モルモン書にはイエス・キリストがヤレドの兄弟に語っている箇所があります。「わたしはイエス・キリストである。わたしは父であり、子である。」(エテル書3:14)この宣言は初めて目にすると理解に苦しみますが、主の永遠の役割を見当することによって、なぜキリストが御父であると同時に御子であるのかを理解できます。

 

 神会の方々はどのように一つとなるか

モルモン教会とも呼ばれる末日聖徒イエス・キリスト教会の根本的な信条は信仰箇条の第1条にあります。「わたしたちは永遠の父なる神と、その御子イエス・キリストと、聖霊とを信じる。」このお三方は一緒になって神会を構成されています。モルモンは、御父と御子と聖霊とは身体的に別々の方であると信じています。彼らは神会の方々が、共通の目的である「人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと」(モーセ1:39)のために団結されていると信じています。

モルモン教会の十二使徒の一人であるジェフリー・R・ホランドは、御父と御子という言葉は「その相互に交代できる役割と機能において実質的に同義語」であると述べています(Jeffrey R. Holland, Christ and the New Covenant (Salt Lake City: Deseret Book, 1997), 180)。彼が話した役割の中には次のようなものがあります。

 

父の役割で

キリストが御父と不可分の役割を果たしている時があって、主は義にかなって御父の役割を果たし、そうすることにおいて御父という肩書をもって行動することを義とされました。

このことを理解する助けとして、当然ずっと小さい規模のことですが、母が一時的に家を空ける時に、私に下の兄弟たちの世話を任せる時がありました。彼女は私に自分の代わりに振る舞う責任を与え、母親としての役割をもたせました。ですから母が留守のとき、私は家を奇麗にし、傷ついた気持ちを慰め、平安を保つようにしました。母が通常やっていることです。弟や妹が怒って「あんたは私のお母さんじゃない!」と言う時でさえ、私は母からそうするように割り当てられているので、私は母として行動しても正当だと分かっていました。

御父としての役割としてキリストはいつでも父に代わって話し、行動することが出来ました。御父はこの「天よりの権威の賦与」を御父の霊による初子であり、肉による御父の独り子としてのキリストに与えたのです。

 

御父の世継ぎとして

すべての人類は神の子供で、地上に来る前には天国で神の霊の子として神とともに住んでいました。御父は愛のある方でしたので、子供たちのために成長と救いを得られるように計画を立てられました。イエス・キリストは天の父の、霊の子としての長子です。御父はキリストを御自分の霊の子供たちの救い主、贖い主として選ばれました。ヨハネが次のところで言っているように、キリストは文字通り御父の独り子でした。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

世継ぎは不動産や地位を受ける権利があります。御父の世継ぎとして、キリストは御父から権力と権威を受けました。

 

創造の父として

ヨハネはまたキリストが「初めに神と共にあった。」とそれから、「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」(ヨハネ1:2、3)と述べています。モルモン書はこの点をさらに説明しています。

「見よ、わたしは神の子イエス・キリストである。わたしは天地とその中にある万物を創造した。わたしは初めから父とともにいた。わたしは父におり、父はわたしにおられる。そして、わたしによって父は御名に栄光を受けられた。」(3ニーファイ9:15)

この役割において、御父という名前は文字通りの意味ではありません。むしろ、御父と御子は天と地を創造し、組織されたのです。

英語では、父という言葉が発明に関して、その指導者であり発明家に関連して使われます。例えば、アレクサンダー・グラハム・ベルは電話の父として知られています。ことわざの「必要は発明の母」はもう一つの例ですが、ここで母という言葉には文字通りの意味はありません。

 

救いの父、その福音に生きる人々の父

贖いと復活は、両方ともキリストの贖いによって与えられ、神の子供たちに新しい生活をもたらします。「キリストは文字通り私たちの救いの父です。」主イエス・キリストは次のようにおっしゃっています。「わたしの福音を受け入れる者は皆、わたしの王国において息子であり、娘だからである。」(教義と聖約25:1)

イエス・キリストの福音に生きるということは一生かけてやることです。私たちは一人取り残されるということはありません。御父と御子は父親代わりに支え、指導者となり、矯正し、導き、助けて下さいます。

私にとって御父と御子に再びまみえる日を心に描くことは容易です。私は御父を私の霊の父として、また幸福の計画の父として尊敬しています。その計画により私は地上で生活するという機会を得ました。御父は私の祈りを差し向ける方であり、私が御もとに戻りたいと願っている方です。私は神の従順な御子を尊敬しています。私の救いの源です。私は御子が御父の御業と関連していたことと、御子の模範的な従順さを思い出すことでしょう。私は御父がイエス・キリストを信頼して、御自分の父としての役割に御子が加わるようになさったことをうれしく思います。

 キリストは文字通り神の息子であり、御父の指示の元で父としての役割を果たし、その理由で御父と呼ばれても間違いでありません。いかなる点でもキリストは御父の肩書きを奪ってはいません。

ホランド長老は次のように述べています。「キリストと御父の関係は、救い主の御業に一貫して流れているもっとも麗しく、感動を与えるテーマです。イエスの存在全体、その目的の全体、喜びは、御父を喜ばせ、その意志に従うことにありました。御父のことを常に考え、常に祈っていたようです。」

 

この記事はポーラ・ヒッキンによって書かれました。