信念とは、「意見とか確信で,あることの存在などについてしっかりとした証拠をすぐには見つけられないようなことに対する確信」と定義されています。 [1].

人は最終的には偽りであると証明されるようなことも信ずることが可能です。例えば,地球が平であるとか,地球が太陽系の中心にあるというような事柄についてです。

信仰は「神に対して信ずる気持ち,あるいは宗教の教義や教えを信ずる気持ち」と定義されます。[2]啓示によって,預言者ジョセフ・スミスは本当の信仰にするための3つの構成要素を指摘しました。

 

信仰は行の原

信仰は人が見たことのないある物事の存在について保証する気持ちで,すべての知的な存在に行動を起こさせる原則です。。。。。ここでどのような合理的で知的な存在が神に信仰を持って命や救いに至るために必要な3つの事柄について考えてみましょう。最初は,神が実在されるという考えです。2番目は,神の特質,完全性,また諸特質についての正しい考えです。3番目は,自分の取ろうとしている生き方が神の御心に一致しているという確かな知識です。これらの3つの大切な事実がなければ,理性のあるいかなる人の信仰も,不完全で生産的でないものになってしまいます。しかし,これらの理解がある人はだれであっても,完全になれ,生産的で,正義にあふれ,父なる神と主イエスを讃え,御二方に栄光を帰することができるようになります。[1]

これらのどの原則でも無視するならば,人の確信は信じることだけで,信仰ではなくなります。

もう一つの大切な信念と信仰の違いは,信仰は救いに導き,行動へ移させる確かな気持ちです。

信仰と信念は時には同義語と見なされますが,わたしたちの言語ではそれぞれには特別な意味があります。しかし,初期の用法では両者には大きな使い分けがありませんでした。ですから,聖典の中で多くの箇所で両者は互換性を持っていました。信念は,一つの受け入れられている意味では,単に知的に同意するということですが,信仰は確信や自信でも行動に駆り立てるようなものです。辞書編纂の権威者は現在の英語の用語の中でこの2つをしっかり区別します。それに拠ると信念とは真実ないしは何かの実際の姿に精神的に同意することですが,その同意には道徳的な責任の要素が除外されています。信仰にはその責任が加わっています。信念はある意味で受け身的で,同意や受領のみなのです。信仰の方は活発かつ積極的で行いに導かれるような信頼や確信が抱かれています。キリストに対する信仰は主に対する信念と同時に主に対する信頼を伴っています。人は信念なしに信仰を持てませんが,信念を持っていても信仰がない場合はあります。信仰とは,より鮮明なものとなり,息吹を吹き込まれ,生きている信念なのです。信念もそれよりすぐれていると思われる実際の知識も救いには効果的ではありません。双方とも信仰ではないからです。もし,信念が精神の産物だとすれば,信仰は心のものです。信念は理性に基づいていますが,信仰は主に直感に基づいています。[2]

イエス・キリストははっきりと救いへの道は人が信仰に拠って行動することだと定義なさっていました。つまり,悔い改め,適切な権威をもっている人から受ける浸礼によるバプテスマ,聖霊の賜物を授かること,神の戒めに従い聖約を結び守って生涯を過ごすことです。

 

信仰はすべての救いの教を受け入れる

神とイエス・キリストに対する信仰は福音のあらゆる部分をも受け入れることを含みます。福音の教義のそれぞれの観点は他のものと非常に関連し合っているために,一部だけ受け入れて福音の全体を受け入れないというわけにはいきません。ですから,イエス・キリストを信じるということは,父なる神,御二方を証する預言者,そして神と御子の福音のすべての律法と儀式と聖約を信ずることです。例えば,バプテスマは信じるけれども悔い改めを拒否することは自分の信仰を無効なものにすることです。

ユダヤ人が彼らはモーセを信じていると騒ぎ立てていた時,イエス・キリストは,彼らはそうではないとはっきりおっしゃいました。「もし,あなたがたがモーセを信じたならば,わたしをも信じたであろう。モーセは,わたしについて書いたのである。しかし,モーセの書いたものを信じないならば,どうしてわたしの言葉を信じるだろうか。」(ヨハネ5:46−47)

モルモン書の中で,イエスは同じ原則を教えられました。「わたしの言葉を信じない者は,わたしを,すなわちわたしが実在していることを信じない。わたしを信じない者は,わたしを遣わされた父をも信じない。」(エテル4:10−12)

自分の記録の結びにモルモン書の預言者ニーファイは証しました。「キリストを信じれば,これらの言葉を信じるようになるであろう。これらの言葉はキリストの言葉であり,キリストがわたしに授けてくださったものだからである。」(2ニーファイ33:10)

信仰は正しい原則に基づいている時に,信念から芽を出して育ってくることのできるものです。それでも本当の信仰であるためには,行動が伴わなければならず,そうすれば救いが達成されます。

 

料:

  1. スミス,ジョセフ,「信仰についての講義」,カーバナント・コミュニケーション株式会社,2000年,1番と3番
  2. タルメージ,ジェームズ・E,「信仰箇条」,デゼレトブック社,1990年,96−97ページ