わたしがなぜモルモン教とも呼ばれる末日聖徒イエス・キリスト教会に改宗したのかを、以前の記事でご紹介しました。わたしがモルモンの教えを受け入れられたのは、素晴らしいモルモン教の会員の模範であることは、言うまでもありません。しかし、本当はほかにも驚くような神の導きがあったのです。
モルモン教との出会い
アメリカで出会ったホストファミリーは12人家族です。両親に子供が10人。わたしがユタへ行った当時、長女は日本神戸伝道部で、そして長男はテネシーナッシュビル伝道部で伝道をしていました。次女は、既に結婚していました。残りの7人は2歳から16歳で、実家で両親と生活をしていました。彼らの模範は素晴らしく、以前の記事に書いたように、モロナイ書7章45節にかかれているような愛を持った素晴らしい家族でした。
ユタ州に滞在中、ソルトレイクにあるテンプルスクエアという観光地に行く機会がありました。そこでは、日本人の宣教師が日本語でツアーをしてくれました。教会の歴史、建物の建てられ方や特徴、宣教師それぞれが感じていることを話してくれました。ツアーの終わりに、あるカードが渡されました。もし教会の教えや英会話に興味があれば、名前、住所、電話番号を記入して下さいと言われました。当時英語が不得意だったわたしは、英会話に興味があったので、自分の情報を書き残して行きました。
帰国前に頂いたモルモン書を、帰国の便から読み始め2週間ほどで読み終えました。8月上旬に帰国してモルモン書を読み終えてから、宣教師が来ることをずっと待っていました。父親はすでに他界しており、母親1人で伝えにくかったのですが、キリスト教の外国人の人が英会話に誘いに来るよ、と母に伝えておきました。なかなか宣教師は訪れず、高校生活の2学期が始まってしまいました。通学に片道2時間以上かけていたため、宣教師が英会話に誘いに来ても、行くことができないかなぁと思い始めました。
学校が始まってすぐの火曜日、2人の宣教師がようやく我が家を訪問してくれました。残念ながらわたしは学校に行っていましたが、母が宣教師に会い、宣教師から頂いた英会話のチラシを取っておいてくれました。今思えば、普通の親だったら子供の目につく前に捨ててしまっていただろうに、と思います。学校から帰宅すると、母がそのチラシを渡してくれました。とっても大きな二人組の外国人が、ちんちくりんな自転車にヘルメットをかぶって来たよ、と笑いながら教えてくれました。それを聞いたときに嬉しく感じ、宣教師に連絡をし、感謝の気持ちを伝え、日時を確認しました。英会話は木曜日の午後7時からと言われ、たまたま木曜日は塾もなく、6時頃には帰宅できたので行くことを約束しました。
まさに奇跡だった神の導き
宣教師の訪問があってから2日後、母に送ってもらい地元にある教会へと行きました。遅れては失礼だからと15分くらい前に到着しました。教会の扉はすでに開いていて、教会の中へと恐る恐る入って行きました。すると最初の部屋には2人の大きな外国人の宣教師がコピーを取っていました。自己紹介をし、授業が始まるまで奥の部屋で待っていて下さいと案内されました。
奥の部屋に行くと、2人の女性の宣教師がいました。女性の宣教師がいることを知らなかったので、その2人と自己紹介をしました。すると、そのうちの1人が「わたしはハーディン姉妹です。ユタ州から来ました。」と日本語で自己紹介をしてくれました。わたしは夏にユタ州にいたので、ユタ州のどこから来たのか確認をしました。すると彼女はプロボ出身であることを教えてくれました。
彼女がプロボ出身であると言った時、わたしの中で勘が働きました。もしかするとと思い、彼女にいくつかの質問をしました。「家族は12人ですか?あなたの名前はアンナですか?お父さんはBYUで働いていますか?」など色々聞くと、彼女は驚いていました。わたしは、自分の持っていたホストファミリーと写った写真を見せ、「これはあなたの家族ですか?」と尋ねました。その通り、彼女の家族がわたしのホストファミリーでした。
その疑いが確信に変わると、鳥肌が立ちました。ハーディン姉妹もとても驚いていた様子でした。そして彼女は「わたしは今日、奈良から転勤してきたところです」と言うのです。わたしは、なぜ彼女がここにいるのかと考えました。わたしの地元は神戸から離れているので、宣教師を管理するところは1つしかないのかなと少し思いました。後で話を聞いたところ、日本神戸伝道部はその年の4月に閉鎖され、彼女はその後に日本名古屋伝道部の宣教師として働くことになったのです。
わたしは罠にかかったのかと最初は思いました。それでも、そんな複雑なことまですることはないだろうと思い、わたしはこの教会の教えを聞かなければならないと感じました。その思いとともに、ホストファミリーが示してくれた愛について、その愛の源となっているだろう教会に対する信仰について学びたいと思いました。宣教師たちの勘も鋭く、英会話が終わった後に「教会のことを学びませんか?」と尋ねられ、それを受け入れました。わたしたちは次の週の英会話の後にレッスンを始めることを約束しました。
母に、ホストファミリーの長女が地元で宣教していることを伝えると、驚いた様子で「それなら食事にでも招待しないとね」と言ってくれました。次の週、一緒にレストランへ行き、宣教師たちを紹介しました。そして、レッスンを受け始めることも伝えました。母は、教会の教えを受けることや、教会に入ることをあまり快くは思ってくれませんでしたが、それでも宣教師たちが来るたびに食事をご馳走し、優しくしてくれました。
すべてのレッスンは1ヶ月弱で終わり、日曜日の教会にも2度参加しました。日曜日にオーケストラの練習が毎週ありましたが、月に2回教会に行くことを約束しました。
2001年10月、わたしはバプテスマを受け、モルモン教の会員として確認され、聖霊の賜物を受けました。神様は思いがけない方法でわたしを導いてくださいました。
この記事は福井敏敬によって書かれました。