ある人にとって、ジェフリー・R・ホランド会長は「力強い説教者」でした。しかし、ある人にとっては、「苦しみや悲しみを理解してくれた人」だったかもしれません。
そして多くの人にとって、ホランド会長は人生の最も苦しい瞬間に、希望を失わないよう手を取ってくれた教師でした。
2025年12月27日、末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒定員会会長であったジェフリー・R・ホランド会長は、腎疾患に伴う合併症のため、米国山岳部標準時午前3時15分ごろ、家族に囲まれて逝去しました。85歳でした。
この知らせは、世界中の末日聖徒、そしてホランド会長の言葉に支えられてきた多くの人々に、深い悲しみと静かな感謝の念をもたらしました。
それは、この時代に、これほど誠実にキリストを証する使徒が与えられていたことへの感謝でもあります。

「教えることにおいて、これ以上の人はいない」
ホランド会長を語るとき、「教師」という言葉を避けて通ることはできません。
クエンティン・L・クック長老は、1960年代始めごろ、専任宣教師としてイングランドで伝道中にホランド会長と同僚になりました。当時から、ホランド会長はすでに際立った存在だったといいます。
彼は当時から非常に優れていました。そしてその後も、教えることに関しては教会の中で彼の右に出る者はいませんでした。 クインティン・L・クック(信仰プラス訳)
ホランド会長の教えは、ただ知識を伝えるだけではありませんでした。それは、人の心を理解し、励まし、もう一歩前に進む勇気を与えるものでした。
愛に包まれて育った少年時代
ジェフリー・R・ホランド会長は、1940年12月3日、ユタ州セントジョージで、フランク・D・ホランドとアリス・ベントリー・ホランドのもとに生まれました。
ホランド会長は、誰もがお互いを知っている小さな町で幼少期を過ごします。
「問題を起こそうとしても無理だったでしょう。母は、わたしが家に帰る前にすべて知っていたはずです。」(信仰プラス訳)
そんなユーモアを交えながら、彼は自身の子ども時代を振り返っています。
ホランド会長が何度も語ったのは、「愛されている」という確かな感覚でした。
「わたしはいつも愛されていました。どんな子供でも満足するほど愛されていたのです。」(信仰プラス訳)
自身が受けたこの無条件の愛こそが、後にホランド会長が人々を引き寄せ、安心感を与え、心を開かせる原点となりました。
スポーツと人生、そして人への情熱
若き日のホランド会長にとって、人生の中心的な喜びはスポーツでした。
彼はあらゆるチームでプレーし、高校時代には州チャンピオンのフットボールと野球チームの一員でもありました。
成長期のわたしにとって一番の生きがいは、スポーツでした。(信仰プラス訳)
青春時代にスポーツを通して学んだことはチームワーク、努力、勝利と敗北でした。
スポーツを通して学んだこれらの価値観は、その後のホランド会長の人生と奉仕に深く根づいていきます。

生涯の伴侶、パトリシア・テリーと築いた家庭
高校時代から交際を始めたパトリシア・テリーと、1963年6月7日に結婚しました。
2人の結びつきは、互いを高め合い、支え合う、深い信頼に満ちたものでした。
パトリシアは優れた声楽家であり、作家、講演者でもありましたが、ホランド会長は彼女の最大の功績は「家庭を守ったこと」だと語っています。
彼女が、わたしのために、教会のために、主のために、そして子どもたちのために、どんな飛び込み台の先でも進んでいったことに、わたしはただ驚嘆しています。(信仰プラス訳)
3人の子ども、マシュー、メアリー・アリス、デイビッドとの時間は、ホランド会長にとって何よりも大切なものでした。
息子のマシューは、家庭での夕食の時間を「毎晩が、笑い、励まし、証、教え、愛の表現に満ちた家庭の夕べのようだった」と回想しています。
宣教師としての経験と、教師としての召し
19歳の時にイングランドで宣教師として奉仕した経験が、ホランド会長の人生の転機となりました。
この経験を通して、ホランド会長は神様への信仰を深め、モルモン書への愛を育みます。
彼はその後、BYUで学士号と修士号を取得し、イェール大学でアメリカ研究の修士号と博士号を取得しました。
多くの魅力的な進路があったにもかかわらず、ホランド会長は教会教育の道を選びます。
教えることは、ホランド会長が「していたこと」ではなく、ホランド会長そのものでした。
教育者として、指導者として
1976年から1980年まで教会教育システムの責任者を務め、1980年にはBYU第9代学長に就任しました。
在任中には1億ドル規模の募金活動を指揮し、1984年の全米大学フットボール選手権優勝という歴史的瞬間も経験しました。
また、BYUエルサレムセンター建設をめぐる緊張の中で、理解と対話を重ね、信頼を築いたことも高く評価されています。
これらの功績はすべて、「人をつなぎ、理解を深める教師」としての姿勢から生まれたものでした。

すべての責任は、キリストを証すること
1989年に七十人定員会、1994年6月23日、十二使徒定員会への生涯召命を受けます。
その日の記者会見で、ホランド会長は深い思いを語りました。
現在、わたしの最も重要な第一の責任、そして、わたしのすべての責任は、主イエス・キリストについて証することです。(信仰プラス訳)
この言葉は、その後30年以上にわたるホランド会長の奉仕を正確に言い表しています。
世界に向けて語られた希望
使徒として世界を巡り、キリストを証しました。
2002年から2004年にはチリで教会の業務を指揮し、各国の指導者や宗教者とも対話を重ねました。
特に記憶に残るのは、苦しむ人々へのまなざしです。コロナ禍の不安、心の病との闘い、人生の挫折などです。
ホランド会長は、それらを抽象論で片づけることはありませんでした。
しかし、皆さんがどこに向かっていようと、また、そこに到達するためにどのようにして困難を乗り越えていくのであろうと、皆さんにお願いがあります。個人の目的地を目指すための、個人の幸福と強さを見いだすための、そして究極の行く末を実現し成功を手にするための、なくてはならない最初の一歩として、救い主イエス・キリストのもとに行ってください。「キリストの完全を追い求める」
それは命令ではなく、寄り添う声でした。
最後まで語り続けた希望
2023年1月、若い世代に向けて語ったメッセージは、ホランド会長の証の集大成とも言えるものでした。
キリストにあって堅く立って前進し、完全なる希望の輝きと神とすべての人々への愛を持ち続けましょう。
希望は、ホランド会長にとって単なる楽観ではありませんでした。それは、キリストに根ざした確信だったのです。

永遠に続く影響
教育者ヘンリー・アダムズはこう記しています。
教師は永遠に影響を与える。その影響がどこで終わるかを、彼自身も知らない。
ジェフリー・R・ホランド会長ほど、この言葉にふさわしい人はいないでしょう。
今ホランド会長はこの世を去り、肉体的な苦しみや痛みから解放されて、主と共にいるでしょう。それでも彼の言葉、証、愛は、今も世界中の多くの人の心の中で生き続けています。
深い悲しみの中にあっても、わたしたちは感謝を覚えます。この時代に、主イエス・キリストについて、これほど誠実に、これほど温かく証してくれた使徒が与えられていたからです。
心からの感謝と愛を込めて。
ジェフリー・R・ホランド会長の生涯を偲びます。
参照:Church News