祖母はルター派のクリスチャンでした。亡くなる直前に祖母から、死んだら神殿で祖母のために「末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン書という書物があるため、間違って「モルモン教」と呼ばれることもある)の会員がすること」をすべてするようにわたしに約束するよう頼みました。それはかなりの変化でした。祖母は一時期、わたしが伝道に出ることが祖母をとても傷つけることになると言っていたくらいでした。(同時期に、わたしは祖母の夫である亡くなった祖父がわたしの伝道に出るという決断を貫けるよう支えてくれているのを感じました。)
なかなか行えなかった祖母の儀式
祖母が亡くなった時、その日から一年後に、彼女の儀式を神殿で済ませると心にとめました。その日はすぐに過ぎていきました。祖母の儀式のことは頭にありましたが、幼い子供たちの子育てに加え、夫は夜通し働いていてとても忙しい日々でした。祖母の儀式のためのカードは印刷し、若い女性の娘のいる友達に祖母の身代わりのバプテスマと確認をしてくれるようお願いしましたが、カードは棚に眠ったまま、お願いしたときの会話は忘れられていました。
数年前に母が体調を崩し、集中治療室で治療を受けていました。それまで祖母が彼女の神殿での儀式を済ませるように催促しているのを感じていましたが、母が病気になり、その気持ちはさらに強いものになりました。祖母のカードを印刷し直し、若い女性の娘がいる友達に最初の儀式を身代わりに受けてくれるようお願いしました。
それからすぐに、洗濯物を畳んでいた時、片方だけの靴下が手元に残りました。いつかもう片方も出てくるだろう、と見つかった方だけ引き出しにしまいました。すこし変かもしれませんが、わたしはいつも片方だけでしまわれてしまう孤独な靴下を見ると悲しくなります。祖父のことが頭に浮かびました。祖母の神殿での儀式が終わり、彼女と結び固まることを独りで待っている祖父。息子たちの洗濯物が入ったかごを持ち上げると、その下に探していたもう片方の靴下がありました。両方の靴下を合わせることができ、とてもいい気持ちになりました。その靴下のたとえ話から数週間後、わたしと夫は神殿で祖父と祖母の結び固めの儀式をすることができました。
系図を進めていくと…
数週間前、ワードの優しい年配の姉妹に、わたしの家に訪問して系図について教えてもいいかと聞かれました。系図は結構進んでいましたし、インデックスもかなりしたことがありました。(ひざの手術をしてから仕事ができなくなった時期に、読み辛い字を読んでパソコンで打ち直すのは薬剤師としてすでに慣れた作業だと思いました。インデックスは同じ作業なので、わたしの能力が衰えないようにするための良い練習になりました。)
姉妹が家に来ると、ファミリーサーチをつかい始めました。取り組む人を決めるときはなんだか適当な気がするものですが、取り組んでいくうちにそれは偶然ではなかったという気持ちになります。わたしたちは母方の高祖父母(ひいひいおじいさん、おばあさん)を探していました。今まで話に出てきた祖母の祖父母です。わたしの両方の祖父は、独特なドイツ系の名字だったので、それが系図を調べるにあたりヒントとなりました。グレンツェバック(Grenzebachs)というのはなかなか珍しい名字です。
しかし、祖母たちはそう簡単にはいきませんでした。彼女たちの旧姓はクラーク(Clark)とジョンソン(Johnson)でした。探していたのはジョン・ジョンソンという人の妻です。ミネソタ州だけでもジョン・ジョンソンというよくある名前の人が一体何人いると思いますか?探しているうちに、ジョハン・ジャンソン(Johan Jansson)という人が目につき、わたしはこの人について調べるべきだと感じました。でも、その決意をしたのが遅過ぎました。まるであとで読もうと思っていたけど、気づいたら消えていた友達のソーシャルメディアの投稿のように、わたしは、ジョハン・ジャンソンというのはスウェーデン版のジョン・ジョンソンだという確認をする前に、彼の情報を探し出せなくなってしまいました。その日は謎が解けることのないまま系図を調べるのは終わりにしました。
それから数日後、わたしはそのことについて質問するために母に電話をしました。母は、似たような記録があったような気がするので探しておく、と言いました。
彼女がなにを見つけたかの話をする前に、少し裏話をさせてください。80年代後半か90年代前半、祖母の家で食事をしていたとき、祖母は、いくつか映画に出演したことのある自分のいとこ、エリック・ロバーツと、同じく役者の道を歩み始めたエリックの妹、ジュリアについて話していました。実はその妹というのがあの有名な女優ジュリア・ロバーツだったのです(わたし自身ジュリア・ロバーツ本人に会ったことはありませんし、そのことを本人と確認したことはありませんが、自己紹介ゲームの時には役に立ちました)。その祖母はグレタ・ガルボ(1920年代から30年代に活躍したハリウッド女優)と親戚です。有名人のいとこがいることは系図を調べるにあたり大きな助けとなりました。グレタは既に亡くなっていたので、彼女の系図を探し出し、それをわたしのものとくっつけるのは簡単でした。
母から届いた荷物の中にはたくさんの情報と写真がありました。その中でもわたしが一番うれしかったのは家系図でした。2002年に、祖母にスウェーデンの親戚からジュリア・ロバーツに関わるスウェーデン側の親戚関係についてすべて説明された手紙が届いたのです。それはジュリアを先頭に置いた立派な家系図でした。
その図の真ん中に、わたしの高祖父であるジョハン・ジャンソンと(わたしが長い間探していた)彼の妻、エマ・クリスティーナ・カールスドッターがいました。助けてくれた人たちとエリヤの霊のおかげで、わたしは靴下をそろえ、さらに多くの靴下の入った引き出しを見つけることができたのです。その引き出しの中になにが隠れているか見るのが楽しみです。
この記事はもともとAnne Maxsonによって書かれ、ldsliving.comに”When My Lutheran Grandma on Her Deathbed Asked Me to Perform Her Temple Work” の題名で投稿されました。
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