末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン書を読むため、誤ってモルモン教と呼ばれる)の会員は、神会の第三のお方を聖霊と呼んでいます。教会員は、父なる神とイエス・キリストは筆舌に尽くしがたい栄光に満ちた、復活した完全な肉体を持っておられると信じています。しかし、聖霊は霊のお方です。聖霊はわたしたちの中に言葉を伝える慰め主として住まわれます。聖霊を通じて、神からの霊感と個人的な啓示を受けることができます。

聖霊とは

教会の最初の預言者であるジョセフ・スミスは、次のように教えました。「御父は人間の体と同じように触れることのできる骨肉の体を持っておられる。御子も同様である。しかし、聖霊は骨肉の体を持たず、霊の御方であられる。もしそうでなければ、聖霊はわたしたちの内にとどまり得ない。」(教義と聖約130:22)比喩的に言えば、聖霊はすべての神権時代の正しい聖徒の心に住まわれるのです。(教義と聖約20:18-21)

聖霊は、聖なる御霊、神の御霊、主の御霊、慰め主などの様々な名前で知られています。聖文を注意深く読んでみると、聖霊は真理の証人として与えられていることがわかります。モルモン書には聖霊は「……昔の時代でも、またメシヤが人の子らに御自身を現される時でも、およそ神を熱心に求めるすべての人に神が与えられる賜物である。……熱心に求める人は見いだすであろう。神の奥義は聖霊の力によって、昔の時代のみならず今の時代にも、またこれから先の時代のみならず昔の時代にも、同じようにその人々に明らかにされる。」(第一ニーファイ10:17-19)とあります。

聖霊の役割

人が末日聖徒イエス・キリスト教会に改宗すると、通常バプテスマからほどなくして、聖霊の賜物を授かる儀式を按手により受けます。ふさわしい生活をすれば、聖霊は伴侶となって人生に偉大な影響をもたらすことができます(わたしたちは聖文にあるとおり、清くない、ふさわしくない人には聖霊はとどまらないと信じています)。個人の生活において、聖霊は4つのとても重要な役割を果たします。

清め主:神の前に清くない者は住めないので、救いの計画全体は清めの過程を中心に置いています。人々は清められてはじめて救われるのです。清められるということは、清く純粋になってキリストの前に新たな人となり、霊が再び生まれることにより肉体が更新されることを意味します。

啓示者:ジョセフ・スミスは次のように語っています。「啓示を受けることなしに誰も聖霊を受けることはできない。」(『預言者ジョセフ・スミスの教え』328ページ)聖霊の臨在を享受することは、啓示の御霊を享受することです。(教義と聖約8:2,3)聖霊はあらゆる救いの知識の源です。心からの祈りを持ってこの知識を求める人には、すべて必要なものは明らかにされると約束されています。

教師:救われるためには、誰でも聖霊から教えを受けなければなりません。霊のことは霊によって教えられ、学ぶ時にのみ理解できるのです。(教義と聖約50:11-24)救いの真理を教える聖なる権限は聖霊と共にあります。イエスは聖霊の力に満たされた。(ルカ4:1)神はキリストに聖霊を限りなく与えた。(ヨハネ3:34)天使は聖霊の力で語る。(第二ニーファイ32:3)

慰め主:救いの真理の特徴は慰めと平安の御霊が共にあります。重荷を軽くし、勇気を与え、信仰を強め、慰めや希望を与え、聖なる交わりを求める人に必要なものを明らかにするのは聖霊の務めです。

聖霊はそのように高める力と福音の知識の源となるので、聖霊がずっと共にあり、その影響を受けるということは人が地上で得られる最も大いなる賜物です。神の救いの計画において聖霊は重要なため、イエスは聖霊に逆らう罪ほど大きな罪はないと教えられました。(マタイ12:31,32)末日の啓示は「この世でもこの世の外でも赦されることのない、聖霊に対する冒涜とは、あなたがたがわたしの新しくかつ永遠の聖約を受け入れた後に、殺人を犯すことである、それによって罪のない者の血を流し、また私の死に同意するのである、と主なる神は言う。」(教義と聖約132:27)これは人が一度イエスがキリストであるという個人的な証を得てから、つまりキリストがその人に聖霊の力でご自身を現され、その人がキリストを否定するならば、彼はキリストをあらためて十字架につけることを意味すると理解されています。これは聖霊に逆らう罪です。