現代の啓示は新約聖書に書かれているパウロの「3つの栄光の段階(あるいは天国)」についての教えをはっきりさせています。

私たちは皆「天国」について異なった概念をいだいています。神を信じ、積極的に宗教を実践している人でも、天国がどんな所か正確でしっかりした定義ができないかもしれません。神や天国を信じていないにもかかわらず、ステレオタイプに基づいてフワフワとした雲が浮いていて、羽根を着けた天使がいて、輝いた金の門があるというような漫画のようなイメージを抱いている人たちがいるかもしれません。

しかし、私は1つのことがだれにも共通して当てはまると思います。私の個人的な信条ですが、世界中のたいていの人は死んでから家族と一緒になると信じていると思います。あるいは、少なくとも、いっしょになりたいと望んでいると思います。たいていの人はそのことについて信じている内容は詳細を欠くものかもしれませんが、それぞれの人の心のどこかに死んでから家族と一緒になれるという考えがあって、そのことを必要とし、理解するという生まれつきの習性があると私は信じています。

天国とは何か?

 モルモン教の中では、私たちはだれでも天国に行くと信じています。神はすべての人を公平に裁かれ、神の王国の中のその人にとってふさわしい所に行くという報酬を与えてくださいます。

私たちはもともとキリストによって組織された、キリストの教会が預言者ジョセフ・スミスによって回復されたと信じています。回復の前に、神の私たちに対する計画の基本的な真理の多くが失われていました。回復とともに、私たちは死後どのようなことが起こるのかを学びました。それから私たちの永遠の可能性についても知りました。

天国の3つの王国

基本的に天国には3つの異なる王国があります。最後の裁きで、それぞれの人は永遠の住まいとして1つの特別な栄光の王国に割り当てられます。現代の啓示は新約聖書でパウロの教えにある「三つの栄光の段階(ないしは天国)」について明らかにしてくれました。

1コリント15:40−41には使徒パウロが異なった栄光の段階について教えています。

「天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っている。日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。」

3つの栄光の段階とは、日の栄えの王国と月の栄えの王国と星の栄えの王国です。それぞれの特徴を以下で参照できます。

日の栄えの王国

ここが天の父とイエス・キリストがいらっしゃる所です。人々は幸福で、私たちが想像できないほど美しい所だと言われています。この王国に住む人々は天の父とイエスを愛し、彼らに従うことを選ぶ人です。彼らはあらゆる罪を悔い改め、イエスを自分の救い主として受け入れます。彼らはバプテスマを受け、聖霊の賜物を受けた人々です。彼らは聖霊の力によってイエスが救い主であるという証を受けています。

月の栄えの王国

この王国は日の栄えの王国ほど輝かしい場所ではありません。イエスもこの王国を訪れますが、ここに住む人々は天の父のみ側に居ることはありません。神のお持ちのものをすべて共有することはできません。それでもこの月の栄えに行く人々は誉れある人々です。天の父はこれらの人々にふさわしい幸福を授けられます。

星の栄えの王国

この王国は日の栄光の王国や月の栄えより寂しい所です。天の父もイエスもこの王国にいる人々を訪れません。天使がこれらの人々を訪問します。彼らには聖霊の影響が与えられます。この星の栄えの王国に住む人々は、地上でも霊界でも、福音を受け入れず、イエスの証もありません。天の父はこれらの人々にふさわしい幸福を授けられます。

神殿の中でかいま見る天国

アメリカのテレビ会社は2012年に天国についての宗教的な信条についてのシリーズの一部として、モルモン教についてレポートしました。

モルモン教の神殿の中には日の栄えの部屋があります。その部屋には高い天井があり、心地よい家具、美しいシャンデリア、美しい壁画があります。又、霊妙な明るさがあり、天国のイメージを感じさせてくれます。

この部屋の目的は、「私たちに自分が神の所に戻ろうとしていることを思い出させます。私たちは天国に戻る道筋にいるのです。」とモルモン教の指導者の一人であるウォーカー長老は述べています。(バーバラ・ウォルターズとのインタビューから)

モルモン教にとって、天国は3つの段階があり、最も忠義な人々は一番高い所に住みます。「私たちの信条と信仰について際立っていることは、私たちはただイエスを信じているということによって、まっすぐ天に行けるとは思っていないことです。私たちは、自分の人生をどのように生きたかということによって評価されると信じています。ほかの人々を愛して生活をしたか、社会に貢献したか、神の戒めを守ったかということによって評価されると信じています。

モルモンニュースルーム は天国について次のように説明しています。

モルモン教の教えでは、私たちが死後どこに行くかは、イエス・キリストを受け入れ、神に従った度合いによって決まるのです。それと同時に私たちの心の願いにより、またその願いをどのように実行に移したかによって決まるのです。それに加えて、私たちが死後どこに行くかは、本質的な儀式(例えばバプテスマなど)を受けたかどうかに依存します。それらの儀式は私たちが悔い改め、進歩し、清めをする段階で私たちの助けになります。

すべての人は違う環境に育ちます。モルモン教では、正義で憐れみ深い神は私たちの異なったレベルの知識や真理を学ぶ機会に恵まれていたかどうかを考慮して裁きをなさると信じています。この事を念頭に置いて、モルモン教の聖典は、すべての者は最終的に、「進んで受け入れるものを享受する」のであり、そう願うものには、「父がもっておられるすべてが、彼に与えられるであろう」と約束されています。(教義と聖約88:32;84:38)言葉を替えて言えば、来世で受けるものはこの世で何を本当に望んだかによって決まるのです。

イエス・キリストが永遠の生命を可能にする

ある人々は誤解したり、特別な信条を持っていたりして、モルモン教の会員が新約聖書の使徒パウロによって教えられた教義を解釈して、天国への道を自分で「働き」あるいは「買い取る」ことができるという意味に取っていると思っています。

モルモン教はキリスト教の一派で、その教義は、御子イエス・キリストの生涯の働きと贖いによって可能になり、天の父によって計画された幸福の計画に基づいています。私たちは救い主なしでは何もできず、主の贖いがあって初めて救われると信じています。

モルモン書(聖書と対をなす聖典でキリストを証する)の中では次のように述べられています。

「見よ、これらのことが真実であるように、また主なる神が生きておられるように確かに、わたしが語ってきたイエス・キリストのほかに、人に救いを与えることのできる名は天下に与えられていないということを、あなたがたに言っておく。」(2ニーファイ25:20

モルモン教では、私たちは行動とよい生活をすることによって、神の戒めに従順であるべきだということを信じています。私たちがそう信じるのは、キリストの贖いを否定するのではなく、むしろそれを受け入れるからです。私たちは、自分の弱点を変えようとせず、あるいは悔い改めようとしない時にはキリストの贖いの賜物が私たちの生活で機能しないと信じています。

十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は救い主の恵みが私たちを救うことについて述べています。

さらに、肉体の復活は無条件で与えられ、キリストからの普遍的な賜物ですが、それは主が死に打ち勝った結果です。しかし、その復活したからだの性質(あるいはそれに付与される「栄光の段階」)は、また復活する時期は、この世の生活においてその人がどれほど忠実であったかによって直接的に影響されます。例えば、使徒のパウロがはっきりさせているのは、キリストに完全に固い決意をしている人は、復活の時に「最初に出て来る」人たちです。現代の啓示は復活体の異なるレベルについて明らかにしていて、イエス・キリストの福音の原則と儀式に注意を払った人たちのみに最も高い栄光の段階が約束されているのです。

もちろん無条件に与えられる祝福も、条件付きの祝福も、キリストの恵みなくしては受けられません。明らかに無条件の贖いの祝福は自分の努力で得たものではありません。しかし、条件付きのものも、完全に自分の努力次第で得られるものではありません。忠実に生き、神の戒めを守ることにより、余分の特権を受けることができますが、それらは自由に与えられるものであり、自分の力で獲得したとは言えないのです。モルモン書は力強く次の点を宣言しています。「聖なるメシヤの功徳と憐れみと恵みによらなければ、だれも神の御前に住めるものがいない」と。

 

神殿は私たちが天国に近づく助けになる

イエス・キリスト教会が神殿を建てる主要な理由の1つは、私たちに天国と天の父とイエス・キリストについて思い出させ、もっと近くなれるようにするためです。神殿の中で、私たちは家族を永遠に結ぶ、ないしは「結び固める」のです。この世だけでなく、死んだ後も。神殿の中で、私たちは天の父のもとに戻る方法を学びます。そして、神殿の中のものは私たちに天国にあるものについて思い出させます。

Mormon.orgの家族についてのトピックには、LDSの神殿結婚と天国についての教義についてとてもよい説明があります。

たいていの人は両者が深く愛し、互いによく合っているという条件で天国で結婚するのはまれであると考えています。私たちは、すべての私たちの結婚は天国でなされていると考えたいと思います。男女が私たちの聖なる神殿に入り結婚するとき、彼らは永遠にいっしょになると聖約(約束)します。地上でも死んだ後天国でも。もし私たちが互いに貞節で、主に対して約束したことに忠実ならば、永遠の絆が可能になります。神殿での結婚には、「死が二人を分つまで」とか「生きている間」という表現がありません。これらの約束を守れば、私たちの子供たちはこの天における約束の一部になり、私たちに永遠に結び固められるのです。