現代の生活におけるストレスは大変なものです。光速で進んでいく、とにかく早く対応して解決することを求められる現代の風潮の中で、一息つく暇はほとんどありません。取り直したり、落ち着く時間もなかなかありません。画面を通して、理想や完璧さを画にしたような画像や映像を目にし、それに近づこうとしなければならないような気持ちになってしまいます。予定をつめ過ぎ、自分自身に不可能な標準を設定してしまいます。そしてソーシャルメディアをチェックしながら、自分がその標準に沿っているかを確認しながら生活していることでしょう。

それは交際、結婚、家族、学校、仕事、失業、死、失恋などの人生におけるさらに深い質問には一切触れる以前のことです。これらすべては深刻で、時にはわたしたちを衰弱させるほどのストレスへと繋がります。わたし自身も、わたしたちにストレスを感じさせることについて考えただけでストレスを感じてきました。

そこで本当に大切なのは、ストレスを感じていることを認識するだけではなく、それにどう対処するか知ることです。わたしはストレスを感じるのは好きではありませんし、ほとんどの人もそうだと思います。仕事が進むようにモチベーションとなる多少のストレスはもちろんいいものです。しかし、過度のストレスはわたしたちに害を与えます。

わたしは自分のストレスを長年目にしてきました。若い頃は、大きなお皿いっぱいのアイスクリームが解決策だと自分をだましていました。しかし年を重ねるに連れて、ストレスと戦うためのある二つのタイプの運動という対処法に頼るようになりました。

 

体の運動

ひとつ目の運動は、どんな形でも良いのですが体の運動です。あまり具体的ではないって?それでいいんです。どんなことをしているかよりも、しているということが大切です。散歩やグループに参加することからジムに通うことまで、なんでもいいのです。DVDやゲーム機を使ってひとりで運動することまでできます。可能性は空のように広く、わたしは全て試しました。今自分がはまっている運動はダンスです。一時間のヒップホップ、ハウス、ラテンダンスを通してストレスを発散するほど気持ちいいことはありません。

運動するには疲れ過ぎていたり、年を取りすぎていたり、単に時間がないと思っている人は、考え直してみてください。体を動かすことは実際に体力回復になり、肉体を刺激するので若々しく感じるようになります。そして何より体内に排出されるエンドルフィンのおかげで幸せな気持ちになることができます。だから最も多忙な日でさえ、ストレスの対処法として軽い運動をすることは価値のあることです。

 

信仰の運動

でも体の運動だけでは不十分です。ストレスと正しい観点から向き合うためには信仰を働かせることが必要です。それはどういう意味でしょうか?わたしにとって、それは全てのことは上手くいくと信頼を持つことです。楽観的とも希望とも呼べますし、あなたの道を導く、偉大な力への信仰とも呼べます。しかし、様々なことに多大なストレスを感じる最も暗い日々には、信仰が将来に訪れる落ち着いた日々にあなたを導く光となります。そしてそれは、黙想や祈り、聖典学習、また他の信心深い友人と話をすることなどを通して見いだすことができます。

先日、娘とハッピーエンドについてある会話をしました。誰かが娘に、ハッピーエンドは現実とは違うから間違いだ、と言ったそうです。しかし、わたしと娘は話をしながら、ハッピーエンドを信じることこそが、ストレス戦争の中で進み続けられる方法だという結論にいたりました。わたしたちはハッピーエンド信者です。それが信仰を働かせるということの意味です。それはストレスを感じていても、信仰を働かせればわたしたちのためのハッピーエンドにたどりつくことができるという信条です。それこそがわたしたちが努力し続ける理由です。

 

二つの運動を平行して

個人的には、この二つのコンビネーションが常にストレス対処法のキーとなってきました。良い運動が好きで、運動しない日が何日も続くと我慢できないわたしですが、体の運動だけではストレスによく対処することはできません。でも良い汗をかくことに健康的な信仰を足すことで、すべてどうにかなるから、深く息を吸ってリラックスできると感じられるようになります。

この記事はもともとティファニー・トールマンによって書かれ、faithcounts.comに投稿されました。