日曜日だからでしょうか。土曜日に増して心が高まります。指導者の名前を顔を認識しながら話を聞くことができることに感謝します。また、機会があれば彼らのバックグラウンドも調べてみてください。お話が更に身近に感じるかもしれません。
日曜午前の部会
タバナクル聖歌隊による音楽
- 主のみ言葉は
- It’s Joyful to Live the Gospel
- イスラエルの救い主
- われに来よ
- 恵みの泉

ヘンリー・B・アイリング管長
アイリング管長は、困難を克服するための主の約束について話すために、タバナクル聖歌隊が歌った「主のみ言葉は」の2番の歌詞を引用しました。
貧しくも、富める時も、病む時、健康の時も
内に外に、海、陸に 汝れの求むる時 いつも 主の救いは汝れにあらん
「愛に満ちた全能の神がなぜこれほど過酷な試練を与えられるのかと、不思議に思うのも無理はありません。しかし、試練が過酷なのは、天の御父の御元で生活するのに、更なる霊的な清さと成熟が必要であることを、神がご存知だからです。」
一人一人に個性があり違うように、試練の期間が違います。共通していることは、試練の中でわたしたちが神が求めていることを行うかどうか、試されています。
試練を乗り越えるためには、もちろん自分の力では難しいです。そのために主の助けがあります。そして、身近な人の存在が助けとなります。
わたしたちは、主の代わりになって試練を乗り越えようとしている人を助けることができます。例えそれが主から召された宣教師でさえも、わたしたちの何気ない行動から愛を感じると、彼らは力を得るでしょう。
昔、わたしをいつも助けてくれる友人がいました。そのことをとても申し訳ないと思っていたのですが、その友人は「わたしにお返しをしてくれるのもありがたいけど、あなたが今度は誰かを助けてくれたら、それが一番いい」 と言ってくれました。
助けや慰めを求めている人を見逃さないように、いつも御霊を求めていたいと感じました。
ローズマリー・K・チボタ姉妹
誰かの名前を覚えて、その名前を読んで話しかけることで、相手がどれほど嬉しいか、と想像することができました。
忙しい日々の中で人との関わり方が昔と変わってきていますが、それでも相手を知ることの大切さを感じます。人にレッテルを貼って見てしまうと、相手を知ることができなくなります。
「主は人の神聖な可能性を見て、聖文にある通り無から有を呼び出されます。現在の姿だけでなく、将来なり得る姿もご覧になります。」
わたしたちは神様が見ているように、周りの人達一人一人を大切な神様の子供として見ることが必要です。
実際に、誰かにレッテルを貼って見るということをしてしまうと、人との付き合いに疲れてしまいます。ネガティブな思いは、自分にも負担になると感じました。
チボタ姉妹は、主のように人を見るためにわたしたちができることを3つ挙げています。
- 自分の存在に気づいてもらえていないと感じている人の名前を知る。
- 神様が見ておられるように人々を見ることができるよう祈る。
- 世間のレッテルを、「神様の子供」「聖約の子供」「イエス・キリストの弟子」という永遠の真理に置き換える。
また、アンダーセン長老は自身の話の導入で、チボタ姉妹の改宗について少し分かち合いました。彼女は、家を訪れた宣教師が置いて行ったジョセフ・スミスのパンフレットを見て、改宗しました。
彼女はあらゆることに対して、神様の目で見ているのだと感じました。
ニール・L・アンダーセン長老
キリストへの信仰を強めることで、正しいことを行う勇気が生まれ、またキリストへの信仰が強まるというメッセージを、アンダーセン長老は伝えています。
アンダーセン長老の話の中で、今の自分に必要だと感じたのが、「静かな時間」です。アンダーセン長老は牧場で育ったので、よく一人で静かに考える時間があったそうです。
今、ちょっとしたスキマ時間が空くと、すぐにスマホを見れる環境にいる人が多くいると思います。いつもたくさんの情報が外部から入って来ていたら、自分で静かに考える時間を確保することは難しいと感じています。
「キリストを信じる信仰を養うためには、皆、静けさが必要です。」
キリストへの信仰が養われると、それを使うときに勇気が湧きます。この訓練の繰り返しが、確固とした信仰を確立させるのだと感じました。
「イエス・キリストを信じて主に従い、主の戒めを守ることによって、主を信じる信仰を強める時に答えが与えられ、霊的な力が増し、キリストに従う勇気が皆さんの人格を形作るでしょう。」
わたしたちが神様のようになるためのプロセスが、この原則だと感じました。

ジェームズ・G・O・ファントネー長老
ファントネー長老は、娘の学校の手続きの書類に、間違えて自分の名前を書きました。自分の名前と娘の名前は1語しか違わなかったので、娘の名前を付け加えたらよいと思い修正したそうです。
しかしファントネー長老は、キリストの御名を受けることは、ただ名前を付け加える事ではないと話しました。それは人に仕えることであると言います。そして人に仕えることは主に仕えることでもあります。
ファントネー長老は、自分の両親や宣教師からも、主のような慈愛を持った行いを学びました。奉仕は主のように行うべきなので、我慢して奉仕するものではない、という言葉に納得です。
さらには、日の栄えでの生活そのものが奉仕であるというマリオン・G・ロムニー会長の教えは、奉仕のイメージを明確にしています。
「自分を捨て、人に奉仕することで、本当の意味でキリストの御名を受ける時、奇跡が起こります。わたしたちは、息子アルマが大きな変化と呼んだものを、心の中で経験します。そのような変化は真の改心へと導きます。」
人に仕えて奉仕することで、わたしたちはより良い人になることができます。もっと喜びを感じることができるようになります。
エドワード・ドゥベ長老
ドゥベ長老は、神様はわたしたちが完全な人である必要はなく、最善を尽くすことを求めていることを話しました。
わたしたちは自分たちの力で完全になることはできません。完全だから儀式を受けられたり、完全だから祝福がある、ということではありません。
わたしたちは、キリストによって完全となることができると、ドゥベ長老は話しています。
そのために、モロナイの招きにある3つの大切なことが助けになります。
- 「来る」:今いる場所から、より良い場所へ進むことを自分で選ぶ。
- 「自分を捨てる」:自分の成長を妨げているものを手放す。
- 「キリストによって完全な者となる」:進んで受け入れる心をもって、ありのままの自分でキリストのもとに来る。キリストは新しい心を与えてくださる。
ドゥベ長老が分かち合った、タバコを辞められない兄弟の話も印象的でした。タバコを辞めたから神殿で結び固めを受けるのではなく、奥さんと永遠に結び固められるための準備としてタバコを辞めるよう、結び固めの日付をその場で決めるよう勧めたのも納得です。
わたしたちに求められているのは、より良いものを求めて最善を尽くすことなのかもしれない、と感じました。
クエンティン・L・クック長老
クック長老は、誠実さと徳を身に付け、日々悔い改めることが、真の幸福と聖霊の導きにつながることについて話しています。
「御父の計画において、高潔さ、徳、幸福は本質的に結びついています。高潔で徳高い生活を送るとき、神の御心に沿うようになります」
クック長老は、徳という概念と、徳を追い求める信念が薄れていることを懸念しています。
SNSにあふれるいじめ、誹謗中傷、相手を下げるような「悪意ある行動」を、ただの「マナー違反」にするべきではない、と警告してます。
徳のある生活をすることで喜びを経験し、物質的にも霊的にも多くの賜物が与えられると話しています。また、日々悔い改めることで、誠実な心で主のもとへ行くことができます。

アルフレッド・キュング長老
キュング長老は、オークス大管長の「平和を作り出す人となる」という4月の総大会からのメッセージを引用して、大切なことを思い出させてくれました。
これはわたしたちの普段の言葉使いにも繋がります。キュング長老は、人々を傷つける言葉は、愛を弱め、敬意を損ない、人間関係を傷つけると言いました。
反対に、感謝や謝罪、相手を赦す言葉は、理解と平和どころか信頼関係を強め、人間関係を守ります。
何気ない言葉で、相手も自分も幸せかどうかが変わってくると思いました。
「捨てるべき言葉や表現を見極め、それをどこにいてもいつでも平安をもたらす言葉に置き換えることは、霊的な訓練です。」
この話は、人間関係を傷つける言葉を避け、平和をもたらし、人々を結びつける言葉を選ぶことについて話しています。
シロ・シュマイル長老
シュマイル長老は、神の御元に戻る旅は孤独ではないと話しています。救い主と聖約が、試練や自分の弱さを克服するために必要不可欠です。
更に、弱さは強さに変えることができます。
「弱さが強さに変わるためには、謙遜さと信仰が必要です。謙遜さの根幹にあるのは、打ち砕かれた心、つまり神の御心を受け入れる姿勢です。御心を受け入れるには信仰が必要です。すべての答えがなくても主を信頼する、ということです。」
聖約はわたしたちと主を結び付けてくれます。例えば毎週聖餐を受けることは、聖約の道を歩むために必要です。そして、神殿で聖約を交わして守る備えにもなります。
わたしたちは完全な状態で聖餐を受けることはできませんが、聖約を守るためにできる限りのことをします。この努力を神様は祝福してくださり、わたしたちの足りない部分がおぎなわれるのではないか、と感じました。
ダリン・H・オークス大管長
「わたしたちには互いの祈りが必要です。わたしも皆さんの祈りの効力を感じています。皆さんに感謝し、皆さんを愛しています。」
大管長のために祈ることは、教会が主によって導かれるために必要です。
オークス大管長が教会員の祈りの効力を感じていると聞いて、嬉しく感じました。大管長だけでなく、周りの人のために祈ることも、きっとその人のためになるのだと信じています。
最後の話でオークス大管長は、わたしたちが信仰を強めながら聖約の道を歩み続けることについて話しています。
聖約の道から困難は取り去られません。
「わたしたちは皆、今抱えている、あるいは今後直面する心配事や苦難を克服しようとしています。疑問や疑いもあるかもしれません。それがどのようなものであれ、克服する方法は、わたしたちの救い主に近づくことです。」
わたしたちが聖約の道を歩み続けるためには、一歩ずつ努力することが必要不可欠です。それには、お互いに忍耐し、自分にも忍耐する必要があります。互いに助け合うことも聖約の道を歩む助けになると感じました。
また、オークス大管長は謙虚になり、キリストに近づく努力をするように言っています。キンボール大管長は、謙遜さを素直さと定義付けました。
「素直さとはすべての徳や能力が、自分に集中しているわけではないと気付く能力です。謙遜さとは自分も同じ過ちを犯している可能性があると認識し、人を赦すことです。」
謙遜であるなら、この大会の教えも生活に取り入れようとするのかもしれません。キンボール大管長が謙遜さを素直さと定義付けたのも、納得できます。
編集後記:
多くの学びがあるこの総大会、まずは受けた印象から自分ができることをやってみようと思いました。複数の話者が話していた「聖約」や「キリストへの信仰」について、あらためて自分で学び、考えてみようと思います。
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