覚えているかもしれませんが、最近わたしは自分の目標に到達するために個人的にトレーナーを雇いました。彼はわたしの毎日の食事と運動の計画を立てます。公式は単純です。もし結果が見たければ計画に従います。面白いのは、わたしが他の人たちに一週間の計画について話すと、みんなが自分なら違う風にやるということを喜んで話すことです。その度に同じ筋書きに直面します。。。それはいいけど、これを加えた方がいいとか、これは要らないとか、それは変えなさいとかの意見をもらうことです。時々、格闘はわたし自身の中からも起こります。自分は本当に十分一生懸命やっているだろうか?もう少し食べて、運動をもっとした方がいいのか、等です。

戒めを守ることで、減量する

戒めを守ればこの地で栄える

とうとう、先日聖典を読んでいた時にある考えが浮かびました。「戒めを守るならばこの地で栄える。」確かにそうなのだと思います。不思議なことにわたしは自分のトレーナーの提案が必要で、それを自分の身体に対する戒めのように扱う必要があったのです。

わたしは戒めを守ることによって祝福を見てきました。例えば、什分の一を払う時に、経済的にうまく物事が運びます。神殿に参入すると、生活の中に平安が増します。だから、自分のコーチの戒めを守れば同じように祝福されるのではないでしょうか。とにかく、このことは知恵の言葉をもっと良く生活に取り入れるということではないかと気が付きました。

トレーナーの戒めを守って走る

このように考えることによって、もっとわたしのトレーナーに対する信頼が増しました。時々彼はわたしの好きではないもの(例えば、卵)を勧めたり、理解できないことを求めたりしますが、わたしがトレーナーの助言に従えば従うほど、自分の目標に到達できるという自信が増していることに気が付きました。

戒めによって神に近づく

さらに、この経験によって天の父に対する信仰が強まりました。神は人生における究極的なトレーナーです。何をすればわたしがもっとも成長し、もっとも幸せになれるかを御存知です。わたしがそこに到達できるように助ける手段をお持ちです。わたしが神に心を向けて助けを求めるときに、個人の啓示によってわたしの生活に必要な、もっと具体的な戒めを与えることがおできになります。わたしが一番成長できるようにすべきことを指示なさることができます。

天の父はわたしが必ずしも好きではないこと(試練)を通して、霊的な筋肉を強めて下さいます。わたしの人格を形作ることがおできです。御父を信頼するときに、自分の究極的な目標である御元に戻って永遠の命を得ることが達成できることを知って自信と平安が増す生き方ができます。教義と聖約の123:17から学べるように、自分の力の範囲内にあることをすべて快活に行なうときに、神の救いを見るという最高の確信を持ってしっかりと立つことができます。

わたしがチャレンジしたいことは、そのような信頼の絆を強めることが必要な人を捜し、絆を改善することです。その絆を強めようとする相手は、神かもしれませんし、家族の一員かもしれません、又は友だちの一人かもしれません。その絆を強めるときに、親しみが増し、その人に対する愛が深まることを約束します。

 

この記事はアシュリー・デューイによって書かれ、LDSブログに投稿されました。