2016年9月25日、それはうだるように暑い秋の午後でした。妹とわたしは、車でアラバマ州モンゴメリー通りを運転し、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の家があるレベレンド通りへ向かっていました。

キング牧師は、1954年から1960年の間、モンゴメリーに住んでいました。人権運動のきっかけとなったバス・ボイコットが起こったころ(1955年から1956年)のことです。

白い木造の家には、レンガが敷きつめられた歩道が玄関先まで続いていました。特別なものではなくありきたりな家に見えます。ただ他の家と異なるのは、玄関が典型的なアメリカ南部のものとは全く違った造りになっているところです。それはキング牧師が近くの教会で説教をしている間に、白人の至上主義者たちが家に投げた爆発物によって損なわれてしまったためでした。キング牧師の妻、コレッタ・スコット・キングと生後7ヶ月の娘ヨランダは、当時家にいましたが二人ともこの攻撃による怪我はありませんでした。

脅迫電話

ツアーガイドの86歳の黒人女性は、わたしたちを家の中へと案内してくれました。彼女は、小さな居間、書斎、ダイニング・ルーム、そしてキング牧師が絶えず殺害の脅迫電話の攻撃を受けた電話を見せてくれました。

黄色の壁の台所には、小さなオーブン付きコンロがあり、その上にはやかんが乗っていて、その他に流し、窓、冷蔵庫、テーブルがありました。

マーティン・ルーサー・キング牧師が脅迫を受けたキッチン

ツアーガイドがキング牧師の録音を流している間、部屋では誰も話をする人はいませんでした。

録音から「それは真夜中のころでした。真夜中には奇妙なことが起こるものです」とキング牧師の声が聞こえました。キング牧師がまた脅迫電話を受けたのも、1956年1月の真夜中のことだったそうです。電話の向こうの声は、キング牧師を侮辱的な名前で呼び、「お前にも、お前が引き起こした面倒な騒ぎにも、うんざりしている。三日以内にこの街を出て行かないならば、お前の脳みそを撃ち抜き、家も吹き飛ばしてやる」と言ったそうです。

キング牧師は、このメッセージに心底震えさせられたと話しました。

「わたしはそこに座り、生まれたばかりの可愛い娘のことを思いました…。わたしの人生の最愛の娘です。毎晩、娘の可愛い笑顔を見るのが楽しみでした。テーブルに座り、娘のことを考え、今すぐにでも誰かが娘を連れ去ってしまうかもしれないと考えました…。そして宗教と面と向き合わなければならないと理解しました。自分自身で神を知る必要がありました。このことを決して忘れはしません。わたしはあの晩、コーヒーカップを前に頭を垂れ、声をあげて祈りを捧げました。」

「わたしは、『主よ、わたしはここで正しいことをしようとしています。自分が正しいと感じていますし、わたしたちの動機も正しいと考えています。しかし主よ、わたしは今悟ってしまったことを認めます。揺らいでいるのです。勇気を失いつつあります。こんなわたしを人々に見せるわけにはいきません。もし彼らがわたしの気が弱くなっているのを知り、勇気を失っているのを見たならば、彼らも力を失うでしょう』と祈りました。するとそのとき、わたしは内なる声が『マーティン・ルーサー、正義のために立ち向かいなさい。真実を守りなさい。見よ、この世が終わろうとも、わたしはあなたとともにいるであろう』…と言われるのが聞こえました。 さらに奮闘するようにと言われるキリストの声を聞きました。主は決して、決してわたしを一人にはされないと約束されました。決して一人にはされないのです。決してです。主はわたしから離れない、決して一人にはされないと約束されました。」

ツアーガイドは録音を止めましたが、キング牧師の声は、家の至る所に生き続けているように思えました。

もう一つの理由

マーティン・ルーサー・キング牧師のポートレイト

突然、わたしの理解の目が開けました。幾度となく毎日毎分キング牧師が感じた、自分は死ぬかもしれないという否定できない恐怖を、わたしはその時生まれて初めて感じました。わたしは、彼の妻と幼い娘のことを考え、家族から引き離された残酷な光景を思いました。台所の小さなテーブルに座り、コーヒーカップを前にし、頭を垂れ、神に祈るキング牧師を想像すると、突然わたしの胸は痛みました。

しかし同時に、わたしの背後の台所の窓から光が差し込むと、わたしには「愛」としか表現することができない、否定できない力強い温かさに包まれる感じがしました。

正義のため、また、いつか肌の色ではなく、それぞれの性質によって評価される世界に、子供たちが暮らせるよう呼び求めた「わたしには夢がある」のスピーチはキング牧師の最も有名な演説です。キング牧師と言えば、これらの言葉を思い出すでしょう。

しかしわたしにとって、キング牧師を覚え、称賛の意を持つ理由はあの晩にもあります。あの真夜中の晩に勇気を見失わなかったことです。牧師が初期のころ、正義を守るようにとの神の声を聞いた話を考える時に、もし今日彼と話すことができたなら、ほんの少しでも彼と時間を過ごすことができたなら、あの声を信じてくれたこと、虐げられた人々により良い生活を信じるようにと教えてくれたことに感謝したいです。今日世界は、未だ完璧からはほど遠い状況にあります。わたしは、キング牧師は完全無欠ではなかったことを認める一方で、彼がいなかったなら、わたしたちはもっと理想に近づいていただろうという意見には反対します。

多くの意見や強い信念、頻繁に憎しみが存在する時代の中で、わたしたちが、このモンゴメリーの小さな白い家を思い出すことができますように。わたしたちは「決して一人ではない」ことと、最も大切なことへの勇気をあきらめないことを覚えておくことができますように。そして、わたしたちが正義を守ることを忘れずにいられますように。わたしたちがこの地上での召しを果たし終えた時に、キング牧師がしたように、自信を持って自分の家庭と家族と国家を去ることができますように。

これが、わたしの夢です。

この記事はもともとDanielle Christensenによって書かれ、ldsliving.comに”Never Alone”: The Unforgettable Lesson of Faith I Learned in Dr. Martin Luther King Jr.’s Homeの題名で投稿されました。