戦争だったり他者への批判だったり、いろんな争いを目にする機会が最近よくあります。新約聖書マタイによる福音書5章9節で、イエス・キリストは「平和をつくり出す人は幸いである」と教えています。キリストの教えに従うなら、わたしたちは争いを選ぶのではなく、自分から平和をつくり出す人になる必要があるのです。平和を作り出す人になることは、難しいと思いますか?どうしたらそうなれるのか詳しく見ていきましょう。

平和がないSNS

SNSを開くといろんな投稿を見つけることができます。そんな投稿に面白いと思ったり共感したり同情したりします。しかし、ふとコメント欄を開いたら、とんでもなくひどい言葉で溢れていたりします。そんな言葉を見ると、自分に言われたことではなくても、とっても悲しくなり、そして批判されている投稿者のことが心配になります。

アンダーセン長老はこのように話しています。

たかがSNSのコメントであっても、そこから心が病んだり人が亡くなったりします。SNSで批判を受けて命を自ら断つ著名人もいますよね。

直接会っていなくても、言葉にはそんな力があるんです。

批判は当然の権利?

日本国憲法には、表現の自由というものがありますが、だからと言って相手を批判することは許されるのでしょうか?

わたしはそうとは思いません。批判された相手の尊厳は守られていないと思います。

ではなぜ人は誰かを批判してしまうのでしょうか?

この記事には、批判や悪口は心理学で言われる「投影」で、何かが起こった時に人のせいにしている未熟な防衛機制の1つだと書かれています。そして、誰かを批判している人は、自分の心に不安があり退行しているのです。

しかし、不安があるからと言って誰かを批判することは正当化されません。批判する気持ち、相手への嫌悪、怒りはコントロールする必要があります。

アンガーマネジメントでは、どんな人でも持っている怒りという感情と正しく向き合う方法を知ることができます。わたしたちは怒りをその怒りをそのまま相手にぶつけるのではなく、相手との関係性などいろいろなことを考慮してその感情と向き合う必要があるのです。

怒りに関して、NHKの朝ドラ「虎に翼」の1つのシーンがとても印象的でした。

主人公の娘である優未は、母親の再婚相手の娘に不満がありました。認知症の祖母の世話をせずに自分の事ばかりしている義姉に腹が立ち、蹴り飛ばしてしまったのです。義姉への不満を母親の知人の遠藤に打ち明け、「それでも怒っちゃいけないの?」と聞きます。

出版社で編集の仕事をしていた遠藤は、優未にこう言いました。

「怒っちゃいけないことなんてないよ。・・・ただ、口や手を出したりするってことは変わってしまうってことだとは覚えておいてほしい。・・・その人との関係や状況や自分自身も。その変わったことの責任は優未ちゃんが背負わなきゃいけない。口や手を出して何の責任も負わないような人にはどうかならないでほしい。」

SNSで誰かを批判している人は、相手に対してどんな責任を負うのでしょうか。その人が傷ついたり亡くなったら、知らぬ存ぜぬでは済まされないと感じています。

もし怒りや批判的な言葉を感じたままに相手に伝えて、その人との関係が悪くなってしまったら、それは自分が正しい振る舞いを選べなかった結果なのかもしれません。

ネルソン大管長はこのように話しています。

「怒りで人を説得することはできません。敵意はだれの益にもなりません。論争が霊感された解決につながることは決してないのです。…救い主のメッセージは明快です。主の真の弟子は、どれほど困難な状況にあろうとも、人を育て、高め、励まし、説得し、鼓舞するということです。イエス・キリストの真の弟子は、平和をつくり出す人です。」

ラッセル・M・ネルソン

わたしたちは誰かを批判するのではなく、論争を始めるのでもなく、平和をつくり出す人になる必要があります。

いつ平和を作り出す人になる?

では、わたしたちはいつ平和をつくり出す人になるべきなのでしょうか?それは今です。

SNSを開いて目にした投稿に批判的なコメントをしない、と決意します。

SNSであれ対面であれ、意見や価値観が違う人に対して、それを否定したり打ち消すのではなく、対話や理解の努力をやめてしまっては平和はなくなります。

自分が責められたり否定されたとき、相手の言葉にネガティブな気持ちのまま応戦すると、必ず争いになります。

価値観の違いも自分が責められたときも、感じたまま言葉を返したり、相手を言い負かそう、論破しようとして、両者が幸せを感じて終われるでしょうか。

批判的な言葉を選ばない、平和をつくり出す人になる決意を、今することが今後のあなたの行動に影響を与えるでしょう。

争いではなく平和を作り出す人になるために

今回、神への信仰では「平和をつくり出す人を分析する」を基に、争いを選ばず、平和をつくり出す人になるための10の方法を提案します。

1.人の言うことに耳を傾ける

 自分の話を聞いてもらえていると感じたら、人は怒りを抑える傾向があります

2.自分の言動を理解し、自分の言動で他者がどう影響されるかを理解する

 自分の言動の理由も自分で考えることができ、相手にどのように伝わるかを考えます

3.相手に共感できる、また相手の気持ちを想像する

 自分の言動から相手がどのような気持ちを抱くかを想像します

4.知識を実践に用いて応用する

 たくさんの知識や情報を分かち合うことで、有意義な学びと経験を得る

5.心に感じる方法で愛と共に相手を説得する

 「聖霊に動かされたときは、そのときにはっきりと言い聞かせ、そしてその後、あなたの言い聞かせた人があなたを敵視しないようにその人にいっそうの愛を示す。(教義と聖約121章43節)」

6.相手のどんな言動にも自制心を持って受け止める

 相手の話をさえぎらず、相手の言葉で自分の気分が悪くならないようにする、大きな声で非難する必要がないと、自分をコントロールします

7.あらゆる状況の中で自分がどう振る舞えばいいか、またその結果を予想できる知恵を持つ

 経験、研究、神様からの勧告に従うことでこの能力を得られます

8.自分が絶対正しいとは思わない謙遜さを持つ

 高慢あるいは傲慢になって、平和を乱すようなことがあってはならない。すべての者は隣人を自分自身のように尊ばなければならない。(モーサヤ書27章4節)」

9.キリストを信じて戒めを守り、キリストのように振る舞う

 キリストへの信仰を持ち、平和を求めて行動する時に、主の助けがあります

10.神様を愛することで、神様の子供である周りの人々も愛する

 愛は平和の基本です。この人も神様の大切な子供だと考えたら怒りも和らぐでしょう

 平和を作り出す人になれるように努力する

平和をつくり出す人と一緒にいると

わたしの身近な人に、いつも平和をつくり出すことを選ぶ人がいます。彼はもともと人と争うことを望まず、ケンカになるくらいなら自分が引きます。最初わたしは彼は損をしているのではないかと思っていました。

しかし、誰かを責めたりケンカをする方が損をすることが多いかもしれません。相手との雰囲気が悪くなったり、周りの人に余計な気を使わせたり、こっちがイライラして健康を害したりします。

その人は、争いにならないように言葉を選んだり、ほかの方法を提案します。また、一時の感情ではなく、時間を置いて気持ちを整理してから自分の気持ちを伝えます。

また、伝えなくてもいいことはそのまま忘れるようにしています。

その結果なのでしょうか、彼には人望があります。物腰が柔らかい口調は相手を安心させます。また相手が嫌な思いをしないように言葉を選んで発します。なので、一緒にいると場の雰囲気が和んだり、自分も学ぶことが多々あります。

もちろん彼も人なので、人間関係で失敗することもあるようですが、素直に謝罪したり相手を赦す努力をします。

それは人として当たり前と思うかもしれませんが、意外とそんな当たり前ができない人が多いので、世の中に批判と争いが溢れて傷付く人が絶えないのだと思いませんか?

まとめ

悪気なく、自分の正義に沿って言葉を発信するケースもあるかと思いますが、その言葉を書き込む前に、口にする前に、相手がどう思うか一度考えてみてください。提案した10の方法のどれかをぜひ試してみてください。この地球にいる人たちが、それぞれの何気ない瞬間に争いを選ばずに平和をつくり出すことを選んだら、きっと世界はもっと幸せで溢れるでしょう。