教会の回復

教会の回復

改宗とは神によって生まれ変わる段階のことです。「神によって生まれる」又は「再び生まれる」という表現は特別で個人的な経験を表します。その経験は罪の赦しを得,人生の終わりまで戒めを守った生活をするならば,永遠の命を受け継ぐという確証を得ることです。聖典によると、わたしたちがこの世に「水と血と霊とによって生まれてきた」ように,わたしたちは水と霊とから「再び生まれ」て、キリストの血によって清められなければなりません。(ヨハネ3:5;モーセ6:59)

神によって生まれるとは,生まれながらの人が聖霊を同伴する特権を得ることです。そして、罪を犯すような性質をなくした新たに霊的に生まれた人によって、取って代わられる清めの段階を意味しています。(コロサイ3:9−10;モーサヤ3:19;預言者ジョセフ・スミスの教え,51ページ)わたしたちが再び生まれるとは,霊的に神の息子娘になること,あるいはもっと適切にいうとイエス・キリストの息子・娘になることです。(モーサヤ5:7;27:25)モルモン書の預言者アルマ第1世は,この内面的な変革を「心の中に,この大きな変化」(アルマ5:15)を受けることだと呼んでいます。

(エド・J・ピネガーによる一つの記事からとった内容,モルモニズムの百科事典,1−4巻,ダニエル・H・ラドゥロー編,ニューヨーク:マックミラン,1992年,218ページ)

 

聖典の教えるところ

  • モーセ6:59「背きによって堕落が生じ,その堕落が死をもたらす。あなたがたは水と血と,わたしが造った霊とによってこの世に生まれ,ちりから生けるものとなったので,まことにあなたがたは,水と御霊によって再び天の王国に生まれ,血によって,すなわちわたしの独り子の血によって清くされなければならない。それは,あなたがたがすべての罪から清められ,この世において永遠の命,すなわち不死不滅の栄光を享受するためである。」

わたしたちは永遠の命の祝福を受けるには,神の恵みによって生まれ変わらなければなりません。つまり、わたしたち一人一人は悔い改め主をあらゆる点で受け入れてふさわしい実を結び,主の御もとに戻ることがふさわしいことを証明しなければなりません。

  • モーサヤ5:7「さて,あなたがたが交わした聖約のために,あなたがたはキリストの子と呼ばれ,キリストの息子および娘と呼ばれる。見よ,それは,今日キリストが霊的にあなたがたを子としてもうけられたからである。あなたがたは,キリストの御名を信じて心が改まったと言う。だから,あなたがたはキリストから生まれ,キリストの息子および娘となったのである。」

わたしたちは大いなる変化をしたので,イエス・キリストの息子・娘となります。それはバプテスマを受け,主の名前を自分の身に引き受けることによって実現します。このことに伴ってわたしたちは聖約を交わし,主を覚えていることを約束し,その戒めを守ると約束します。

  • モーサヤ5:2「すると民は皆,声を合わせて叫んだ。『そのとおり,わたしたちは,王がわたしたちに語ってくださった言葉をすべて信じています。また,全能の主の御霊のおかげで,わたしたちは王の言葉が確かで真実であることを知っています。御霊は,わたしたちが悪を行なう性癖をもう二度と持つことなく,絶えず全を行なう望みを持つように,わたしたちの中に,すなわちわたしたちの心の中に大きな変化を生じさせてくださいました。』」

わたしたちが真に御霊によって改宗した時,わたしたちは「大いなる変化」を経験し,わたしたちは違った感じ方をし,行動も変わります。エノス,アルマ,モーサヤの息子たち(モルモン書の登場人物)のように,ただ善をしたいと願うようになります。

  • モロナイ8:25−26「悔い改めの最初の実はバプテスマである。バプテスマは信仰によって行なわれ,戒めを守ることである。そして,戒めを守ることは罪の赦しを生じ,罪の赦しは柔和で心のへりくだった状態を生じ,柔和で心のへりくだった状態であれば聖霊の訪れがある。この慰め主は,希望と完全な愛を人の心に満たされる。そしてこの愛は,熱心に祈ることによって,すべての聖徒が神と共に住む終わりの日が来るまで続くのである。」

わたしたちは自分の中に本当の変化が起こるのに気づくでしょう。わたしたちは御霊を感じ始め,そして生活の中でその実を享受するでしょう。すべてのことにおいて,わたしたちはもっと謙遜で,愛に満ちたものになることができるでしょう。

 

現代の預言者は語る 

「改宗は教会の会員であるという『カードを保有している』,什分の一のレシートを持っている,神殿の推薦状を持っているなどのこと以上のものです。それは,批判する傾向を克服し,内面の弱さを改善しようと絶えず努力し,単に外面のことに終わらないことです。」(ハロルド・B・リー,「聖なる場所に立つ」,ソールトレイク市:デゼレトブック,1974年,355ページ)

日々の生活に対するアイデア

改宗の段階を行なうために覚えてできることをいくつか挙げてみました。:

  1. 真に改宗した人物にふさわしい特質を身につける。
  • バプテスマの聖約を振り返る
  • 主の前に咎のない者となる
  • 霊的に神によって生まれ変わる
  • 最後まで従順で堪え忍ぶ
  • 博愛の心を持つ
  1. 改宗の精神を保つ日々の戦略に従い,教会の中で強くあり続ける
  • 祈ることを忘れない
  • 聖典を研究する
  • 理解を増す
  • 勇気を持って前進する
  • 霊を養い,奉仕活動に従事する
  • 神の王国を築く

パーリー・P・プラットの改宗

以下の「パーリー・P・プラットの改宗」は素晴らしい物語で,改宗するとはどういう意味であるのかを知る大いなる模範です。パーー・P・プラットは教会初期の指導者のひとりです。

「それは朝早く,夜明け頃でしたが,わたしは田舎の方に16キロ歩き,ウエルズさんのところで朝食をとりました。わたしは夕方に説教をすることを提案しました。ウエルズさんは進んでわたしに伴ってくれ,近所の人々を共に訪ね,その予定について知らせました。

わたしたちはハムリンという名の年とった執事のところを訪れました。晩の説教についての予定を聞いて,彼は不思議な本について話し始めました!出版されたばかりの本を彼は所有していたのです。彼が言うには,それはもともと金版か真鍮版に書かれていて,イスラエルの支族から分かれた1支族によって書かれ,ニューヨーク州のパルマイラの近くの若い男性によって発見され,翻訳されたと,またそれに当たっては示現の助けや,天使の訪れがあったとも話してくれました。彼はその書物を熟読させてくれると約束してくれ,もしわたしが訪ねていくならば,翌日彼の家でそれができると約束してくれました。わたしはその書物に不思議な興味を感じました・・・・。次の朝,わたしが彼の家を訪ねた時、初めて「モルモン書」を目にしました。それは驚くべき本です。その記録は,「新世界」の古代の歴史を最も古代にさかのぼって伝えるもので,それによってそこに住んでいた人々の運命を明らかにし,これから来る世界のことについても述べています。その書物には十字架につけられ,復活なさった贖い主の完全な福音が載っています。その本にはヨセフの失われた子孫のことが明らかにされており,それは,神の御手に導かれ,わたしの将来の進路を指示する主な手段になりました。

わたしは興味津々で,その本を開き,その表題紙を読みました。それから,それが発見され,翻訳された過程についての数名の証を読みました。この後で,わたしはその内容を読み進めました。一日中読み,食事をとるのも苦痛で,食欲が全くありませんでした。夜が来ると,寝るのもおっくうで,わたしは眠くなるまで読み続けようと思いました。

読み進む時に,主の御霊がわたしの上にあり,その書物が本当であると知り,理解しました。自分が存在しているのを理解し,知っているように,そのことがはっきりと示されました。わたしは喜びに満たされ,その喜びは,わたしの人生のあらゆる悲しみ,犠牲,苦しみを償ってあまるほどのものであると思われました。私はすぐに,その発見と翻訳に携わった若い男性に会いに行くと決意しました。

それで,ほどなくパルマイラの村を訪れ,ジョセフ・スミスのお宅を探しました。それがその村から3から5キロくらいのところにあるのを見つけました。その日の暮れ近くにその家に向かって行くと,牛を操っている男性に追いつき,その人に「モルモン書」の翻訳者であるジョセフ・スミスについて訪ねました。彼によるとスミス氏は今ペンシルベニアに住んでいるということした。それはおよそ130キロほど離れていました。わたしは彼のお父さんか家族の誰かに会えないかと尋ねました。その人は,その父親は旅行に行っていると説明しました。しかしその家は私の目の前の小さい家だと語りました。そして,その人はジョセフの兄だと言いました。それはハイラム・スミスだったのです。わたしは彼にその本に対する興味を感じていることを告げました。そして,その本についてもっと知りたいのだと語りました。彼はわたしを家に招き入れてくれ,その晩一緒に時間を過ごしました。わたしたちのどちらも眠いとは感じませんでした。その夜の間ずっとといっていいほど話し続け,わたしの真理探究の経験について,またその中で成功したことについて語りました。それと同時に,わたしは自分が欠けていると感じていた点,つまり神権の授与,神の儀式を行うための使徒職の存在などについて語りました。

彼はまたわたしにモルモン書の発見に関するもっと具体的なことについて語りました。その翻訳のこと,末日聖徒の教会の設立,彼の兄弟のジョセフや、そのほかの人たちに与えられた任務,啓示と天使の訪れによって,使徒職や権威が地上に再び回復されたことについて語りました。語られたことの全体を思いめぐらし,わたしはこれらのことが真実であるとはっきり分かりました。そして,自分と世界はバプテスマもなく,神の教えや儀式に与っていないことについて理解しました。そして,世界全体は霊感と啓示がやんでしまって以来このような状態でいたのです。簡単に言って、この時代は新しい神権時代で,預言が成就したり,イスラエルの回復の時であり,また主の再降臨の前に道を備える時です。

復活されたキリスト

復活されたキリスト

朝になってこのふさわしい男性とその家族を去らなければなりませんでした。わたしは48キロの道をその晩の責任を果たすために歩いて行かなければならなかったからです。分かれる時に,彼は親切にもモルモン書を一冊下さいました。わたしはまだそれの熟読を完了していませんでしたので,自分自身の書物を持てることは喜びでした。わたしは何キロか歩いては,休むために足を止め,その本を読み始めました。わたしが喜んだことには,イエス・キリストがその栄光化された復活体で,アメリカ大陸のヨセフの子孫に現れたことを見つけたことです。それは主が復活され,昇天されてから間もなくのことでした。そして,主はまた御自身で,失われた十支族を訪れになり,ご自分の直接の働きかけで,これらの国々において福音が明らかにされ,記録されるようになさったのです。そして,それがなされた国々ついてはユダヤの使徒には全く知られていませんでした。

かくして,これらの記録の内容が明らかにされ,書き留められ,伝えられ,保存され,この時代に神の天使たちによって明らかにされたのです。そして,もちろん,この記録は大いなる忌まわしい教会による腐敗の影響を免れていて,純粋のまま残りました。

この発見はわたしの心を大いに拡げてくれました。そしてわたしは喜びと感謝で満たされました。わたしはこの書物とその内容を,この世のすべての富よりも重んじています。確かに,わたしは自分がその時に得た知識を,ニューヨーク州の西部の繁栄している定住地で、旅の途中目にしたあらゆる美しい農場,家,村や不動産の所有権と交換することを選ばないでしょう。

(パーリー・P・プラット,「パーリー・P・プラットの自伝」,パーレー・P・プラット・ジュニア編,モルモン文学の古典,ソルトレイク:デゼレトブック,1985年,20−22ページ)

この記事はエド・ピネガーとリチャード・J・アレン共著,「わたしたちが知り行なうべきこと」から引用されました。