毎年、何百人もの人々が、テンプルスクエア北訪問者センターの救い主キリスト像、クリスタスを目にします。モルモン教とも時に謝って呼ばれる末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の多くにとっても、このキリスト像がどのような経緯で作られたのかを知る人はほんのわずかでしょう。

このキリスト像のオリジナルは、デンマークの彫刻家ベルテル・トルバルセンが19世紀に作ったものです。この像がどのようにしてできたか、そしてどのようにして教会の中で知られるようになったのかを学んで下さい。

1. キリスト像のスケッチやモデルは5つあって、3つは石膏モデルで、2つは鉛筆で描かれたデッサンだった

ベルテル・トルバルセンのクリスタス像はあまり知られておらず、恐らくギリシャの古典彫刻、特にラファエルからインスピレーションを受けていた可能性があります。そのほかにも彼に影響を与えたものがあると考えられますが、トルバルセンはめったにデッサンを描いたり試作品を作らなかったので、どのようにキリスト像が作られていったのか、詳細を知ることは困難です。

3つの石膏モデルと2つのデッサンは、デンマークのコペンハーゲンにあるトルバルセン博物館で展示されています。

2. キリスト像の初期のスケッチやモデルでは、キリストが腕を挙げていた

キリストの腕が現在のクリスタス像のように、下に広げる形になった理由には諸説あります。

  • トルバルセンの伝記作家 J・M・ティーレが提唱する説はこうです。ある時、彫刻家のハーマン・エルンスト・フロインドが、キリストの腕を胸の前で組んだ状態にするのか、それともほかの位置に持ってくるのかを悩んでいるトルバルセンと話していました。話に耳を傾けていたフロインドは、キリストの腕の位置で何を伝えたいと思っているのか、トルバルセンに尋ねたのです。問いかけへの答えを熟考した後、トルバルセンは突然叫んだのです。「分かったぞ!これならうまくいく!」このことから、クリスタス像の概念はまさに天から受けたインスピレーションにほかならないと、ティーレは言っています。
  • もう一つの説は、こうです。フロインドは落ち込んでいたトルバルセンの話を聞いていました。その時フロインドは、自分の腕を胸の前で組んだ状態で立っていました。それからトルバルセンを励まそうと、組んでいた腕をほどき、手のひらを上に向けて少し広げたのです。その仕草を見て、トルバルセンはキリスト像にも取り入れたいと思い、急いでスケッチしました。
  • また、このような説もあります。トルバルセンが初期に作った粘土像は、腕が頭よりも上にくる状態で作られていましたが、夜の間に腕が垂れ下がってしまい、腰の位置になっていたのです。この新しい腕の形を見て、トルバルセンはそのまま採用したのです。


3. スペンサー・W・キンボール大管長とスティーブン・L・リチャーズ長老は、キリスト像と制作者を「霊感された」と評していた

キリスト像について5つのこと

スペンサー・W・キンボール大管長は、聖母教会にあるクリスタス像と「十二使徒」という作品を見て、これらの作品の製作者は確かに主から霊感を受けていると語りました。

1950年の9月、当時日曜学校中央管理会の一員だったリチャーズ長老と奥さんのイレーンが、コペンハーゲンの聖母教会を訪れました。息子のフィリップ・リチャーズによると、リチャーズ夫妻がオランダの大聖堂にいた時、クリスタス像を見ていて「驚くべき経験」をしたそうです。「父の頭に、この像の複製がテンプルスクエアに展示される必要があるという考えがはっきり浮かびました。」それからしばらくして、その霊感が現実のものとなりました。

1950年代に、テンプルスクエアの会長会が、この歴史的な場所で伝道の業を発展させる方法を探すように、アサイメントを受けました。1955年に新しい訪問者センターを建設するという案が、大管長会によって承認されました。

同じころ、訪問者が敷地内を見て回れるツアーを始めようと提案が出されました。当時、テンプルスクェアの会長であり、十二使徒であったリチャード・L・エバンズが次のように言及したのです。

「世界の人たちは、わたしたちがこのテンプルスクエアの中にキリストを象徴する物が何もないので、わたしたちがクリスチャンではないと思っています。その理由を説明すれば聞いてくれますが、その証拠を実際に目にすることはできません。」

キリストを象徴するものとして、「世界的によく知られているもので、論争を招くことがない、世界に強い印象を与えるもの」が好ましいと考えていると、マリオン・D・ハンクスが、花崗岩かこうがんで作られたベルテル・トルバルセンのキリスト像のレプリカを提案しました。


4. スティーヴン・L・リチャーズは個人的にレプリカを手に入れ、それを教会に寄贈した

1957年の6月7日、教会の建築委員会は大管長会と会い、トルバルセンのクリスタス像のレプリカをテンプルスクエアに設置する案が出ていることを報告しました。テンプルスクエアの会長会は、キリストの大きな像を設置するべきだと確信していましたが、大管長会がその提案にどのような反応を示すかを懸念していました。今までどのようなキリスト像も、末日聖徒イエス・キリスト教会では一度も使われたことがなかったからです。

委員会の他のメンバーが、彼らの提案を述べることに躊躇ちゅうちょしていたため、テンプルスクエアの会長であったスティーヴン・L・リチャーズは、新しい訪問者センターの建築プランには、クリスタス像を置く場所が作られるとだけ話しました。するとマッケイ大管長は彼の方を向いて、こう尋ねました。「そのキリスト像は、ヒューバート・イートン氏とフォレストローン墓地の協力を得て、入手できるのではないですか?」

こうしてリチャーズ会長は、クリスタス像のレプリカを入手できるかどうか調べるように依頼されました。彼はさっそく、友人のヒューバート・イートンに連絡を取り、フォレストローン墓地にあるクリスタス像のレプリカを作れるか尋ねました。リチャーズ会長は、このキリスト像を教会への個人的な寄付として、複製を制作する手はずを、すべて自分で整えました。こうして、フォレストローン墓地のキリスト像はイタリアに送られ,花崗岩かこうがんでレプリカが作られました。

完成したレプリカは、高さが約3メートル30センチ、重さが5.4トンもの超大作でした。大変残念なことに、リチャーズ会長は急な病により、キリスト像がソルトレイクに到着する数日前に亡くなりました。教会の遺産となるように望んでいた像を見ることは、叶いませんでした。

5.テンプルスクエアのキリスト像は、屋外展示される可能性もあった

当初、クリスタス像を設置するのに、屋外という案もありました。しかし建設委員会は、山間に位置するソルトレイクの厳しい気候にさらされることを懸念しました。これがきっかけで別のアイディアが生まれ、クリスタス像は、ガラス張りの円形の建物の中に設置され、後にその建物は北訪問者センターになったのです。キリスト像は、建物そしてエリア全体のメインスポットとなりました。円形の建物を建築する際、像があまりにも大きかったため、まず像を設置予定位置に置いて、その周りに建物を建てなければなりませんでした。

この荘厳なキリスト像が完成するまで、長い年月がかかりました。らせん階段が完成し、壁画が描かれ、照明が設置され、像が一般公開されたのは1967年になってからでした。今日、14体の像が神殿の訪問者センターに飾られています。ソルトレイクシティ、ロサンゼルス、ニュージーランド、ハワイ、アリゾナ、ワシントンD.C.、メキシコシティー、ノーブー、オークランド、ユタ州のセントジョージ、ニューヨーク州のパルマイラ、クモラの丘、ミズーリ州のインデペンデンスの13箇所と、移動可能な像が1体です。このほかにも、1体のレプリカがアイスランドのレイキャヴィークにある移民博物館に寄贈されました。

この記事はMatthew O. Richardsonによって書かれた「クリスタスの遺産」からの引用で、ldsliving.com“5 Things You Never Knew About the Christus Statue” の題名で投稿されました。
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