「主の考えは私たちの考えとは異なり、主の方法は私たちの方法とは異なる」

mormon-missionaries-girls天の父が何を考えておられるのか正確に推し量ることができません。なぜならば、神の考えは私たちの考えとは異なり、神の方法は私たちの方法とは異なるからです。幼い頃夢を見るのが好きでした。カトリックの信仰に深くコミットしていた父親に育てられましたので私の最初の夢はカトリックの尼になることでした。私はいつも尼たちの立ち居振る舞いを見たり、人々が尼を尊敬の念を持って接するの見るのが好きでした。

 

もう一つの理由は単純なもので単に私は神を愛していたからです。私は神に自分の人生を捧げたいと思っていました。それは神が私に与えてくれた全ての善なるもののためでしたし、また私に与えて下さった家族のためであったし、またそのリストは終わりなく続いてきます。私がその事を姉に話したとき、姉は私にもし尼になったら修道院に閉じ込められ父や母に二度と会えないだろうと言いました。6歳の自分が感じた恐怖を考えてみてください。それで尼になることは私の夢のリストから消えました。私は末っ子で、特に両親に甘えていましたからとりわけ父親に甘えていました。ですから幼い心にとって彼らに二度と会えないということは想像もできない考えでした。父は軍の仕事をしていたので私は軍の基地で育ち、軍隊の人たちが早朝ジョギングしている音を聞き、そしてその音が目覚まし時計の役割を果たしていました。私は軍服の男性たちの姿を毎日見て過ごし、軍に服務している人たちの子供たちすべてにとって、大型の豪華自動車ハマーはスクールバスのようでした。軍人さんたちは私たちのヒーローになりました。なぜならば彼らが私たちフィリピン人の安全の為に一生懸命に戦ってくれたからです。私は彼らの士気と勇気をたたえました。

私の彼らをたたえるもう一つの理由は彼らの指導者は私の父親だったからです。私は次のように自分に言い聞かせました。「私はお父さんのように兵隊になりたい。私は彼の足跡を辿りたい。私は有名な私のお父さんが卒業したフィリピン軍隊アカデミーで勉強したい。」しかし私が自分の夢を他の人に話すと猛反対を受けました。ですから軍人になると言う希望は私の夢のリストから除かれました。

最後に私は自分に言い聞かせました。「今度こそ私は確信がある。私はお医者さんになるんだ。」私はお医者さんになりたいと思いました、というのはアフリカの子供達の事をテレビで見たとき、私の心は彼らのことにひどく動かされたからです。私は彼らを助けたいと思いました。私はエイズの治療法を見つけたいと思いましたし、また多くの人々の生活を改善してあげたいと思いました。私の家族はついに私の夢を了解してくれました。 何もかもうまくいきました。私は高校の2年生で、すぐにプリメディカルコースを始められるのでわくわくしていました。私は夢の大学に出席して成績もいいと言う自分の姿を心に描いていました。その時私は人生で最も絶望的なニュースを聞いたのです、私の父は癌になったのです。その知らせに私の人生はめちゃめちゃになりました。その知らせは2001年に世界貿易センターの攻撃がなされたすぐ後に届きました。アメリカの人たちはなくなった何千人もの人たちのために嘆き、私も自分の人生にやってきた大きな損失の事で絶望していました。母は私が少し進路を変えてお医者さんになる代わりに看護婦になるように勧めました. 医者さんになることをにはとても費用かかり私たちの両親は父が結腸癌である状態で学費が出せませんでした。その知らせを受けた晩ひどく泣いてたくさんの涙を流しました。長年の私の努力が水のあわになったと感じたからです。私の父は3003年の5月に亡くなりました。父が厳しく私に戒めた事は決してこのことが私たちの家族に起こったことで神に疑問を投げかけてはならないと、また決してたくさんの人々が居るのに何故自分の父親がそうならなければならなかったかと神様に尋ねないようにということでした。父が私に最後まで忠実な人であるようにと教えました。この父の忠告があったので私が2004年の12月にモルモンの宣教師に教えられて、イエス・キリストの福音を受け入れたのは自然なことでした。2005年の3月の20日にバプテスマを受け、翌週に確認の儀式を受け教会員になりました。私は宣教師になるまで過去の夢を思い出すことが決してありませんでした。 専任の宣教師になるまでの道のりは長く、3年の間母が許してくれるのを待ち断食をし祈りました。宣教師としての最後の週に、私は自分の数々の夢を思い出して、そして再び涙を流しました。というのは私がいつもなりたいと思っていたものにとうとうなることができたと気が付いたからです。神様は私たちの祈りに答えてくださいます。

18ヶ月の間私は「尼」になりました。私はセサンテ姉妹と呼ばれたからです。そして修道女の衣装を身につけました、というのはスカートとブラウスをいつも身につけていたからです。私は真理の兵士になりました。毎日イエス・キリストの福音を擁護する戦いを戦ったからです。兵士の武具を身につける代わりに聖典やイエス・キリストの福音に対する証を武器としました。医者にはなりませんでしたが、18ヶ月の間世界で最も優れた医師であるイエス・キリストの看護婦になれたです。これが私が生きている神、愛する天の父が生きていらっしゃること、そして私たちをそんなにも愛してくださるという事を本当に信じている理由です。私は天の父が義なる方であることを証いたします。私たちの生活に起こる全ての事は理由があって起こります。神の救いの計画をよりよく理解することができれば、私たち一人ひとりが逆境にあってもより明るい希望を持つことができることを知っています。確かに私たちは主が理解できることの全てを理解することができない事を知っています。

この記事はカリスナによって書かれました。