結婚している人たちの中に居るモルモンの未亡人:円満で支持されていると感じて

末日聖徒イエス・キリスト教会(「モルモン教会」)のワード(会衆)に属しているというすばらしい恩恵の一つは、自分の本当の家族が遠く離れていても、「家族」があることです。それが、私が27歳で未亡人になった時の状況です。私の3人の子供は4ヶ月、2歳、4歳でした。

私の夫の死から間もなくして、私は別の市に引っ越すことを決意しました。ある朝、ひざまずいて祈っていた時、特別な印象を受けました。頭の中で声を聞いたような感じで、それは「ここに留まりなさい。」でした。その勧告に驚きました。それは私には思ってもみなかった選択肢だったからです。しかし、その促しに耳を傾けて、そこに留まったことから私はいかに多くの祝福を受けてきたでしょうか!

私が子供たちと自分自身について一番願っていたことは、そのワードの他の家族と交流を持つことでした。私たちは参加した様々な計画された活動すべてにおいて、私たちは家族として参加し、同時にワードという家族の一部だと強く感じました。そのとき私には自分の目的を達成すべく、独身者の活動に参加するという望みは全くありませんでした。私はもう少し年上の未亡人の態度に驚いたのですが、彼女はある日次のように言ったのです。「私はどのような活動にも招かれませんでしたよ。」「私も招待されませんでしたが、とにかく行ってみました。」私のワード部の人たちのおかげで、私は部外者だと感じたことは一度もありませんでした。

 

私たちの身の回りに居る天使たち

私の必要としていた助けはいろいろな方法でやって来ました。最初、私たちは二人の男性「ホームティーチャー」が割り当てられ、少なくとも月に一度は訪問して下さり、霊的なメッセージを伝えてくれました。私は助けの必要な時はいつでも彼らに電話することが出来ると知っていました。それが病気の時に神権の祝福をしてもらい、水漏れする蛇口を直してもらうことのようなことまでやってもらえると思っていました。神の御手がこれらの男性が選ばれるプロセスにありました。彼らは本当に私たちのことに気を使ってくれ、彼らの訪問によって私たちを強めてくれました。

次に私は二人の女性の「家庭訪問教師」に毎月訪問してもらいました。この訪問教師のプログラムは扶助協会と呼ばれる教会の女性のための補助組織で、この組織はおそらく世界でもっとも古くまた大きな組織でしょう。私の訪問教師は私の親友になり、頼りになりました。

3番目に、私には気遣ってくれるビショップ(奉仕で働いている会衆の指導者)が居て、彼はワード部の群れを純粋な愛と関心を持って見守ってくれました。毎クリスマスには彼は食べ物が入った贈り物の箱を未亡人のところに配達するように計らってくれました。私は滅多に自分が未亡人であると感じたことはありませんでしたが、というのは「未亡人」という言葉から、年配の人というイメージを持ってしまうからです。私は十二使徒のダリン・H・オークス長老の話しに大変共感しました。彼はお父さんが亡くなってからの育ちについて語っています。

「私は(母の)教育の影響について示す経験を思い出します。ある年のクリスマスの直前に私たちのビショップは執事である私にワード部の未亡人にクリスマスのバスケットを配る助けを頼みました。私は彼の挨拶を書いたカードと一緒にバスケットをそれぞれの家のドアーのところに運びました。私の家に送ってもらった時、まだもう一つのバスケットが残っていました。彼はそれを私に手渡して、それは私の母のためであると伝えました。彼が車で去って行く時に、私は降りしきる雪の中で、なぜ私の母のためにバスケットがあるのかと不思議に思っていました。母は一度も自分のことを未亡人であると言ったことがありませんでしたから、私は母がそうであるとは思ってもみなかったのです。12歳の少年にとって、彼女は未亡人には見えませんでした。彼女には夫がありましたし、私たちには父が居ました。彼はわずかの間だけ、この世を離れているだけでした。」(ダリン・H・オークス、「家族と教会における神権の権威」、エンサイン、2005年11月、24ページ)

4番目に、もっとも大事なことですが、愛のある天の父からのサポートがあったことです。それ無しには、私はずっと前に希望を失っていたことでしょう。

 

命綱

主が与えて下さった一つの命綱は私の夫のいとこのモリスと彼の妻レヴァで、彼らは1ブロックしか離れていないところに住んでいました。私の子供たちは彼らを「おじさん」「おばさん」として受け入れていて、彼らの愛ある支援はそれに続く年月の間私たち一人一人の助けになりました。私の息子たちがそれぞれスカウトのプログラムに入ると、彼らはパインウッド・ダービーの模型の車が必要でしたが、モリスと彼の息子のデヴィッドが子供たちに競争に勝てるような車の作り方を教えてくれました。息子たちがバックパックを背負ってハイキングする経験はモリスのおかげで、彼は息子たちをどこのハイクにも連れて行ってくれました。モリスとレヴァの3人の娘たちは、私の娘を彼らの妹のように受け入れてくれました。

 

ダンス

ある年、私たちのワードではヴァレンタインのダンスを大人のために計画しました。私はこの活動のための計画に加わっていました。そして、私はこの楽しみな晩を傍観者として待ち構えていました。私にはいくつかのタレントがありました。しかし、ダンスはその一つではありませんでした。事実、私には大学生の時の「恐怖」の経験がありました。私は友だちの学生とダンスに行きました。そのダンスで彼は私を友だち、ジマーマンの双子、男の子と女の子の、に紹介したのです。彼らはBYUの学生でしたが、また二人ともロレンス・ウエルク・ショーに出て数回ダンスをした経験のある人たちでした。二人の男性は、パートナーを交換することにし、私は若者のジマーマンと踊ることになったのです。私はたちまちのうちに不安に襲われ、彼の足につまずくしかありませんでした。彼は「力を抜いて」と言い続けたのですが、私は緊張し続けていました。音楽が終わって二人ともほっとしました。

私はどのご主人も「貧しい未亡人」と踊らなければならない義務感を感じて欲しくないと思っていました。ですから、私はヴァレンタインの活動はダンスする必要なく楽しく過ごす方法を見つけようと決意していました。ワード部には整形外科の人が近所に居ました。長年の間、彼は息子の二人を軽いスポーツの怪我について治療してくれていました。私は彼のところに生き、状況を説明し、彼が私の足を伸び縮みする包帯で巻いて、松葉杖を貸してくれるように頼み、彼はそうしてくれました。物事が完全にうまくいきました。私はダンスに行き、私が、何が起こったのかを尋ねられた時には、「何でもないの。スムート医師に、踊らなくてすむように、包帯を巻いてもらったの。」それを聞いて、その人は応えて、「は、は、じゃあ、本当に起こったことを言って。」と尋ねるのです。その晩は楽しい時でした。最後のダンスのちょっと前に、私は包帯を外すとテレビで踊ったことが絶対ない人とダンスをしてみました。かなりうまく出来ました。

私の3人の子供たちは、今では大人になって、彼ら自身の子供たちが居ます。彼らは信仰の中で強く育ち、キリストに従う者になっています。彼等は私の世話と教育の結果であるばかりでなく、必要な時に、模範によって教えてくれ、足りない部分を補ってくれた信仰深いワード部の会員たちの積極的な影響力の賜物です。そして、何にも増して、私が成功できたのは、私を心痛やチャレンジの時を通して、引き上げ、運んでくれた天の父のおかげです。

まとめ

記事のタイトル:結婚している人たちの中に居るモルモンの未亡人:円満で支持されていると感じて

著者:グローリア・プラット

要旨:若い未亡人が、自分と子供たちに教会の会員や親戚の人たちから差し出された愛ある世話を受けて、慰めと命綱を見いだす。