毎週日曜日に教会に行くのは時間の無駄?
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、毎週日曜日に教会に行きます。しかし、せっかくの休みに教会に行くのは時間の無駄なのでしょうか?たまに教会に行くだけではだめなのでしょうか?今回は、教会に行くことの大切さについて一緒に考えていきましょう。
日曜日に教会で何をしているの?
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、毎週日曜日に、主に2時間のプログラムを受けています。
まず聖餐会という集会があります。それは1時間の集会で、全会員が集まって賛美歌を歌い、ほかの会員や指導者の福音に関わる話を聞きます。その中でも何よりも大切なのが聖餐で、かつてキリストが弟子たちに教えた儀式です。この儀式を受ける事で、自分がふさわしければいつもキリストを覚えて、いつも御霊が一緒にいてくれると祝福されます。また、悔い改めて聖餐を受けると、罪の赦しを受ける事ができ、聖められます。
このために日曜日に教会に行くといっても過言ではありません。それだけ聖餐は重要な儀式です。
聖餐会のほかには、福音を学ぶ時間が50分あります。この時、年齢に別れて学ぶ週と、年齢・性別に別れて学ぶ週があります。特定のグループに別れて福音を学ぶことで、それぞれの年齢や性別で経験しやすい問題や悩みを、福音によって解決したり乗り越えるヒントを得ることができます。
また、末日聖徒イエス・キリスト教会では、聖餐会でのお話もそうですが、福音を学ぶクラスではお互いに教え合います。教師の役割がある人が聖典から教えたり、それを基に話し合いを進めます。
教会に来ることで、ほかの会員と仲良くなることができます。ミニスタリングと呼ばれるお互いに助け合うプログラムもあります。

毎週教会に行く会員の声
毎週教会に行っている教会員にこのように聞いてみました。
「あなたはなぜ毎週教会に行きますか?」
回答は以下の通りです。
- 次の1週間を新しい気持ちでスタートできる
- 証があるから行く
- いっぱい学べて楽しい
- 教会員が優しい
- 友達に会える
- 自分と家族の救いのため
- 神様を礼拝するために
- 自分を聖くするため
教会に出席することによって、わたしたちの心が開かれ、魂が聖められます。
(ダリン・H・オークス「教会の必要性」『リアホナ』2021年11月号)
毎週教会に行くことでわたしたちは聖められ、リセットすることができるんです。
毎週教会に行くことで得られる祝福
毎週教会に行くことは無駄ではありません。ちゃんと祝福が得られます。
- 体に栄養を与えるように霊に養いを与える
- わたしたちが毎日食事をして体に栄養を与えるように、毎週教会に行くことで定期的に自分に養いを与えることができる
- 平安を感じる
- 祈る時の静けさや、ほかの教会員と一緒に歌う賛美歌、鼓舞される話などから平安を感じることができます
- 1週間御霊と一緒に生活できる
- 聖餐の祝福として、ふさわしければ「いつも御子の御霊を受けられる」とモルモン書に書かれています
- 聖餐を受けて罪の赦しを受ける
- 悔い改めてから聖餐を受けることで、罪の赦しを受けることができます
- いろんな世代の人と関わることができる
- 赤ちゃんからお年寄りまで教会に集うので、普段あまり関わらない世代の人と仲良くなることができます

信仰心があるからこそ直面する問題や、福音を使って生活の問題を乗り越える方法について互いに相談したりすることで、ヒントがもらえます。
子育てに限らず介護や仕事、学校の悩みも相談することで福音を基にして話ができるのも助けになります。
このような経験は1人では得られないです。人生の先輩方の経験もとても参考になります。ミニスタリングや福音の学習時間など、いろんな人と話す機会が多いので、誰かから助けられた自分が、ほかの誰かの助けになることができるんです。
わたしたちがより良い人となり、人々の生活により良い影響をもたらす助けになります。わたしたちは教会で、宗教的な原則を応用する方法を教わります。また、互いに学び合います。説得力のある模範は、説教よりも力があります。考えや信条を同じくする人々と交わることによって、わたしたちは強められます。教会への出席や参加によって、聖書にあるように、わたしたちの心は「愛によって結び合わされ」るのです。
ダリン・H・オークス 「教会の必要性」『リアホナ』2021年11月号
そして、主はわたしたちが教会に集うように言いました。
安息日を覚えて、これを聖とせよ。
出エジプト記20章8節
まことに、この日は、あなたがたの労苦を解かれて休み、いと高き方に礼拝をささげるように定められた日だからである。
教義と聖約59章10節
つまり、日曜日に毎週教会に行くことは戒めです。戒めを守りたいという純粋な気持ちで毎週教会に行くことも素晴らしいことです。
積極的に教会に行くことがさらに良い時間となる
毎週教会に行くことで祝福を得られるとお伝えしましたが、積極的に教会に行き、そこで自分のできることを行うことで、もっと祝福を受けられます。誰かに良い影響を与えて、教会にいる時間が特別になるでしょう。
ある会員は、ダリン・H・オークス長老の勧めから、教会に出席する時にどこに目を向けたらよいか考えたそうです。
何年も前に、わたしは教会へ行くときの態度を改めました。自分のために行くのでなく、人のことを考えるようにしたのです。独りで座っている人にあいさつし、訪問者を歓迎し、……割り当てを進んで行うように努めました。……
つまり、毎週受け身ではなく、積極的に人々の生活に良い影響を与えることを目的に、教会へ出席するようになったのです。
(マーク・スコーセンからダリン・H・オークスへの手紙,2009年2月15日付)
誰かから助けてもらうこと、話しかけてもらうことを待っているのではなく、自分から行動し人と関わることで、ただ教会に行って座っている以上の祝福を得ることができるのです。
試してみてください。疲れていても、悲しくても、教会に行って積極的に誰かのために奉仕をすることで、体や気持ちがちょっと軽くなっているでしょう。
教会が時間の無駄という人の声
一方で教会に毎週行くことが時間の無駄だと感じている人の気持ちも見てみましょう。
- 会いたくない人がいる
- 誰も話し相手がいない/気が合う人がいない
- つまらない
- 疲れている/疲れる/ゆっくり休みたい
- 遊びに行きたい
- 教会に毎週行くことが大切だと思わない
- レッスンがつまらない
教会に行くのは、ほかならぬ自分のためです。もちろん、教会で果たすべき役割があって、自分が突然休んでしまうと迷惑を掛けてしまうからという理由でイヤイヤ教会に行っている人もいるでしょう。そんな時はちょっと視点を変えてみましょう。あなたが行くことを待っている人がいます。あなたが教会に来たことを一番喜んでいるのは、神様です。

教会に行って聖餐を受けることで、あなたは聖くなります。そしてだんだん悔い改めたいと思うようになるでしょう。何度もお伝えしていますが、悔い改めることでさらに聖くなります。それを続けることでわたしたちは救われるふさわしさを得ることができます。
教会に行くことが時間の無駄だと思っている人へ
もし教会に行くことが無駄だと思って、足が遠のいているなら、ぜひ以下の方法を試してみてください。
- 教会に行くことで得た祝福をリストにしてみる
- 細かいことを気にしないようにする
- ほかの人が教会で得た祝福を自分も得る事ができるか試してみる
- 目標を持って行く
- 祈る
- 聖典を読んでみる
- 毎日の睡眠時間を確保できるようにして普段から疲れを取る
- スケジュール管理をして日曜日に予定を入れない
- まずは短い時間でも教会に行ってみる
体や心が疲れて休んだとしても、それは一時的なものとして、また教会に行くことを思い出してほしいです。積極的な気持ちで教会に行くことで、今感じている心身の疲れが癒されて、さらには元気をもらって帰宅することができるでしょう。
今週の日曜日、教会に行く予定を立ててみませんか?
まとめ
結論としては教会に毎週行くことは無駄ではないということを紹介しました。教会に毎週行くことが習慣となれば、教会に行かないと違和感を感じます。霊的な祝福が次の1週間の心の糧になるでしょう。皆さんはどのように感じたかぜひコメントで教えてください。