試しのときである現世で、わたしたちは色々な試練や困難を経験します。その中には自分の子供を亡くすという、本当に辛い試練を与えられる親もいます。同じ経験を持つリグランド・リチャーズ長老が、総大会で話されたお話から、子供を亡くした親がどのように希望を見いだせるのかをご紹介します。

1971年10月の総大会で、十二使徒定員会のリグランド・リチャーズ長老は彼の永遠の家族に対する堅い信仰についての個人的な経験を分かち合いました。「幼い我が子を墓場に眠らせる経験をする人たちがいます。わたしたちにもその責任が与えられました。」

子供を亡くす悲劇と福音がもたらす希望

「わたしがオランダで伝道部会長だったとき、娘が生まれました。そしてわたしたちは娘が3歳半になるまで彼女と一緒にいました。妻は何度も、天使たちの存在を感じて、天使たちが娘をわたしたちの元へ届けてくれたことを知っていました。それでもわたしたちは娘を墓に葬らなければいけませんでした。もしそれが最後だと感じたとしたら、娘を取り戻すためにこの世のすべてを犠牲にしていたでしょう。

わたしたちには回復された福音の素晴らしい知識があります。娘は永遠の世でわたしたちの娘となり、わたしたちは娘が罪なく救いへむかって成長していく姿を見る喜びが与えられるのです。時々、選ばれた霊たちは、他の子供たちのように、現世での経験は必要なかったのではないか、と考えたことがあります。だから主は彼らをご自分のもとへ戻るように召されるのだ、と。

息子が生まれる前に、4人の娘が生まれました。あるステークを管理する責任のため、わたしたちはカリフォルニアへと向かいました。そこで息子は、高等評議員と彼の息子たちと共に出かけ、息子は事故で命を落としました。人生で感じたことのないくらいの悲しみに襲われました。しかし、今ではわたしたちは、例えてみれば、はしごを登りきり、わたしたちを結ぶ愛情はわたしたちの永遠の御父である神様から与えられたもので、それは永遠に続くものだと知り、その時を楽しみにしています。

親愛で、神聖な人たちにまた会えると知るのは、死から痛みを少し取り除いてくれます。なんと素晴らしい知識なのでしょう。愛する人たちと、御父に聖別され、救われた子供たちと共にわたしたちもふさわしい姿で立てるよう、ここにわたしたちの土台が敷かれるのを見たいと望んでいます。

兄弟姉妹の皆さん、わたしたちは祝福された民です。わたしたちは、地上に福音が回復された時代に生き、福音の真実の知識を持つという特権に恵まれています。わたしたちは、上に信仰を築くことのできる土台、愛する人たちと関わるたびに、毎日を幸せに満ちた日としてくれる土台に恵まれています。

マッケイ大管長が、いかなる成功も家庭での失敗を償うことはできない、と言われた理由も分かります。生活の上で、男女が戒めを守り神様に近づけは近づくほど、家庭での愛はより大きなものになり、その愛は永遠に続くことができるという知識への感謝も深まります。」

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この記事はもともとLeGrand Richardsによって書かかれたものの抜粋で、lds.org投稿されました。