンの犠牲者にならずに済むでしょうか。そこで宗教が必要になってきます。わたしたちは基本的な道徳的な価値観を学び,聖典や教会で善悪の区別についても学びます。互いにどう扱い合い,どのような扱いの仕方は避けるべきかについても学びます。わたしたちは黄金律についても,善きサマリヤ人の模範も学びます。わたしたちは自分たちが兄弟の番人であることを学びます。それが大聖堂,お寺,大伽藍,教会堂,あるいはモスクであれ,どこででも,これらの価値を霊的、宗教的な教師のもとで学びます。この理由で,ド・トクヴィルは,もし宗教が民主主義の中に深く根をおろしたなら,それをかけがえのない遺産として保ちなさいと語ったのです。ド・トクヴィルはアメリカの民主主義について研究し,そのテーマで数冊の本を書いていますが,次のように語りました。

「アメリカが良いのはそれが善であるからで,もし,アメリカが善であることをやめたら,アメリカの偉大さは終わるでしょう。」(ジェレルド・L・ニュークィスト編纂,預言者,原則,国家の存続,ソールトレイク市:パブリッシャーズ出版,1967年,60ページ)

この引用から学べるのは2点です。アメリカは善良である時にのみ偉大であること。次に,アメリカ人はどのように善良になるかを学ばなければ善良になれない。

 

十戒:わたしたちを測る尺度

十戒

アメリカ合衆国はユダヤ教とキリスト教の価値と信条に基づいて築かれました。このことはほかの宗教がわたしたちの市民に対し持っている活力や影響を減ずるものではありません。それらの教えは,わたしたちが互いにどう扱えばを教えているので皆大事です。しかし,わたしたちがこの社会の中で宗教の価値を失えば,わたしたちは社会として道徳のコンパスを失い,つまりわたしたちのガイドを失います。そうすると,十戒はわたしたちが社会としてどのように善良な者になれるかを教えるガイドになってくれます。そして,わたしたちの道徳的なコンパスが狂っていないかを教えてくれます。ペリー長老の言葉によると:

自分たちの状態を測り,前の世代と比較する一つの方法として,人類が知る最古の基準の一つ,すなわち十戒があります。文明社会の大部分,特にユダヤ教とキリスト教の世界において,十戒は善悪を区別するための,最も広く受け入れられている永続的な基準です。

わたしが思うに,十戒のうち4つはこれまでと同じようにまじめに受け止められています。文化的にも,わたしたちは殺人や盗みや偽証を嫌って強く非難していますし,親に対する子供の責任についても信じています。

しかし,社会全体としては,日常的に残りの6つの戒めをないがしろにしています。」 

ペリー長老は,これらのことはほかの「神々」あるいは優先事項を真実の神の前に置くことで,有名人や富やあるいは偶像ないしは物体を偶像化したり,のろったりほかの不敬なことをすることであると言っています。また、神の御名を誤って使ったり,安息日を聖なるものとしてではなく買い物や遊びの日にしたり,どん欲になったり,結婚以外の関係で,性的な関係を「レクレーションや娯楽」として扱ったりすることであると説明しています。(出エジプト20:3−17参照)これらの戒めを無視することは,神とその権威に対する尊敬の気持ちを失うことになります。そして,それはまたあらゆる権威に対する尊敬を失うことにもつながります。より高い力(神)に対して責任があると感じていない人は自分の行為に対して吟味する理由がありません。そして,アメリカ人と彼らの家族はその代価を払っています。ペリー長老がそのことについて述べているのは:

「結婚の神聖さを軽視する態度がもたらすおもな影響は,家族に及ぶ結果です。家族のきずなは恐ろしい速さで弱まっており,この弱体化は広範囲にわたって社会に損害を及ぼしています。そこには直接的な因果関係が見えます。結婚した伴侶への献身と貞節を捨てるとき,社会をつなぎ合わせている糸も切ってしまうのです。」 

そしてこのような弱体化が起こるにつれてわたしたちは神やその戒めに対する尊敬や愛を失います。モルモン教では、十戒はわたしたちの行く手をガイドしてくれる普遍的な真理であると教えていますが、この戒めの中にある知恵を理解するためにユダヤ教徒であったり,クリスチャンであったりする必要はありません。どの神を崇拝する人に対しても,それは自分たちが善良で,良心的な人になることを思い出させてくれます。