旧約聖書に登場する信仰深い女性

旧約聖書には、アブラハムの息子イサクの妻で、信仰深い女性リベカの素晴らしい物語が載っています。創世記25章には、リベカが不妊だったと書かれています。彼女とイサクの信仰を通して、双子の息子を授かりました。妊娠中、子供たちが胎内で押し合ったので彼女は心配しました。

「22 ところがその子らが胎内で押し合ったので、リベカは言った、『こんなことでは、わたしはどうなるでしょう』。彼女は言って主に尋ねた。」

そして彼女は答えを受けました。主は彼女に、2人の息子たちは別々の国民になり、一つの民がもう一つの民を支配すると告げました。

この物語は、簡潔だが力強い、クリスチャン社会における最初の信仰ある行いの模範の一つです。リベカの夫は神の預言者であり、地上における神のメッセンジャーでした。それにもかかわらず、リベカは彼女の人生におけるこの事柄について主に直接尋ねました。神がわたしたちを見守っておられ、信仰があれば自分自身の人生の答えを受けることができると思い出させる、とても素晴らしい話です。

この物語は、神からの霊的な賜物の例でもあります。この出来事では霊的な賜物は個人の啓示ですが、天からの御霊の賜物はいろいろな形でやって来ます。

霊的な賜物の形

1コリント12章では、これらの霊的な賜物のいくつかについて述べています。

「4 霊の賜物は種々であるが、御霊は同じである。

8 すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、

9 またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、

10 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。」

霊的な賜物は、聖霊を通しての天父からの賜物(贈り物)です。これらの賜物は義を求める人に与えられ、その個人と周りの人の益のために与えられます。

更なる聖句と霊的な賜物のリストは、(モルモン教会と呼ばれてしまうことが多い)末日聖徒イエス・キリスト教会の現代の啓示に見つけることができます。この聖句は教義と聖約46章に見つけられます。

霊的な賜物は神の目的のためにある

この聖句から、御霊の賜物は天の父からであり、義人のためであり、真の探求者、信じる人を益するためであることが分かります。皆が神の賜物をすべて持っているわけではなく、皆が異なる賜物を持っているということも説明しています。

「9 まことに、わたしはあなたがたに言う。それらは、わたしを愛してわたしのすべての戒めを守る者たちと、そうしようと努める者たちのために与えられる。それは、わたしを求める者たちや、わたしに願い求める者たち、願い求めるけれども自分の欲のために使うようにしるしを求めるのではない者たちのすべてが、益を得られるようにするためである。

10 さらにまた、まことに、あなたがたに言う。教会員に与えられているそれらの賜物が何であるか、常に覚えておき、また常に心に留めておくようにと、わたしは望んでいる。

11 すべての人があらゆる賜物を与えられるわけではない。賜物は多くあり、各人に神の御霊によって一つの賜物が与えられるのである。

12 ある人には、イエス・キリストが神の子であり、世の罪のために十字架につけられたことを知ることが、聖霊によって許される。

ウエブサイトLds.orgは霊的な賜物をこう定義しています。

「霊的な賜物は聖霊の力によって神から与えられる祝福または能力を意味します。霊的な賜物は,主を愛し,主の戒めに従おうとする人々を祝福し益するために与えられるものです。」

更なる賜物

2002年に、末日聖徒イエス・キリスト教会のロバート・D・ヘイルズ長老は聖書や教義と聖約46章に挙げられている以上に賜物があり、その賜物はわたしたちの生活すべてに渡って影響を与えると述べました。

「多くの賜物があります。十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老(1915-85)はこのように書いています。『霊的な賜物は、数え切れず、千差万別である。』(A New Witness for the Articles of Faith, 1985年、p371)

御霊の聖なる賜物のうちで、わたしたち一人一人の生活に影響を与えると思うものは、預言と啓示の賜物です。この賜物は、神権系統の預言者の職とは異なります。預言の賜物は、イエスに対する証です。

わたしの人生における霊的な賜物

わたしは、霊的な賜物をわたしの周りで見てきました。わたしの兄弟はブラジルで伝道してポルトガル語を流暢に話し、「異言を語る」を手に入れました。世界中350の国々に、イエス・キリスト教会のために奉仕している60、000人近い宣教師がいます。多くの様々な国で多くの言葉を話すこれらの長老たちや姉妹たちを通して、御霊の賜物が見られます。

わたしの夫は、判断力という生まれながらの霊的な賜物を持っています。彼は信じられないほど賢く、ほぼいつも正確に状況を評価します。彼は人を厳しく吟味し、意図を感じ取ることがとても得意です。

わたしが与えられてきたある賜物は、友達を作ることです。「人気者」だったことはありませんし、いけているというつもりもありませんが、会ったばかりの人と簡単に仲良くなれました。天からの助けに感謝です。会話を続け、人に興味を持ち続けることは、わたしにとって難しくありません。わたしは祝福されて、人々の中にある良さが分かり、常にほめることがたくさんあるように感じます。わたしが言ったように、これはわたし自身の功績ではありません。わたしはただ信じているわけではなく、これが聖き御霊の賜物だと知っています。

ある人々はこれらの事が「学習した」行動、または「生来」得意なことと言うかもしれないと分かっています。しかしそうではありません。

わたしの経験を通して、人々により良く接する必要があることもしばしばですが、人々に親切にし、人々の良さが分かる能力は、常に持っていたと認めざるを得ません。しかし、わたしがさらに成長し、成熟するにつれ、多くの人にとってはこれが簡単に手に入れられることではないと分かりました。

なんとなく自然にそうなっただけではないと知っています。わたしは、これらの賜物が聖霊を通して神により、わたしに何かを教えるため、そしてよりキリストのようになるのを助けるために与えられたということを、心から確信しています。

どのように霊的な賜物が手に入れられるか

ダリン・H・オークス長老は、どのように霊的な賜物を手に入れられるかについて教えています。

霊的な賜物は、聖霊の賜物を受けたすべての人に、目に見える形で、自然に、すぐにやって来るわけではありません。預言者ジョセフ・スミスは、そのような賜物のほとんどは、「肉の目に見えず、人が理解できず」、「これらの賜物を使えるようになるには、時と状況が必要になる」と教えています。

これらの聖句は、わたしたちが霊的な賜物を望み、熱心に求めるべきだと教えています。(教義と聖約46:8、第1コリント12:31、第1コリント14:1,11参照) わたしたちはまた、ある人にはある賜物、またある人には別の賜物が与えられると教わります。(教義と聖約46:11、第1コリント12、モロナイ10:8-18参照) すべての場合、霊的な賜物を受けるには、信仰、従順、個人の義が前提となっています。(ブルース・R・マッコンキー、「A New Witness for the Article of Faith」ソルトレーク・シティ:デセレト・ブック、1985、p.367 参照)

霊的な賜物は、わたしたちの生活を祝福する

ヘイルズ長老は言いました。

御霊の賜物はわたしたちの生活を導き豊かにすることができます。それらは、わたしたちを霊的にもこの世的に強めることができます。わたしたちが他の人の生活を祝福するのに役立ちます。最も重要なのは、試練の中で慰めをもたらしてくれます。わたしたちが召しを尊んで大いなるものとする助けとなります。ほかの人との関係を導く助けとなります。だまされるのを避ける助けとなります。

リビィにより書かれました。

リビィは末日聖徒イエス・キリスト教会(「モルモン」)の会員です。アイダホ州ボイシーの保険仲介業者にてコミュニケーション専門家として働いています。職務経験は、国連、全米退職者協会、メディアサービス・インクでの仕事を基本とした執筆を含みます。彼女は、thebrightbit.comと上品なファッションのブログsensiblystyled.comの熱心なブロガーです。リヴィ・ホワイテーカーは、フリーのライターであり、愛らしい物すべてについての肯定的なブログを書いています。