客殿を横切って、背の高い身なりのよい男性が、接待者側の列を離れ、まっすぐわたしの所へつかつかと歩いて来ました。彼は手を伸ばして、指でわたしのネクタイを触ると、こうほめてくれました。「黄色のネクタイを身につける人は、自信に満ちたビジネスマンです。ごきげんいかがですか?」
トーマス・モンソン長老と会ったのは、この時が初めてではありませんでした。

 

モンソン長老と初めて出会った日

わたしが初めてモンソン長老に会ったのは、わたしがまだ若く、十代の頃です。サンフランシスコからソルトレークまで、一人で飛行機に乗った時でした。どういうわけか、わたしは、ファーストクラスに乗ることになりました。わたしが席につき、くつろいでいると、とても背の高い男性が、満面の笑みで乗り込んできました。わたしは、彼を知っていました。つい最近、モルモン教の十二使徒定員会に召された、トーマス・S・モンソン長老でした。十二使徒は、モルモン教で大きな責任です。

長老は微笑み、申し訳なさそうにわたしのひざをよけて歩き、わたしよりも長老の方が座るにふさわしい席につきました。すぐにシートベルトを締める前に長老は手を差し出し、「こんにちは。トム・モンソン長老といいます。あなたのお名前は?」と聞きました。

わたしは、言葉につまりながら自己紹介し、取るに足らないことを話しました。長老は、わたしの話に耳を傾け、ボーイスカウトに入っているかどうか尋ねました。わたしたちはしばらく、キャンプ、ロープの結び方、スカウトについて他愛のない話をしました。長老はよく笑い、わたしの人生について、もっと尋ねました。間もなくして、着陸の準備のため、座席をもとの位置に戻すよう、客室乗務員のアナウンスがありました。わたしたちは、2時間近く、わたしの話をしていました。長老は、飛行機を降りる前に握手をし、「あなたはいつか素晴らしい宣教師になりますよ。でも、そんなに大急ぎで成長しないでください。」と言いました。そして、長老は去っていきました。

 

モンソン長老の雄々しさ

タバナクル合唱団の近く、南バルコニーに座りながら、わたしは使徒として召されたばかりのモンソン長老に出会った日のことを思い出していました。もう何年も経ち、わたしは、BYUの大学生になっていました。長老は数十年間自分の責任を行ってきていて、総大会で話をしようとしているところでした。長老が話し始めると、わたしの前にいた、わたしとさほど年の違わない若い男性が、重苦しく息をし、体を横にずらし、今度は前後に揺り動かしました。突然彼は座席から飛び上がり、「もう十分だ、モンソン長老。それから...」と叫びました。彼は通路に足を踏み入れ、怒鳴り散らし始めたので、彼がバルコニーの通路を歩きながら何と言ったかは、わたしには理解できませんでした。彼が手すりにたどり着く前に、もしかしたら飛び越えようとしたかもしれませんが、少なくとも二人のセキュリティーガードに押さえつけられました。わたしはこの騒動の間、たじろいだり、話を中断しなかったモンソン長老を見上げました。ガードたちがこの若い男性を抱えると、モンソン長老は、まるでこの騒動に気づかなかったかのように、モンソン・スタイルで話を続けました。ピンが落ちる音も聞こえるタバナクルで、あの叫び声に気づかないはずもありませんが、モンソン長老は動じませんでした。

 

聖霊の導きに忠実だったモンソン長老

わたしは、オーストラリア・ブリスベンで宣教師だった時に、モンソン長老に再会し、あの騒動と飛行機での出来事について、モンソン長老と話しました。わたしは、長老が覚えているふりを上手くしているのではないかと思いましたが、スカウトの話をまた持ち出したので、飛行機での出来事を覚えていたに違いありません。長老、姉妹、夫婦宣教師への説教で、モンソン長老は、太平洋諸島から来たばかりで、そこで、伝道部会長のウォーターズ(水)長老、彼の顧問のフラッド(洪水)長老とレインズ(雨)長老に会い、そこへモンスーン長老(モンソン長老)がやって来たと話しました。わたしたちは、みな笑ったり、微妙な反応をしたりして、長老のユーモアを楽しみました。

誰でも参加できたその晩のファイアサイドで、モンソン長老は、福音の奉仕の応用について、楽しい話と真面目な話を織り交ぜて話しました。わたしはその晩、求道者の女性を連れてきていました。おそらく、これまでになく集中して聞いていたと思います。その女性は、以前他の宣教師たちからレッスンを受けていましたが、すべてのレッスンを受けておらず、バプテスマへの段階へはいまだ進めずにいました。彼女は、教えを聞いたり、モルモン書と聖書をよく読むことは大好きで、そのすべてはとても道理にかなうと思うが、それが真実かどうかがわからないと言いました。わたしにはそれに対する答えがなく、彼女にファイアサイドに出席し、使徒の話を聞くよう勧めました。彼女はわたしたちの隣に座り、一生懸命聞いていました。モンソン長老は、お話を終えるといったん座りましたが、また立ち上がり説教台に戻りました。長老は、わたしたち一人一人と握手をするべきだという印象を受けたので、閉会の賛美歌を歌っている間にチャペルの後ろの扉まで歩いて行くので、皆に驚かないようにと言われました。

閉会のお祈りの後で、多くの人たちが、後ろの扉へとぞろぞろと列を作って行きました。わたしは、群衆の中で皆より背の高い長老が、大きく微笑み、一人一人の手を握ろうと手を伸ばしているのが見えました。わたしたちは近づくにつれ、モンソン長老が「来てくださりありがとうございます...お会いできてうれしいです...来てくださりありがとうございます...」などと言うのが聞こえました。わたしたちの前に、多くの人たちが握手をしていたので、わたしたちの番が来た時に、同じことを言われるものと思っていました。モンソン長老は、わたしの手を握り、「お会いできてうれしいです...」と言うと、動きが止まりました。わたしたちと一緒にいた姉妹を見て、微笑み、手を伸ばし、しばらく彼女の手を握っておられました。すると、モンソン長老は静かに、「姉妹、真実です」と彼女に言いました。一瞬よりももっと長く感じられました。そしてモンソン長老は、他の人たちにあいさつをし、握手をするために戻られました。

求道者の女性は、なんとか人混みから抜け出し、わたしたちは、彼女が屋外テラスのバルコニーの柵の所にいるのを見つけました。彼女は微笑み、うなずいて、証を受けたことを認めると、涙が彼女の頬を流れ落ちました。彼女は、次の週にバプテスマを受けました。

 

使徒であり、一人の人間であるモンソン長老

リックスカレッジの学長クラブのオープンハウスで、妻とわたしがあいさつの列に並び、わたしたちの番を待っていた時のことです。モンソン長老が私たちの方に向かって来る時に、わたしはオーストラリアで30年以上前に起きた、モンソン長老との出来事をエリザベスに話していました。モンソン長老は、わたしのネクタイをほめると、わたしは、前回長老に会ったときのことを話しました。モンソン長老が太平洋諸島でウォーターズ長老に会った話をすると、長老はその話を締めくくりました。モンソン長老は、一言一句違わず、ブリスベンで語ったときと同じ語り口で話しました。わたしの妻は、わたしが話しを作り上げたのではないことを知って、驚いたと思います。

わたしたちが、その話をしてクスクス笑うと、わたしは急いで、長老が大いに助けたあの姉妹の話をしました。長老の表情から、笑顔は去り、深い厳粛な面持ちで、わたしがその話を分かち合ったこと、そして今やっと、あの時なぜ握手をするべきだという気持ちを感じたのか知ることができ、感謝してくれました。長老は、再びわたしに感謝し、エリザベスとわたしのために幸運を願ってくれました。

その後何年もモンソン長老に会う機会はありませんでしたが、わたしたちが、ユタ州ミッドウェイにある長老の家の前を通りかかったとき、長老に手を振ったことがあります。モンソン長老は、皆がよく土曜日の午後にするように、ジーンズをはき、格子縞のシャツを着て、庭掃除をしていました。その姿は大管長としてではなく、一人の人として、以前よく人々が彼を、トミー・モンソンと呼んでいた時の彼そのものでした。 

この記事はもともとマーク・J・ストッダードによって書かれ、LDSマグに投稿されたものです。