神殿結婚によく似ていると表わされる登山の道

 

「主の山」とは、神殿を表しています。今回は山登りを通して学んだ、結婚についての学びと主に頼ることの大切さを紹介します。

 

きっかけは山登り

先週の土曜日、東京神殿に参入した時に心温まる再会に恵まれました。わたしは去年モルモン教の結婚カンファレンス(結婚相手を見つけることを目的とした活動)に参加したのですが、そのカンファレンスに一緒に参加していた兄弟と姉妹がその土曜日に神殿の中で永遠の結婚をしたのです。

そのカンファレンスの主旨は、参加者が山登りを通して神殿結婚をして幸せになることです。メインイベントが登山という非常に過酷なカンファレンスでした。登山中はは登頂するのに必死で、ただ黙々と上を目指す過酷な自分との戦い。登頂中は知り合う時間はほとんどないはずなのに、なぜかこのカンファレンスでは毎年必ず神殿結婚カップルが誕生するのです。

なぜこれほど高い確率でカップルが誕生するのでしょうか。参加者は男女含めて20名前後ですから、参加者が大勢いるわけではありません。この質問を主催者の方に投げかけてみると、「登頂して結束されるのではないか」とのことでした。確かにその通りでした。励まし合いながら登頂、下山するうちに不思議な団結力が生まれていました。そのおかげでカンファレンスの後も会ったりして今も交流が続いています。

私個人の経験としては、登山中は肉体的にも精神的にも追い詰められて、神様に頼らざるを得ませんでした。登山を終えてから前よりも謙遜になりました。自分の弱点に改めて気づき、改善しようと決意しました。

 

主の山、神殿で神の導きを受ける

聖典の中には、主が預言者たちに山の上で導きを与えられた場面がいくつも出てきます。弓が折れてしまい食料確保ができなくなったニーファイは、新しい弓を携えてリアホナ(神の指示器)に従って山の頂に登り野の獣を取ることができました(モルモン書ニーファイ15章参照)。ヤレドの兄弟は船の中に光がなかったので、石を用意して高い山に登りました。そこで主に熱心に祈り求めたので、主はヤレドの兄弟の願いを叶えられました。またそれ以上に偉大なことをお示しになりました(モルモン書エテル3章参照)。他にもきっと山上の導きがたくさんあると思います。

神殿結婚へ、山頂へ、同じ頂きを目指す者たちが結束されて高めあうことは必然的なことなのでしょう。ある参加者は登頂は昇栄の道(神様の御元に戻ること、神のような者になること)に似ていると言いました。とてつもなく長く険しい道でも一歩一歩進んで行けば、必ず到達します。自分で努力しなければなりません。でも道中助けてくれる仲間、聖霊、預言者の導きがあります。イエス・キリストの助けがなければ私たちはそこに行くことができません。

神秘に包まれた山登り、決して楽ではありませんが、そこに達した者には多くの可能性、神様からの導きが待っているのでしょうね。