子どもの頃から、誰かの役に立ちたい気持ちがありました。モルモン教の教会に改宗し什分の一を収めたり、貧困地域に住む子供をサポートする企業に毎月5000円払って外国の女の子の支援活動にあててもらったりしていても、お金という数字が動いているだけで、奉仕の実感がありませんでした。

ホームレス支援のきっかけ

そんなとき、隣のステーク(地域の教会(ワード)がいくつか集まったまとまり)の知り合いから「ホームレス支援活動をやっているので来てみないか」と声をかけられ、行くことにしました。もしも自分が、「ホームレスさんに近づきたくない」や「怖い」と感じるなら、わたしはその程度の人間でしかなく、イエスさまから遠く離れた存在だとわかるし、逆に親しみと愛をもって接することができたなら、自分の中にイエスさまの面影を見出すことができると、不安と期待の入り混じった1時間でした。そこには、わたしの想像とはかけ離れた光景が広がっていました。100人ほどのホームレスさんが規律正しく並んでいて、5人ずつが進み、パンとバナナとお菓子を順序正しく素早く受け取っていきます。それを仕切っているのは同じホームレスの人たちです。ボランティア団体から受け取っている服を着ているようで、ボロボロの人はいません。パンを渡すだけの短い時間でも「ありがとう」と感謝の言葉をかけてくださいます。嫌悪感などひとかけらも浮かびませんでした。もっと親しくしたい、何かわたしができることを見つけたい、義務ではなく、胸に湧き上がる愛情を感じました。友人に何かしてあげたいのと、同じ感情です。今では毎週火曜夜に、肉団子入りの野菜スープを100杯ほど持っていっています。日曜だけのクリスチャンではなく、行いを伴った奉仕ができていると、心に平安があります。

 

著者:西村美華