生まれた赤ちゃんの姿を見て、その子の安全や将来への希望を感じている親は少なくないでしょう。末日聖徒イエス・キリスト教会には、生まれた赤ちゃんや幼児に祝福を授ける儀式があります。

子供の命名と祝福 

子供の命名と祝福の儀式は、8歳でバプテスマを受ける前の子供が受けます。教会員の子供は生まれてすぐに受けることが多いです。儀式は、第1日曜日の聖餐会の間に時間を設け、父親がほかの神権者たちと子供の頭に手を置いて祝福を授けます。祈りを始めるように神様に呼びかけ、子供に命名した祝福を授けます。

覚えていないのに必要なの?

小さい子供や生まれたばかりの赤ちゃんに祝福を授けても、覚えていないと思います。このことを疑問に思う人もいるでしょう。覚えていないのに必要なことなのか?

子供の命名と祝福は戒めに従った儀式で、救いの儀式ではありません。しかし、末日聖徒イエス・キリスト教会が聖書と同じくらい大切にしている聖典にはこのように書かれています。

「子どもを持つキリストの教会の各会員は、教会員の前で長老たちのもとに子どもたちを連れて来なければならない。そして長老たちは、イエス・キリストの名によって彼らに手を置き、その名によって彼らに祝福を授けなければならない。」(教義と聖約第20章70節)

「しかし、幼い子供たちは、イエス・キリストの贖罪によって聖められているので、聖い者である。」(教義と聖約第74章7節)

子供はこの儀式を覚えていないかもしれませんが、親は覚えています。親が子供への祝福を願う意味も存在しているんです。

子供の命名と祝福を通して、親が子供への愛をさらに感じ、子供と絆を深める機会にもなります。また、神権という贈り物をくれた神様への感謝や畏敬の念を感じる機会にもなります。それがこの儀式を通して得る祝福をより意味深いものにしてくれます。

救いの儀式ではないが救いに間接的に関わる

子供の命名と祝福には2つの目的があります。1つは、先述したように神聖な祝福を子供に授けるというものです。

もう1つは、教会に正式な子供の記録を作るためです。正式な記録は、教会の中で子供が育っていくうえで役に立ちます。子供が福音を学ぶ初等協会(プライマリー)のクラス分けのための名簿を作成することができ、年齢に応じたクラスで学ぶことができます。また、この初等協会のおかげで幼いころから福音を楽しく学ぶことができるんです。

また、地元の教会であるワードや支部などのユニットの会員であるという帰属意識やアイデンティティーの確立を助けます。ユニットに属することで、親や親族だけではなく、ユニットのみんなで子供の成長を助け見守ります。

子供の命名と祝福の儀式を受けられなかった子供は?

末日聖徒イエス・キリスト教会では、8歳以上の子供がバプテスマを受けます。

それではバプテスマを受けるまでの間に、子供の命名と祝福の儀式を受けられなかった子供はユニットのメンバーとして認められるのでしょうか?

次の場合は、教会の会員として記録を作成されます。

  • 親や祖父母が教会員である、または両親から会員記録の作成許可を得ている
  • もし親や祖父母が教会員ではなく、また両親から会員記録の作成の許可を得ていなくても、初等協会のレッスンや活動には参加できる

子供本人が教会に来ることを望み、周りの理解があれば、バプテスマを受けていなくても教会では歓迎されます。

子供の祝福とバプテスマの違い

子供の命名と祝福とバプテスマは、どちらも儀式ですが違いもあります。

  • バプテスマは、本人の意思によって行う契約
    • 救いに関わる儀式
    • 悔い改め、イエス・キリストに従いたいという思いを示す
    • 神と約束を交わす
    • 末日聖徒イエス・キリスト教会では8歳からが責任を持って選べる年齢(責任の年齢)とされるため、生まれて間もない赤ちゃんはバプテスマを受けない

  • 子供の祝福
    • 救いには関わらない儀式
    • まだ意思を持って選ぶことができない赤ちゃんのために行われる
    • 契約ではない
    • 神様の守りと導きを願う
    • 信仰生活の「はじまり」として行われ、バプテスマのような個人の決断とは異なる

神権によって執り行われる

子供の命名と祝福は、ほかの儀式と同じように神権(神様から人へとゆだねられた力)を持つ神権者によって行われます。

末日聖徒イエス・キリスト教会では、一般的に神権を持つ父親や家族の男性が、赤ちゃんの頭に手を置いて、神様の守りと導きを願って祝福を行います。赤ちゃんの人生が神様の目的に沿って進むように願いが込められるのです。

神権を持つ男性は神権者と呼ばれます。この儀式の場合、メルキゼデク神権を持っているふさわしい男性会員を指します。儀式を執り行うための正式な手順と言葉があります。

救いの儀式ではないですが、この儀式を執り行う時にどのような言葉を言うか悩むというよりも、子供に授ける祝福の言葉が自然と口から出てきて、まるで天から授けられるような感覚を受ける神権者もいるそうです。

大切な霊的な行い

救いに関する儀式ではないですし、受けた本人である赤ちゃんや子供は儀式を覚えていないことがほとんどですが、人生の早い段階で授けられた祝福が、その後の人生にもたらす影響は非常に大きいです。

神権者や親は、この祝福が神様の計画の一部で、子供自身にとっての守りや導き、信仰の土台となると信じています。

皆さんにご理解してもらいたいのは、末日聖徒イエス・キリスト教会の子供の命名と祝福の儀式は、「文化的な伝統」ではないということです。これは、教会の重要な教義に基づいた霊的な儀式で、信仰の実践として真剣に行われています。

わたしは両親が教会員だったので、生まれてすぐに子供の命名と祝福の儀式を受けました。もちろん何も覚えていません。8歳で受けたバプテスマも白い服を着て写真を撮ったこととプレゼントをたくさんもらったことだけ覚えています。思春期で教会から足が遠のきましたが、たまに教会に行くと、いろんな世代の教会員にいつも歓迎してもらったことを覚えています。それはとっても嬉しい経験でした。

そして、自分の子供も3人この儀式を受けました。親として子供の儀式に立ち会った時、3回とも礼拝堂がとても温かく明るい空間になったことを覚えています。夫が子供達に授ける祝福の言葉一つ一つにも温かさを感じました。

そして、子供達は教会の会員たちに見守られ、関心を示してもらい、たくさんの人たちによって育ててもらっています。福音を生活で実践するヒントや助けはもちろん、友達との付き合い方や親兄弟と良い関係を築く方法も教えてもらっています。

社会で人間関係が薄くなってきている中で、家族以外の人と関わり見守られながら育っている自分の子供達を見ると、たくさんの人の愛を感じます。そして子供達も、自分より幼い子供達に関心を持ち、彼らと交わるという貴重な経験をさせてもらっています。

教会ではみんな自然とこのように振る舞っていますが、この仕組みが互いに関心を持ち、助け合うことを身に付けることができていると感じます。

幼児の祝福は、末日聖徒イエス・キリスト教会で子どもの霊的な成長と、教会とのつながりを深める重要な儀式です。​この祝福を通じて、子どもは神様の導きと守りを受け、教会の一員として認識されます。​また、家族や教会員たちが共に子どもの成長を見守る機会ともなります。​これはたとえ信仰の有無に関わらず、共感できる部分もあるのではないでしょうか。