毎日を楽しむモルモン教の女の子達

モルモン教の会員はどのように人生を楽しむかを知っている

スケートボードのプロ、人気バンドのフロントマン、マンハッタンのお笑い芸人、イギリスのメロドラマの女優、オーストリアの映画監督、ニューヨーカーでファッションデザイナーでありビジネスウーマン、アメリカの遊園地の超怖い乗り物をデザインする人、ハワイでサーフィンをする人等々。これらの人たちはパーティーで一緒になって楽しめる人たちですよね。さて、これらの人たちの共通点は何だと思いますか?そうです、彼らは皆、モルモン教の会員なんです。

 

世界中のモルモン教の会員は皆特別

上記のモルモン教の会員たちは、全世界にいるモルモン教の会員のほんの一部の人たちです。この教会には非常に広範囲の興味や経験がある人たちがいます。モルモン教の会員は、1800年代に、丸太小屋で一握りの会員で始まって以来、今や大きく成長して、世界中で1478万2473人の教会員がいます。2万9014か所の礼拝堂に集まり、177の言語で教会の出版物が出されています。そして、これらの一千万人を超える教会員の一人一人には、それぞれ独自の興味があり、様々な経験を積み重ねています。

ある人々はモルモン教の会員には楽しみがないと言います。高校に行っていた時、そういうことを良く聞きました。私が、アルコールを飲まず、煙草を吸わず、覚せい剤などをやらず、ふさわしくない音楽や映画には関心を示さず、コーヒーも飲まず、純潔を守ることを選んでいたため、人々は私にはどんな楽しみもする自由がないと考えました。そうだと思いますか?上のリストを見れば、そう思うかもしれません。モルモン教について観察する人たちが、モルモン教の「規則のリスト」を見ると、全体像を見ずに、表面上の誤解をするようです。

 

モルモン教の会員はどのように人生を楽しむのか?

私はこれまでものすごく楽しい生活をしてきたと思っています。素晴らしくてワクワクするようなことを、人生の中で数々経験してきました。そのようなことにかかわってきたことにとても感謝しています。

例えば、私はチュニジアではもう少しでライオンに手を食べられるところでした。イタリアでは、冬の大波にさらわれるところでした。ブルックリンであったコンサートを思いっきり楽しみました。東アイダホや西ワイオミングにある崖や滝の辺りからジャンプしました。北アフリカの地中海の近くでは夜通しダンスをしました。私はまた、ニューヨークでへとへとになるまで買い物をしました。そして、私はパーティーに行くことが大好きです。私が胸を張って言いたいのは、このような楽しい経験は、いわゆる「規則」を「破る」必要もなくできるということです。

事実、私の人生における選択によって、これらの経験によって、自分が高められていると感じます。時々、人々は私が「一度も」したことのないことでショックを受けます。通常、私が生涯一度もコーヒーを口にしたことがないことが一番のショックのようです。しかし、私にとっては、コーヒーを飲まないことは当たり前のことであり、他にできること事柄を想うともっと幸せに思えます。

今まで一度も目が覚めてみたら自分の知らないところに来ていて、どうやってそこに行ったのか思い出すことができないというような経験をしたことがありません。「パーティーをする」夜の後で、選択や過ちをして後悔したということが全然ありません。ライフスタイルの選択に伴って生ずる依存症などを回避してきたことをありがたく思っています。メディア関係で安全なものを選んで見ていますが、暴力や性的な内容のものは避けていても、自分が取り残されているとは感じません。そして、価値が無いもののために財産を使い果たすようなことが決してありませんでした。

 

相互の尊敬:楽しむために他の人と同じ価値観を持たなくてもいい

一人一人の生活の基準というものは、違うと私は理解しています。そして私は、自分のような規範に従わない人より、自分が上だとは決して思いません。私はイタリアのフローレンスで大学時代に留学しました。そこでの私の一番いい経験は素晴らしく、 全米各地から来ている美しい女性たちと一緒に住むことができたことです。私は故郷の教会の大学に通っていましたが、教育の一環として、自分の信仰とは違う人たちとフローレンスで過ごすことができたことをとても幸せに思いました。

フローレンスに移ってきた当初、人々が私の明らかに違うライフスタイルのために、私のことをどう思うかちょっと神経質になっていました。そういうことを強調したり公に宣言したりすることではないと感じていましたが、ワインとチーズが生活の一部になっている文化では、かなり明白な違いですので、すぐに目についてしまいます。私は決して自分の標準を変えようとは思いませんが、確かに他の人に自分を変人だと思って欲しくもありませんでした。

私の経験は、自分が予期していたことの全く反対なものとなりました。私のルームメイトは最も親切な人たちで、私のことを尊重してくれました。自分の意に反して何かをするように圧力をかけることが全然ありませんでした。私たちは相互に尊敬の念を持って接し、私がある種のことに参加しないことを理解してくれました。事実、ある時私たちのアパートに訪問者が来ました。その人が私にワインを強制しようとしたときには、ルームメイトたちが私をかばってくれて、その男の人に対して「引っ込んでいて!」と言ってくれました。

学校の良い男友達といつも出歩いてサッカーをしたり、面白いイタリアのディスコで一晩中踊ったり、旅行したり、夜中の2時にジャイロ(ギリシャ風サンドイッチ)を買いに行ったり、お腹がよじれるほど笑うことがしょっちゅうでした。一緒にいる時は、私は彼らの選択することを尊重し、彼らも私のする選択を認めてくれました。私たちはだれもが同じようにしなければならないとは全然感じることがありませんでした。

モルモン教の標準で大切なことは、良い場所にいて、良い友だちと一緒にいることです。そうすると、良い選択がし易くなるということです。私の楽しい生活の中で、パーティーから途中で帰ったり、映画の途中で映画館を出たり、特定の行事に参加することを断ることもありました。フローレンスからの友だち関係がまだ続いている一つの理由は、これらの優しい友だちは私が間違っていると思っていることを決して強要しないことです。

 

モルモン教の標準を楽しく学ぶ若者

モルモン教の標準を守り人生を楽しむ青少年

「良い時を過ごすことができる」

前大管長が青少年に次のように語ったことがありました。「良い時間を過ごすことができます。もちろんできます。私たちはみなさんが楽しい時を過ごせるように望んでいます。人生を楽しんで欲しいのです。私たちはあなたがたが堅物になるようには望んでいません。しっかりして快活で、歌ったりダンスしたり、笑ったり幸せにしていて欲しいのです。しかしそうすることにおいて、謙遜で、祈りに満ちていてください。そうすれば天はあなたのことを微笑んで下さいます。」(ゴードン・B・ヒンクリー、「青少年のための預言者の勧告と祈り」、エンサイン、2001年1月)

私は高い標準を持つべきだと信じ、それを堅持するためのベストを尽くすつもりです。私はそれらが自分の生活に祝福となることを信じています。教会の標準の概観はパンフレット、「若人の強さのために」を見ると書かれています。

私はそのような標準が自分の楽しみを阻害していると感じたことは一度もありません。そして私はこのようなライフスタイルが、しっかりしていて、楽しい生活と調和していると本当に信じています。

 

 

この記事のはliviwによって書かれました。