カンファレンスセンターの説教台でお話する,預言者トーマス・S・モンソン大管長

最近,フィントンさんがクリスチャン・パイアットの「偽預言者の5つの特徴」というブログを掲載しました。預言者ではない者を知ることも有益ですが,預言者を本物だと識別する方法や,その人が預言者であると知る方法を分かっていればもっと有益です。末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の信者としてパイアット氏のリストは,とても興味深いものでした。モルモン教は,神が再び預言者を回復して下さったと信じていることを,また一人の預言者がわたしたちの教会を導いているのを知っているかもしれません。

 

預言者とは,どのような人を指すのか

パイアットの記事を見る前に,モルモン教が預言者をどのように見ているのか簡単に検討してみましょう。まず,モルモン教は末日聖徒イエス・キリスト教会の会員に対するニックネームです。一般によく言われているように,モルモン書はわたしたちの聖書ではありません。モルモン書と聖書は両方とも聖典であると信じています。両方の聖典とも,古代の預言者の記録が書かれていて,預言者について多くの時間をかけて学んでいます。

モルモン教の公式ウェブサイトであるLDS.orgは,預言者をこのように定義しています。

古代の預言者のように,現代の預言者もイエス・キリストのことを証し,その福音を教えます。彼らは神の意志と真の特徴を明らかにします。彼らは大胆ではっきりと話し,罪をいさめ,その結果を警告します。時には,彼らはわたしたちのためになる将来の出来事についての予言をすることもあります。

真の預言者は,テレビに出て死者の霊を呼び起こしたり運勢を占ったりしません。非公式な場でもしません。彼らの役割は救い主とその福音について証し,神の意志を学び,それを教会や神の子どもたちに伝えます。それは世間から騒がれるような役職ではありません。預言者の役割とは教会を導くことだからです。その役割は地上に生命が始まった時から存在していた重要な役割です。

 

預言者は何をするか

預言者の重要性とその役割を理解するために,わたしたちは聖書に目を向けることができます。「まことに主なる神は,そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは,何事をもなされない。」(アモス3:7)この聖句からわたしたちは預言者の存在が欠かせないことが分かります。神がその教会を導くために,真理を受け,会員にそれを教える預言者が必要です。この聖句は,もし預言者がいなければ,神の教会は地上に存在し得ないと理解するのを助けてくれます。預言者は神に代わって語ります。彼が語る時,それはあたかも神が話しているようなものです。しかし,このことが当てはまるのは,彼が預言者として語っているときに限られます。例えば,もし預言者が,ブリガム・ヤング大学が今週フットボールの試合で勝ちますと言ったとしても,それは預言者として語っているのではありません。本当の預言者はフットボールの試合について預言したりしません。何故なら,そのことは神の教会に何の影響も及ぼしません。それは単なる彼個人の意見なのです。

聖書が示しているのは,預言者が普通の人で,特別な責任を与えられているということです。彼らはあらゆる経歴を持ち,やがて預言者に召されました。彼らは神学について学んだり,訓練も受けたりすることはありません。彼らが持っているのは,信仰と神が自分に命じることは何でも進んで行なおうという気持ちです。彼らは,その召しを受けた後でも完全ではありませんでした。彼らはただの人ですが,偉大な信仰を持った人です。

末日聖徒イエス・キリスト教会の預言者になる前に,エズラ・タフト・ベンソンは預言者の役割について語りました。特に彼は,回復の預言者であるジョセフ・スミスについて語りました。ベンソン大管長は次のように書いています。

「真の預言者は,神から託されたメッセージを宣言するという明確な特徴を持っています。真の預言者は,神から託されたメッセージに対して言い訳をしたり,あざけりや迫害につながる反動を恐れたりはしません。」

(エズラ・タフト・ベンソン,「ジョセフ・スミス:わたしたちの世代に対する預言者」,末日聖徒イエス・キリスト教会の総大会,1981年10月)

 

預言者と人気のある文化

興味深いことにパイアット氏はまた,真の預言者の言うことは真実ではあるが,いつも皆からもてはやされるわけではないと語りました。これはよく言われることで,教会員ではないほかの人たちには時々理解しがたいことです。モルモン教は考え方を時代に合わせるべきで,そうすればもっと世の中にうまく馴染めると言われます。彼らはわたしたちに、変わりつつある道徳的な標準に合わせてほしいと思っています。もし何かが流行していれば,モルモン教は真実を曲げて一般大衆の教えに合わせるはずだと言うのです。それでは,もしその大衆が明日考えを変えれば,わたしたちもそれに従わなければなりません。

このような考えの問題点は,預言者を必要としないということです。それはつまり,神を必要としないのです。もし何もかもが投票,映画スター,雑誌,あるいはほかの人気を測るものによって決められるとしたら,誰が神を必要とするのでしょうか。神の真理は永遠の原則に基づいているものであって,人類によって定められる,絶えず変わる標準に基づくものではないのです。

何世代にもわたって,わたしたちは人気投票によって道徳を決めるのはあまり成功しないことを学んできました。離婚率が高まり,それが普通になりつつあります。ますます多くの子供たちが里親制度に出されたり人工中絶されたりするのは,親が経済的にゆとりがないか,子どもに対する愛がないからです。人々はますます不幸になっています。「新しい」道徳観によっては,求めているものを得ることができないのです。

シェリー・L・デューは以前にモルモン教の女性指導者として責任を果たし,今はデゼレト・ブックの最高経営責任者です。彼女は次のように述べています。

「数年前,わたしは国際政策フォーラムに参加しました。そこでは議論は売春からポルノグラフィー,そして人工中絶などへと変わりました。司会者がわたしにコメントを求めた時、わたしはそれらすべてに共通するテーマがあると思いました。すなわち,それぞれの論争の的になっている問題には道徳的な背景があることでした。そこで,わたしの両親について語りました。彼らは信仰が篤い人たちで,わたしに結婚や純潔が何であるかを教え,その教えが,いかにわたしの生活を守ってくれたかについて語りました。その後で,ほかの女性たちが次々に同じことを語ったのです。『あなたは幸運です。わたしは純潔などというものがあることでさえ知りませんでした。そのことをずっと前に教えてもらっていれば、わたしの生活は違ったものになっていたでしょう。』わたしは道徳的に清い生活をしている青少年や若い成人を何万人も知っています。彼らは幸せで,生産的で,婚約しようと一生懸命に努力しています。道徳的に清いことは時代遅れではありません。確かに,容易なことではありません。しかし清くあるということは,道徳的に堕落するよりは易しい選択であると主張したいと思います。貞節な男女は,予想外の妊娠におびえたり,性病にかかったりすることを心配する必要がありません。自分が不貞であったことを告白しなければならず,苦悶するということはありません。一夜だけを過ごして,虚しくなるというようなことはありません。不貞が原因で,自分の家族を失う苦しみを経験する必要はありません。自分の思慮のなさを悔いて悪夢にうなされることもありません。C.S.ルイスの言葉を引用します。「徳,それがたとえ努力のレベルであっても,光をもたらし,放縦は霧をもたらす。」(シェリー・L・デュー,「徳の力」,チャーチニュース,8月9日)

 

預言者は完全でなければならないか?

パイアット氏は,預言者は偽りの完全さを身につけているべきではないと感じていました。彼は,多くの人は預言者が完全であったら見習いたくなくなってしまうと言いました。聖書には預言者たちの不完全さについて述べられています。彼らが魅惑的であることはまれです。モーセはよく,どもりました。(あるいは彼はヘブル人の方言を使ってうまく意思伝達ができませんでした。)神は彼に代弁者を備えました。それにもかかわらず,彼は偉大な預言者として模範を示しました。 

人々は、指導者たちが完全ではないという理由でモルモニズムを攻撃します。彼らは決して完全である振りをしません。パイアット氏も理解していたかもしれませんが,預言者は人間的である方が実際には従い易いのです。わたしたちは自分と似たような人の方が,身近な存在として受け入れ易いのです。モルモン教はイエス・キリストだけが完全な方であると教えています。

現在のモルモン教の預言者,トーマス・S・モンソンは,パイアット氏がその記事を書くために動機づけられることになった偽りの預言者について議論をする中で,不平を漏らす対象となったような魅惑的なタイプの人ではありません。彼は老人で,明らかに整形手術を施すようなことは全然したことがないでしょう。彼のスーツは控えめで,派手ではありません。彼は身繕いの良い人として知られています。彼が話す物語は,しばしば自分が不完全であることについてです。例えば,聖霊の促しを無視してしまったことや,台所では才能がないことについてなどです。最近の大会で彼は,自分と友だちが8歳の時に家族の規則を破ってマッチで遊び,火事を起こして地域の人が消すために助けなければならないことになってしまった経験について話しました。彼はわたしたちが自分を完全であるとしてみることを期待していません。彼が確かに神の戒めに従うことにおいて感銘を与えるようなレベルに達しているとはいえ,彼はわたしたちが,自分がまだ生身の人間であり,したがって不完全であることを理解して欲しいと感じています。真の予言者とは,自分が不完全で,まだ成長の過程にあり,わたしたちすべてと同じであると認めるだけ謙遜な人です。私にとって,そのことが彼をはるかに良い模範にしていると思います。

パイアットは権威と希望について面白いポイントを持ち出しています。わたしはその点について完全に彼と意見をともにしているわけではありませんが,モルモンは預言者が適当な権威をもっているべきだと信じています。パイアットは預言者がどのように権威を得るべきだという点については提案をしていませんが,モルモンはそれがあります。聖書を学ぶときに,わたしたちは,自分がなりたいと決心して預言者になった人はいないと理解しています。実際,多くの預言者は召しを受けたときに,神に自分はふさわしくないと主張しています。しかし,神は彼らを召し,ご自分の業を行なう権威を授けられました。モルモンは自分たちの預言者が神に与えられた権威のもとで仕えていることを信じています。

さて,多くの人は,わたしたちがどのようにしてモンソン大管長が本当に預言者であると知っているのかと尋ねます。わたしたちは聖書の中の人々が分かったとまさしく同じ方法で知ります。その召しが来たときに彼らは立ち会いませんでしたし,神は彼らに現れて彼らに告げたのでもありません。一人一人が自分で神の預言者が誰であるのか知らなければなりません。ヤコブ1:5にあるように,わたしたち一人一人が,何が真実であるのか祈る能力と責任があります。ひとたび,わたしたちが神からの確認を受けると,わたしたちは預言者に従う個人的な責任を受けます。

 

どのようなことにもモルモンは預言者に従うのか?

人々は,モルモンが預言者に従うと聞いて,彼らはどのような戒めにも盲目的に従うことを,どのように些細なことや危険なことにも従う姿を心に描きます。モルモンにとっての現実は次のようです。まず,私が前に述べたように,預言者は神に関することについてのことを教えますから,多くのことは彼の役割から外れます。次に,それも前に述べたように,わたしたち(一般会員)はどんな事でも神に確認する能力があることです。

わたしが教会について入るかどうか調べていたときに,わたしはその当時の預言者スペンサー・W・キンボールが本当の預言者であるのか祈りました。預言者について親しみがなかったので,それがどういう結果になるのかよくわかりませんでした。ですからわたしは必ずしも教義が何であり、意見がどうであるのかについて確信していたわけではありませんでした。わたしは時々自分の予想との違いに苦しむこともありました。そういうことが起こったときには,わたしは疑問に思っている教義についてとりわけ祈りました。結局わたしは神が,いつも預言者が正しいことを確認して下さり,わたしはそのようにすることをあまり頻繁にする必要がなくなりました。たまにわたしは特定のことについて神と語り合い,今日に至ってもそうです。わたしはそのようなことをすることに当惑しません。神がそのようにするようわたしに望んでおられるのです。真の預言者は自分に従うものたちが,自分の教えを神に確認することを恐れません。

神から確認を受けているので,盲目的に従っているのではないのです。熱いストーブをひとつひとつ触ってそれが熱くなっているのを確認するのが危険であると分かるように,わたしには預言者が語る一つ一つのことを祈って確認する必要はもはやないのです。それは経験と試してみることから学ぶことで,盲目的な追従ではありません。

 

希望

パイアットは預言者が希望を与えるという課題に対して問題を感じていたようです。約束にはいつも自分が何かをすることが要求されるということです。わたしにはそれがちょっと変に感じられます。結局,何かを変えずにどうやって自分の生活を改善できるでしょうか。貧困から逃れたければ,より良い教育を受け,技術を磨き,良い雇用につながるようなことをし始めるでしょう。愛を希望する人は,愛されるような人になるようにするでしょう。永遠の命を得たければ,神の御もとで永遠に住めるのにふさわしい人になるように努力するでしょう。

聖書を通じて,神の約束は常にそれ受けるために何かすることを要求すると書かれています。わたしたちはもし什分の一を納めるならば,神は天の窓を開けてわたしたちに祝福を注いで下さいます。モルモンの預言者は希望を与えます。しかし,約束された祝福を受けるためには賢明な選択をしなければなりません。

希望についての力強い説教の中で,モルモンの預言者の第2顧問であるディーター・F・ウークトドルフ管長は希望を宗教的な観点から定義しています。

「希望は知識ではなく,むしろ主がわたしたちに対する約束を果たされるという安定した信頼です。それはもし神の律法にかなった生活をして,神の預言者の言葉に従えば,わたしたちはやがて望んでいる祝福を受けるという確信です。わたしたちの祈りはやがて答えられると信じ,期待することです。それは自信と楽観と熱意と忍耐に現れます。福音の言葉では,この希望は確かで揺らぐことがなく活発なものです。古代の預言者は『しっかりした希望』とか『生き生きとした希望』について話しています。それは良い働きによって神をたたえる希望です。希望には喜びと幸せが伴います。希望を持つと,わたしたちは『忍耐を持ち,艱難を耐え』ます。」(ディーター・F・ウークトドルフ管長,「希望の無限の力」,末日聖徒イエス・キリスト教会総大会,2008年10月)

まとめ

記事のタイトル:真の予言者の特徴

著者:テリー・リン・ビトナー

要旨:クリスチャン・パイアットによる真の予言者に対する偽預言者の概要

テリー・リン・ビトナーについて 彼女はホームスクーリングについての2冊の本の著者であり,たくさんの記事を書いています。それらの記事の数本はLDSの雑誌に載りました。彼女の夫はリンカーン・ビトナーで,3人の成人した子供と2人の孫娘がいます。テリーは17歳の時にモルモンになり,1992年よりオンラインで自分の信仰について伝えています。LatterdaySaintWoman.comで1人のLDSの女性としてのブログを書いていますので,彼女の記事をそこで見ることができます。