モルモン教-神権の祝福の写真

神権を通して神の子供を祝福する天父

自分のお話を始める前に、モルモン教の根本的な教義、「神権」についてお話することが重要だと思います。そこで、わたしは、この議題に関する入門のお話をします。イエス・キリストの教会では、「神権」は身分やリーダーシップの肩書きではありません。わたしたちは、「神権」は、神の御名によって働く権能であると信じています。神権は教会のすべてのふさわしい男性に与えられます。この偉大な権能のゆえに、教会の男性はできる限り多くの人に神権の恩恵にあずかる機会を提供するように期待されています。神権の権能により、わたしたちは、バプテスマを施し、聖餐(聖体拝領)の儀式を執り行い、また、その他の儀式を行います。また、誰でも神権者のもとに行き、助言を受けたり、癒しの祝福を受けたりすることができます。これらの祝福を通して、主の御心を知り、約束を受けます。他の面もありますが、これでわたしの子供のことをお話する上では十分だと思います。

不妊の悩み

ほぼ6年前、愛する妻とわたしは結婚しました。約6ヵ月後、わたしたちの心からの祈りが聞かれ、聖き御霊によりわたしたちは家族が増えるという答えを受けました。御霊により励まされ、わたしたちはすぐにではなくこのように時間がたってから子供を授かるだろうと信じました。それを否定する理由はありませんでした。1年後、わたしたちはすこしがっかりしました。特に、わたしたちの住んでいたところは若い家族がたくさんいて、毎月少なくとも1人、時には3人も赤ん坊が生まれていたからです。

2年目は、わたしたちがひたすら祈り求めていたものの、祝福に恵まれている多くの夫婦を見て、わたしたちは何か問題でもあるのではないかと思い始めました。教会で3人の赤ちゃんが生まれた発表を聞いた後、帰宅し泣いている妻を見て、わたしたちは病院に行き、なぜ赤ちゃんがなかなかできないのか原因を調べることについて話し合いました。しかし、不妊の原因が自分にあるということがわかったらそれに対処できないだろうし、また、もしそれが妻にあるということがわかった場合、それが妻にとってどんなに辛いものになるか想像ができませんでした。それで、わたしたちは病院には行きませんでした。わたしたちは養子を迎える方向で歩みだし、ただ主を頼り、主の祝福に頼りました。

神権の祝福に頼る

養子を迎える計画は仕事の低収入と引越しのために、保留にしました。わたしたちは新しいエリアでモルモン教の集いに所属しました。そこで、不妊のため、17年間も苦しんでいる夫婦と10年間苦しんでいる夫婦に出会いました。彼らはわたしたちにとって助言者となり助け手となってくれました。妻とわたしは、主が確かに彼らをわたしたちのために備えてくださり、慰めと力を与えてくださったと思いました。

約2年前、妻とわたしは車の中で泣きながら話をしていました。もう何年もわたしたちは不妊で苦しんでいますと言い続けてきましたが、自分たちが子供ができない体であると言うことができませんでした。「苦しむ」という言葉には希望があることを意味しています。わたしはその希望を諦めたくありませんでした。それからまもなく、妻は神権の祝福を求めました。その中で、彼女は母親になる約束をもらいました。

1年半後、わたしは日曜学校を教える機会を得ました。そのクラスの中で、「わたしたちはどのようにして天父やイエス様が愛されるように、人々を愛することができるようになれるでしょうか。」という質問をしました。一人の人が、最善の方法は、特に誕生のときのプロセスを強調しながら、自分の子供を通して学ぶのが一番であると答えました。恥ずかしいですが、わたしは即座に怒りの感情がわきました。わたしは同じ日曜学校のクラスにいた妻を見ました。彼女はうなずいてわたしに許可をくれました。わたしは50人くらいいたクラス全員に対して、妻とわたしが経験していることを話しました。わたしは彼らに妻とわたしはおそらくその特権には決して預かれないだろうと言いました。

今年の初め、妻はわたしにメールでメッセージを送ってくれました。そこには、「今年はわたしたちの年になるわよ」と書いてありました。彼女がこのメッセージを送ったちょうど同じとき、わたしは彼女にメールで「解雇されてしまった。上司にもう少し働けるようにお願いしている。」というメッセージを送りました。

途方に暮れて、わたしは神権の祝福を通して主の御心を求めていました。その祝福の中で、わたしは父親になるであろうと告げられました。わたしは心の中で、これは本当だと思うが、でもどうやってそれが起こるのだろうか、と思いました。4月に集会で座っているとき、わたしは祈り始め、天父にこれはどのように叶えられるのでしょうかと嘆願しました。心の中に、「それは通常の方法で」という答えを受けました。

その月の下旬、妻は妊娠検査を受けました。彼女がわたしに検査結果を見に来るように告げたとき、わたしたちは座ってずっと待ち焦がれていた、妊娠しているという検査結果を見ていました。

神は奇跡を行われる

これは要約した話です。このお話しから学んだ教訓のひとつは、天父はわたしたちをご存知であり、神権を通してその御心と約束を教えてくださるということです。もうひとつは、神がわたしたちのために奇跡を行ってくださるという信仰を持っていましたが、神がそうしてくださるということを信じなくなっていたということです。どんなに試練が長く感じても、神が何事でもお出来になるということを信じるということは大切です。神がご自分の子供たちの人生を祝福するために、奇跡を行ってくださることを知っています。この出来事を通して、わたしは神を信じる信仰を再び得たばかりでなく、神をより信頼するようになりました。

この記事は、モルモン教の会員である、ティモシー・ヒューイットによる寄稿です。

ティモシー・ヒューイットは、現在、ピッツバーグに在住し、フリーの作家・編集者として仕事をしています。彼は言語、特に古代ギリシャ語と英語の研究に関心を持っています。
ティモシー・ヒューイット