2001年10月総大会、ゴードン・B・ヒンクレー大管長が説教壇に向かう時、世界各地で預言者の話に耳を傾ける人たちの脳裏には、恐ろしい9・11テロの記憶がまだ生々しく残っていました。今日相次ぐ組織的なテロリズムが世界各地を脅かしています。まるで過去の被害の記憶が再び蘇るかのようです。テロはイスラム教とキリスト教の戦争ではありません。

10年前、ヒンクレー大管長が総大会で話された勧告は今もなお真実であり、その教えはテロリズムの本質や悪と戦う方法、そしてこの時世に平安を見出す方法を示しています。

 

テロリズムの本質

説教の中でヒンクレー大管長はモルモン教徒に巨大な悪の根源について教えました。

「さて、わたしたちは皆、ひどい戦争、争い、憎しみが今に始まったことではないと知っています。わたしたちが今日目にしている争いは、天の戦いで始まった争いの再現でしかありません……カインの時代から現在に至るまで、敵対する者は恐ろしい戦いを画策してきました。それらは非常に大きな苦しみを招きました。

裏切りとテロリズムはサタンとともに始まりました。これらは、神の御子が神の息子娘たちの間で平和と善によって支配するために戻って来られるまで続くことでしょう。」

テロリズムに立ち向かう方法

ヒンクレー大管長は、テロリズムに対して断固とした姿勢を見せていますが、それと同時に大管長は教会員にほかの人々と結束し、悪に立ち向かうように、そしてテロリズムが原因で分裂したり、憎悪を抱くことのないように教えました。

「おぞましく邪悪な力を突き止めて、自分たちの行為に責任を取らせなければなりません。これはキリスト教徒とイスラム教徒の問題ではありません。わたしは、攻撃目標となっている国の飢えた人々に食糧が届けられていることを知ってうれしく思っています。わたしたちは全世界のイスラム教徒の隣人を尊重し、自分の宗教の教えに従って生きている人々が苦しみを受けることのないようにと願っています。わたしたちの民に特にお願いしたいのは、罪のない人々への迫害にいかなる形であれ関与しないでほしいということです。むしろ、親しみを示し、援助の手を差し伸べ、守り、支援する人であってください。探し出して壊滅させなければならないのは、テロリストの組織です。

この教会の会員であるわたしたちは、そのようなグループについてある程度の知識を持っています。モルモン書にはガデアントンの強盗団について記されています。残忍で、誓いの下に結束し、邪悪と破壊を目的とする秘密結社です。当時、彼らは自分たちの利用できるあらゆる手段を使って、教会を滅ぼし、詭弁を弄して人々の支持を求め、社会を支配しました。現在の状況にも同じ要素を見ることができます。

わたしたちは平和を愛する民です。過去も現在も平和の君であるキリストに従っています。けれども、わたしたちは正義と良識を守り、自由と文明を守るために立ち上がらなくてはならない時があります。それは、モロナイが妻子と自由の大義を守るために人々を結集させたのと同じです(アルマ48:10参照)。

先日、ラリー・キング氏のテレビ番組で、宗教という名の下であのような忌まわしい活動を行うことについてどう思うかという質問を受けました。わたしはこのように答えました。『宗教によって、不正や邪悪、またこのような邪悪な出来事が防げるわけではありません。わたしの信じている神はこのような行動を許してはおられません。憐れみの神であり、愛の神であられます。また平和と安らぎの神であられます。わたしはこのような事態のときに、慰めと強さを神に求めます。』この国やほかの国々の教会員は現在、多くの人々とともに国際的な運動に参加しています。軍隊に属している人々が、愛する人々に別れを告げて出て行く姿がテレビに映し出されています。彼らは、無事に帰還できるかどうか分からないままに出て行くのです。それはわたしたちの民の家庭にも影響を与えています。わたしたちは教会として一致団結してひざまずき、この軍事行動の重荷を背負う人々に全能者の力が注がれるように祈らなければなりません。」

 

どこに安らぎを求めるべきか?

「このようなときに、わたしたちは命と平和が、そして文明そのものが、はかないものであることを痛切に思い知らされます。」このように大管長は、暗黒の時代を取り巻く混乱、恐れ、不安定さを殺伐たる単語で表現されました。しかしそのすぐ後に、大管長ははかなさとは無縁である力と平安の源に心を向けるように教えられました。わたしたちの目の前に常にある平安は、わたしたちを導き、高め、希望を与えてくれます。

「有史以来今日まで、実に大勢の男女が生を受け、死んでいきました。ある人たちは今後起きる戦いで命を落とすかもしれません。しかし、わたしたちにとって死は終わりでないことを、厳粛に証します。現在ここで生活しているのとまったく同じように確かに、来世があります。天の戦いの争点となった偉大な計画によって、人は生き続けるのです。

ヨブは『人がもし死ねば、また生きるでしょうか』と尋ねました(ヨブ14:14)。その後、ヨブはこのように言っています。『わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。

わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉にあって神を見るであろう。

しかもわたしの味方として見るであろう。わたしの見る者はこれ以外のものではない。』(欽定訳ヨブ19:25-27より和訳

さて、兄弟姉妹の皆さん、わたしたちはどのような義務であろうと自分の義務を果たさなければなりません。しばらくの間平和が来ないかもしれません。一部の自由が制限されるかもしれません。不都合なことも出てくるかもしれません。次々と苦しみを受けるかもしれません。けれども永遠の父なる神は御父を仰ぎ見るこの国とあらゆる文明世界を見守ってくださることでしょう。主は『主をおのが神とする国はさいわいである」と言われました(詩篇33:12)。わたしたちの安全は悔い改めにかかっています。神の戒めを守るときにわたしたちは力を授けられます。

どうか祈ってください。正義のために祈ろうではありませんか。善を擁護する軍勢のために祈ろうではありませんか。どの宗教を信じているか、どこに住んでいるかにかかわりなく、善を求める男女のために祈ろうではありませんか。祖国でのことであれ外国でのことであれ、邪悪に対してひるむことなく立ち上がろうではありませんか。必要であれは生活を改め、すべての人の御父である御方に頼ることによって、天の祝福を受けるにふさわしい者となろうではありませんか。主は言われました。『静まって、わたしこそ神であることを知れ。』(詩篇46:10

現在は危険に囲まれた時代でしょうか。そのとおりです。けれども恐れる必要はありません。心に平安を、家庭に平和を得ることができます。わたしたちは皆、この世にあって善なる影響を及ぼすことができます。」

 

 

 

この記事はもともとDanielle B. Wagnerによって書かれ、ldsliving.comに“President Hinckley on Terrorism and How to Find Peace Despite Attacks, Fear, and Death”の題名で投稿されました。

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