人は皆、様々な国に生まれ、様々な環境で暮らしています。ある人は安全で豊かな国で生まれ育ち、またある人はとても貧しく命の危険にさらされるような国で暮らす人もいます。このお話は、ある家族がボランティア活動に従事する中で出会った一人の女の子と、彼らの息子との間に育まれた絆の記録です。一緒にいた時間がほんのわずかでも、互いに共有し合った時間、そしては決して無駄にはなりません。

息子のアレックスが14歳だった夏、わたしたちはインドに渡り、ライジングスター・アウトリーチ(ユタ州プロボのNPO法人)でボランティア活動をしました。わたしたちにとってこの活動は、自分たちの慈善団体を立ち上げる前に始めた、インドでする初めての奉仕活動となりました。この時わたしたちはサンギタ・ホームという名の幼児施設を支援していました。それは大きな挑戦でした。なぜなら、そこには3歳から5歳までの子供たちが90人もいたからです。

この団体を運営していたグレース・モーゼスという女性は、この年齢の子供たちが誰よりも支援を必要としている、という理由でこの活動に取り組んでいました。幼い赤ちゃんは、すぐに外国人に養子に貰われていきます。5歳以上の子供たちは学校に通うので、それほど世話がかかりません。幼児は手がかかるので、ごくわずかな人しか幼児の面倒をみる人がいませんでした。

路上で死にかけていた女の子

当時、チェンナイの路上で悲惨な状況に置かれた子供たちをよく目にしました。ある日、部長のゴピが、2歳ぐらいの今にも死にそうな状態の女の子を拾って来ました。その子は弱り果てていて、彼に反応を示しませんでした。ゴピはその子の名前をラニと決めました。ゴピは幼いラニをサンギタ幼児施設に連れて行きました。

ラニは空腹のあまりやせ衰えており、ゴピが食べさせようとしたご飯を戻してしまいました。彼はパンをあげようとしましたが、また吐いてしまいました。彼女は長い間食べ物を摂取していなかったので、消化器官が機能しなくなっていました。そこで息子のアレックスが、お米を煮てできた煮汁を飲ませようと提案しました。アレックスは急いでスーツケースから薬用スポイトを取り出し、彼女を優しく膝の上で抱えながらお米の煮汁を一滴飲ませてみました。すると、飲み込むことができたのです!彼はこの方法で茶碗一杯の煮汁を飲ませてあげました。アレックスがこれを数日にわたって続けた結果、ラニのお腹は再び食べ物を摂取できるようになりました。

ラニは路上では虐待されていたようでした。それというのも、彼女は誰かが近くに来ることをひどく嫌がったのです。しかし、死の淵から彼女を優しく連れ戻したアレックスのことは好きでした。毎日アレックスが子供の施設に来るたびに、ラニは彼のところによちよち歩いていき、膝の上に乗っていました。アレックスは施設にいる間、ずっと彼女を抱っこしていました。彼女のために歌ってあげたり、話しかけたり、髪をなでたり、一緒にゲームをして遊ぼうとしました。ほかの人が近づくと、身をすくめてアレックスの腕の中に顔を隠すのでした。

二人は固い絆で結ばれていました。アレックスは家族宛てのメールに、いつもラニのことを書いていました。「今日ラニが微笑んだんだ!今日はラニが声を出して笑ったよ!今日、ほかの子がラニに近づいて遊びに誘っても大丈夫だったんだよ!」夏の終わりには、二人は親友になっていました。

少年の腕の中でリラックスした様子の女の子の赤ちゃん

アレックスに抱かれるラニ

突然の悲しい知らせ

アレックスが帰国して間もない、ある日の午後の事でした。彼が台所のテーブルで宿題をしていたときに電話が鳴りました。それはインドにいるゴピからでした。ゴピは悲しみに暮れて泣いていました。「ベッキー、インドにいるわたしたち皆が今日とても悲しんでいます」そして、ラニに母親がいるらしいことを教えてくれました。ある女性が施設を訪れ、自分はラニの母親だと告げて、ラニを連れて帰りたいと申し出たのです。彼女は、自分はヒンズー教の神様に、娘を探し出して面倒を見ることを誓ったというのです。施設の皆は、ラニが完全に回復するまで待った方がいいと説得しました。そしてラニの状態がどれほど良くなったのかを母親に話しました。それでも母親は断固として主張を曲げませんでした。悲しみに打ちひしがれたゴピが言いました。「母親はラニを連れて行ってしまった」

わたしが電話を切ると、アレックスはわたしのことを待ち構えるように見ていました。彼は、わたしが話している内容を聞いていて、それがラニの事だと気づいていました。「ママ、どうしたの?ラニがどうかしたの?」彼は心配して聞いてきました。わたしはできるだけ穏やかに説明しました。

アレックスはとても怒っていました。「ママ、ラニを連れ戻してよ。その人の所に行ったら死んじゃうよ。ラニが来たばかりの頃を見れたらよかったのに。今にも死にそうだったんだよ」わたしはこう答えました。「アレックス、インドには法律があるのよ。残念だけど、わたしには自分の子供を欲しがる母親を止めることはできないの」アレックスは信じることができませんでした。「ママは意地悪だよ。ラニを死なせるつもりなの?」

「わたしにはどうしようもないのよ、アレックス。わたしにできることは何もないの」アレックスは泣き始めました。彼は傷つき腹を立てていました。彼は言いました。「もういいよ!僕がインドで過ごした夏は意味のないことだったんだ。僕は全力でラニのお世話をしたのに、ママはラニを死なせるままにしておくんだね」わたしには息子の痛みが分かりました。助けたいと思いました。わたしは導きを求めて心の中で祈りを捧げました。すると、何年か前に読んだ、マザー・テレサについて書かれた雑誌の記事を思い出しました。

愛ある行いは無駄にならない

それはロンドンに住んでいたある女性のお話で、彼女はマザー・テレサの熱烈な支持者でした。その女性のことを、仮にアンと呼ぶことにしましょう。アンはインドに行ってマザー・テレサと働くための十分な資金を蓄えました。彼女がカルカッタにある「死を待つ人々の家」に着いたとき、そこにマザー・テレサの姿はありませんでした。アンは修道女たちに「彼女はどこにいるの?」と聞きました。彼女たちは、マザー・テレサは乳幼児センターにいると教えてくれて、施設への行き方を教えてくれました。アンは急ぎ走って行きました。マザー・テレサに会うことを、長い間心待ちにしていたからです。

アンはその家を見つけ、素早く中に足を踏み入れ、マザー・テレサがいるかどうか部屋中を見渡しました。そこには何百人もの赤ちゃんが床に寝ており、大勢の赤ちゃんが泣いていました。部屋には6人の「神の愛の宣教者(神の愛の宣教師会に属するカトリックの修道女)」がいて、すべての赤ちゃんのためにできる限りの世話をしていました。

マザー・テレサは部屋の奥にいました。入り口へと歩きながら、彼女は途中で立ち止まり、赤ちゃんを指さして宣教者にこう告げます。「ここに居る赤ちゃんよ」また別の赤ちゃんを指して言います。「この小さな赤ちゃんよ」すると、宣教者の一人が素早くその赤ちゃんを抱き上げ、揺り椅子に連れて行きます。その部屋には、6脚の椅子が壁に向かって並んでいました。そして宣教者は椅子を揺らしながら、赤ちゃんに歌を歌っていました。

マザー・テレサはアンのそばに来て、赤ちゃんを抱き上げて優しくアンに手渡し、ささやくように言いました。「あなたにはこの赤ちゃんよ」アンは驚きながらも、その赤ちゃんを自分への贈り物のように受け取りました。その赤ちゃんはか弱い小さな男の子でした。彼女が見上げたとき、マザー・テレサはすでにその場を去っていました。

少し困惑したアンは、職員たちにその赤ちゃんをどうしたらよいのか尋ねました。そのうち一人が、彼女に揺り椅子に座るように手招きしました。アンが腰かけると、その職員は片言の英語でこう言いました。「マザー・テレサは、どの子も温かい抱擁と人の愛を経験せずにこの地球を去るべきではないと、強く信じています。見てお分かりのように、ここには200人以上の赤ちゃんがいます。わたしたちは6人しかいません。一人一人の赤ちゃんを愛することは、物理的に不可能なんです」

彼女は敬虔な様子で続けて言いました。「でもマザー・テレサは賜物を持っています。彼女は毎朝ここにやって来ます。今日、どの赤ちゃんたちが死ぬか知っていて、その子を指さして教えてくれます。わたしたちの仕事は、今日死ぬ赤ちゃんたちを愛することなんです。だからこの子たちは、愛の中で世を去ることができます。あなたはその幼い男の子を揺り椅子であやして、抱きしめて、愛してあげて下さい」

まだ困惑しながらも、アンは赤ちゃんをあやし始めました。彼女はブラームスの子守唄を鼻歌で歌いました。彼女は、その子がとても弱っていたこと、そして撫でた時に、それに応じるかのようにその小さな顔を彼女の首に押し付けたことを忘れられないと記していました。その日の午後、その赤ちゃんが彼女の胸の中で死ぬまで、揺り椅子であやし続けました。その経験が、彼女の人生を変えたのです。

彼女はこう書いています。「わたしの友達の中には、その子が結局死んでしまったなら、わたしが過ごしたその一日は意味が無かったと言う人たちもいます。でもわたしは、その日は人生で一番神聖な日だったと思っています。わたしはこの日、愛ある行いは決して無駄にならないと学びました」アンはこれは人生の分岐点だったと言っています。

このアンとマザー・テレサの話の後、アレックスにこう言いました。「アレックス、わたしもどんなに小さな愛でも無駄にはならないと信じているわ。そんなことはあってはならないけど、ラニは死んでしまうかもしれないわ。だけど彼女はあの施設で数ヶ月の間、愛されて大切にされたのよ。その思い出だけを持ってこの世を去るかも知れない。あなたの時間は無駄になんてならないわ」

愛は永遠に続く

それ以来、わたしたちがラニに会うことはありませんでした。今でもわたしはチェンナイの街に出ると、無意識にラニを探しています。その母親が約束通りにラニを家に連れ帰り、きちんと面倒を見ていると心から信じ祈っています。

わたしたちは神の大きな祝福を受け、何百人もの子供たちの人生が、わたしたちの学校や幼児施設を通して改善されていく様子を目の当たりにしています。しかし、どの子供に対しても成功を見れるわけではありません。去年は二人の子供が亡くなりました。一人の小さな女の子は、川辺で発生したサイクロンの影響を受け、増水した川に落ちてしまいました。

その子は、夏休みの間にわたしたちの学校を離れて自分の家に帰っていました。水浴びをするために川辺に下りて行きましたが、そこで増水した川に流されてしまったのです。また、ある子は脊髄膜炎のために病院で亡くなりました。「愛ある行いは決して無駄にならない」アンの思慮深い言葉がなければ、このような出来事を乗り越えることはできなかったでしょう。この二人の女の子たちは、ライジングスター・アウトリーチの多くの人に大切にされ、愛されました。

わたしたちは、隣人の人生の長さを決めることはできません。それでも、その人をどれだけ愛するかは、わたしたちが選ぶことができます。結局のところ、互いに伝え合った愛は、この世の後も続いていきます。わたしはかつて、美しい娘と大切な孫娘を失いました。もし、たくさん愛し合ったこと、そして再び愛し合えることを知らなければ、慰めを感じられず彼らの死を乗り越えることはできなかったでしょう。救い主と素晴らしい贖いの力によって、愛は永遠に続きます。わたしたちが隣人と分かち合う一つ一つの愛が、永遠に続く遺産となるのです。

この記事はもともとBecky Douglusによって書かれ、ldsmag.comに掲載されていたものです。