心も体も疲れきったヒーバー・J・グラント大管長は、重い病のために苦しみ横たわる末息子を思い、心を痛めていました。大管長は自身の望みと夢のすべてを彼にかけていたので、彼を失うことを恐れていました。しかし驚くべき夢が壊れかけた大管長の心を慰め、これから訪れる苦痛に彼を備えたのです。

この夢についてのお話は、1977年12月号の『聖徒の道』に掲載されている「霊界は私たちの次の住まいである」で、グラント大管長自身の言葉で読むことができます。

驚くべき夢

「わたしに与えられたのは息子2人だけでした。1人は5歳のときに、もう1人は7歳のときに亡くなりました。後で亡くなった息子の死因は股関節病でした。この子が大きくなって福音を国の内外に広め、わたしの誇りとなってくれることを大いに期待していました。彼が亡くなる1時間ほど前に、わたしは夢を見ました。夢の中で、すでに亡くなった妻が息子を迎えに来たのです。彼女は一人の使いを伴っており、わたしが眠っている間に息子を連れて行こうと、この使いに話していました。夢の中でわたしは目を覚まし、息子を抱きかかえて連れて行かれないようにしました。そして息子を連れて行こうとする使いの手に渡さずに済んだのです。しかしその時、わたしはつまずいて息子の上に倒れ込んでしまいました。

わたしが息子の患部に倒れかかったため、彼は激しく泣き出しました。わたしはその声を聞いて気が狂いそうになりました。息子の苦しむ声を聞いていられず、耐えられなくなって立ち上がり、家を飛び出しました。家を出ると、ジョセフ・E・テイラー兄弟に会い、これまでのことを話しました。

すると彼は言いました。『ヒーバー、もしわたしの妻が子供を迎えに来たとしたら、わたしならどうすると思う?わたしは子供を離すまいと戦ったりはしないよ。妻が子供を連れて行くのを止めないだろう。この世で忠実であった母親は死んで来世に行ったら、子供が味わう苦痛や苦悩があらかじめ分かるのではないだろうか。障害者として一生を送れるかどうか、またその子を現世の苦しみから解き放つ方が賢明かどうかを知っているのではないだろうか。グラント兄弟、あの子の母親は彼に命を与えるために死の谷陰におりて行ったんだよ。そのことを考えると、あの子を連れて行くかそのままにしておくかを決める権利は、彼女にあるのではないだろうか。』

そこでわたし答えました。『あなたのおっしゃる通りです、テイラー兄弟。もし妻がもう一度来たら、反対せずにあの子を渡すことにします。』

このように答えたところで、その夜病気の息子の看病を手伝いに来ていた弟のB・F・グラントに起こされました。弟は私を部屋に呼び、息子が死にかけていることを告げました。わたしは居間へ行って椅子に腰掛けました。わたしと現在の妻の間に椅子が一脚ありました。わたしはすでに亡くなった息子の母親がその椅子に座っているのを感じました。わたしは現在の妻に向かって『何か変わった感じがしないかい?』と聞きました。彼女は『ええ、彼のお母さんがわたしたちの間に座っていて、彼を連れて行こうとしているようです。』と答えました。

わたしは生まれつき感じやすい人間だと考えています。わたしは一人っ子なので、母親の愛を一身に受けて成長しました。わたしは自然に感情を表し、友人が成功したときには喜びの涙を流し、彼らに不幸があると悲しみの涙を流しました。しかし幼い息子の死の床にあっても、わたしは涙を流さずに息子を見守っていました。妻も弟もわたしも、このときの快い安らかな天の力を感じました。これはわたしの人生で最も大いなる経験でした。」(デール・C・モーリッツェン「霊界は私たちの次の住まいである」『聖徒の道』1977年12月号, 599-604)

 

この記事は LDS Living によって書かれ、ldsliving.com に “President Grant Recounts Remarkable Dream of His Wife Visiting from the Spirit World’ の題名で掲載されました。

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