わたしはそれまで、ミニスタリングがそんなに大事な召しだとは考えていませんでした。だけどある経験を通して、ミニスタリングはとても大事な神様の業の一部だということを学ぶことができました。

断るはずだったミニスタリング

わたしたち家族がユタ州に引っ越してきたのは一年前のことです。夫とわたしが働いていた会社がなくなってしまい、先の見えない不安な時期でした。祝福されて間もなく夫は大学院に行くことと仕事をすることが決まり、とても忙しい生活が始まりました。引っ越してきた当初、わたしは新しい地域に馴染むこと、引っ越しの片づけ、これからどうなるのかという将来への不安、3歳と6ヶ月の二児の子育てで毎日いっぱいいっぱいでした。

人に頼るのが苦手なわたしは、日に日に自分を追い込んでいきました。数ヶ月が経ち、とうとうストレスと体力の限界がきてしまい、一人でどうしたらいいのか分からなくなってしまいました。その夜、子供たちが寝た後、わたしは床に崩れ落ち、泣いてしまいました。神様に「もう限界です。どうしたらいいのか分かりません。助けてください・・・」と何回何回も話しかけました。すると、神権の祝福が必要だという思いが胸に浮かんできました。

何時間か後に夫が帰宅し、わたしは神権の祝福をしてほしいと頼みました。彼はすぐに神権の祝福を施してくれました。その祝福の中には、驚くような言葉が入っていました。天のお父様はわたしを応援してくださっていて、この状況を耐え、乗り越えることができるという言葉でした。そして「わたしの身近な人、ミニスタリングシスターたちに頼るように」と言われました。

「ミニスタリングシスターたちに頼る」ことは、一見すると特別なことには思えないかもしれませんが、わたしには驚きでした。実は次の日にミニスタリングシスターたちが訪問してくれることになっていたのです。夫は、翌日に姉妹たちが来ることは知りませんでした。その日はとてもしんどかったので、次の日のミニスタリングを断ろうと思っていたところでした。けれどもわたしは、このタイミングで姉妹たちが来るのはただの偶然じゃない、どんなに疲れていても、部屋が汚くても、姉妹たちに来てもらわないといけない、と強く思いました。

ミニスタリングシスターたちの模範

次の日わたしは化粧をする気力も、部屋を掃除する体力もありませんでした。ボサボサの格好と散らかった家にミニスタリングシスターたちを迎えました。そして姉妹たちに自分の状況を話し、悩みを相談し、アドバイスをもらうことができました。そして一人の姉妹が、その日子供たちを預かってくれることになりました。その間、わたしはゆっくり休むことができました。また、わたしが病気の時には食事を提供してもらったり、家が散らかってる時には片付けを手伝ってもらったり、ワイワイ騒ぎたい時には人を集めて家に招待してもらったり、引っ越しの手伝いをしてもらったり、姉妹達から数え切れないほどのたくさんの奉仕を受けてきました。

マタイ25章40節でイエス・キリストはこのように言われました。『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』

信仰強い姉妹たちがミニスタリングの召しをきちんと果たしてくださったおかげで、わたしはどん底から這い上がることができました。Ministering(ミニスタリング)の日本語訳は「使え、教え、導く」です。姉妹たちの模範から、わたしはミニスタリングの真の意味を学ぶとこができました。二人の姉妹たちに本当に感謝しています。

わたしは身近な人に奉仕すること、ミニスタリングの召しを果たすことで神様の業に仕えることができると知っています。