たとえ理由が分からなくても、何かすべきだと感じたことがありますか。例えば、昨日のことですが、わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会(時々、友だちや他の宗派の人から誤って「モルモン教会」と呼ばれる)が所有する神殿の近くを散歩していました。そして、一人の若い女性がベンチに座っていて、とても重要なことについて考えているように見えました(イエス・キリスト教会の会員が、「モルモン」としても知られていますが、祈りの答えを受けるために、神殿でよくすること)。最初に彼女のところを通り過ぎたとき、わたしは彼女に、彼女が内面も外見も美しいと褒めました。すると、彼女は微笑んで、ありがとうと言いました。それからすぐに深い瞑想に戻って行きました。わたしが2度目に通り過ぎたとき、声(音声のものではなく、「感じ」として)が「行って、彼女に『そのことができる』と言いなさい!」 と促しました。そう感じたとき、わたしはそのメッセージを打ち消そうとして心の中で言いました。「もう彼女に褒め言葉を送ったし、わたしは邪魔になるだけだ。」「彼女はわたしが変な人で、気にさわるだろう。などなど。」するともう一つの気持が来ました。「ごらんなさい。あなたはわたしの意志を探し求めているでしょう。わたしの言ったことをするのですか、それともしないのですか。」そこで、わたしは恥ずかしさをこらえながら、向きを変え、ぎこちない20歩を進め、言いました。「また、邪魔してごめんなさいね。わたしが伝えたいことは『どんなことでもあなたの考えていることは、できますよ!』という事です。」彼女が少し涙ぐんで見上げたとき、真剣に「ありがとう」と言ってくれました。わたしは頑張ってみてよかったと思いました。
「キリストを経験する:あなたの救い主への個人的な旅」という題の本は、ランダール・J・ブラウンによって、シーダー・フォート出版から2009年に出版されましたが、その37−38ページで、ブラウンはこのような気持に耳を傾ける個人的な経験について述べ、それがいかに彼と彼の家族を「霊的な荒野」に連れてきたかということについて語っています。
荒野での旅を経験する
わたしが救い主に全面的に依存していることを理解するにつれ、主と常に意識的に接触することの必要性に気づくようになりました。頻繁に主と相談をするプロセスに従事するようになりました。主と語り合うことが日常の出来事になり、それから、紙とペンを手に取って、耳を澄ませ、心や頭に浮かんで来る気持ち、考え、印象を記録します。しばらくして、自分の感覚が繊細さを増し、主の言葉を認識できる力を身につけました。
2004年の8月、自分の部屋で主と相談していたとき、主の言葉がはっきりわたしの精神に入ってきて、家族とユタに引っ越すように導かれました。主の言葉は耳に聞こえるようなものではありませんでしたが、それははっきり認識できました。そしてそれが非常に力強くやって来たので、わたしの心に深く浸透しました。急いで妻のいる部屋に行き、そのとき自分が経験したことを話しました。妻は直ちに同じ霊的な確認を衝撃的に受け、涙を流しました。彼女は即座にそれが主から来ていることを知りました。
その経験は予期しないものでしたが、すばらしいものでした。わたしたちは喜びに満たされました。その経験の後、わたしは雲の上を歩いているような心地がしました。わたしは救い主との間に何か非常に親密な経験をしたと知りました。このようにして主を体験できた特権を感じました。主はわたしに語りかけて下さったのです!主はわたしをご存知で、わたしのことに思いをかけて下さり、そのように親密でかつ力強い方法でわたしの必要に応えて下さったのです。
その経験の後、わたしは時々、肉欲的な思い(人の考えや論理)に見舞われ、わたしが受けた啓示を疑いかけたこともありました。わたしは何度も神殿に出かけ、その度に受けた指示は正しいという確認を受けました。主がなぜわたしたちが支度をして引っ越すように求められたのか全く理由が分かりませんでした。しかし、わたしたちは間もなく自分たちが荒野への旅をするように召されているのだと分かりました。それはわたしの信仰を今までなかったような方法で挑戦し、テストする旅でした。それは艱難の旅で、大いなる霊的、感情的、経済的な試練でした。
わたしたちは御霊によって導かれましたが、自分たちがすべきことを予め知らされることはありませんでした。しかし、しばらくすると主の約束が確かなものであることが分かるようになりました。主が、わたしたちの限界を試し、艱難に遭わせていることが分かるようになりました。そして主がこのことをなさるのはわたしたちが主を知るようになるためで、このような個人的な経験を通して、わたしたちが完全に主に依存していることを知るようになるのです。家族の荒野での経験では、キリストのことを他のどのような方法でも知ることができないような方法で知るようになりました。天からのマナによって支えられながら、日々神の力の介在を経験しました。
わたしたちの恵みに対する障害物を取り除けるために、主はわたしたちが霊的なバビロンを出て、霊的な旅に主の荒れ野の学校を通して導かれます。この荒野の旅はわたしたちが自分たちの生活と意志を、新たに主に明け渡し、主の救済の力を信じながら主と共に荷を担うことを要求されます。(ブレイン・ヨーガソン、「絶えず主求む」、253ページ)
ブラウンのように、わたしたちがキリストと祈りの中で相談するとき、キリストから特別な指示を受けることができます。その指示に従うとき、キリストに近づきます。そして結果的に家族や愛する人々にもっと近づくことができるのです。わたしはこのことが真実であると知っています。わたしはそのことを自分自身の生活の中で経験してきました。わたしが若い女性のもとに戻っていくことを躊躇したように、難しいかもしれませんが、キリストの指示に従うことが正しいことなのです。
キリストが今日も個人的な啓示の形で人と語られることを証します。また、主が多くの時代にそうだったように、預言者と語られ、今その預言者はモルモンの預言者であるトーマス・S・モンソンであることを証します。彼は全人類のために啓示を受けられます。その啓示によって人は神に近づき、世の策略から守られるのです。モルモンの宣教師といっしょに会話をする(アカウントを作ると宣教師のお近くの連絡先を知ることができます)ことで啓示について学ぶようにお勧めします。宣教師は神から召されていてあなたの人生の大きな疑問について考える助けができ、またイエス・キリストに従うあなたの旅路であなたを助けることができます。
この掲載はアシュリーによって書かれました。アシュリー・ベルは22歳の妻、母、BYUの卒業生、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員です。アシュリーは走ること、料理、園芸、読書が好きで、何よりも家族や友だちと過ごすのが好きです。