SNSを開くとかわいい、かっこいいと思える魅力的な人がたくさんいます。自分もそうなりたい!そんな憧れを抱くことは自然なことです。しかし、その憧れが自分を苦しめたり誰かを責めることになっていませんか?外見を批判したり外見で人の価値を決めることを「ルッキズム」と言います。
キリストの教えは、あなたをルッキズムの苦しみから解放してくれて、きっと救ってくれるでしょう。
わたしたちは神様のかたちに造られた
多様性を大切にする時代になりつつあるのに、外見による差別や偏見が増えています。SNSの普及もこの原因の一つだと言われています。
外見を批判された人だけに限らず、批判する方も自己評価が低下し、いじめ、孤立、格差、排除、そして最悪なことに自殺にも繋がってしまうことがあり、社会問題となっています。
そもそも、外見の美しさは時代、土地、文化、人種によって変わります。例えば、平安時代の日本での美男美女は今の基準とは真逆でしょう。一重の目にしもぶくれの顔。これが美だったんです。また、現代でも海外では細い女性よりもふっくらとした女性がモテる地域があります。外見の基準はすべての人で同じではないということです。
聖書には、ルッキズムを見直す聖句があります。
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
創世記1章27節
しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけをみてはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る。
サムエル記上16章7節
覚えていてほしいのは、神様はわたしたちを神様のかたちに作り、わたしたちの心を見ているということです。
TPOと外見の度合い
では、営業職の人が無精ひげだったりしても大丈夫でしょうか?また女性はメイクをしないとダメなのでしょうか?大切なのはその場所で求められている基準があるということです。接客業や保育現場でも、衛生面や安全性に気を付けられるなら、髪色やアクセサリーがOKな職場もあります。
もちろん、清潔感は気を使った方がいいポイントになることもありますね。何より自分の健康のためにも大切です。
そしてTPOに合わせることは、相手や状況に合わせたり、ほかの人に配慮したり尊重している心を表すことができます。
また服装は信仰を示すこともできるんです。日曜日の礼拝だけでなく、普段の生活の服装で自分が何を信じていてどのように生きるかを表すことができます。
わたしたちの外見ではなく、内面が大切だという理由は、モルモン書の1つの聖句が教えてくれています。
さて見よ、教会の同胞よ、わたしはあなたがたに尋ねる。あなたがたは霊的に神から生まれているか。あなたがたの顔に神の面影を受けているか。あなたがたは心の中に、この大きな変化を経験したか。
アルマ書5章14節
わたしたちが神様に信仰を持って、神様を頼って謙遜に生きていると、わたしたちの顔に神様の面影を見ることができます。
ルッキズムは誰かを傷つけ悲しめますが、わたしたちの内側にある良い心や、神様が望む思いが体の外に現われ、それで誰かを幸せにしたり安心させることができることも確かです。
これを知っていると、あなたを苦しめている外見の悩みから解放されるかもしれません。
外見に依存しない
外見に関係することですが、筋トレやメイクは自分を元気付けたり理想の姿に近づけてくれます。何より努力の過程や結果から達成感を得ることができますよね。ですから外見を気にすることがすべて悪いこととは言いません。
外見を気にするあまり、自分の将来や他人に強すぎる理想や偏った価値観を求めてしまうと問題になるんです。また人を攻撃するために外見を利用することも問題ですね。
ルッキズムは体があるから起きる問題ですが、そもそもわたしたちのこの体は神様からの祝福の1つです。
「自分の肉体を愛し慈しむことを難しくさせるようにサタンがわたしたちを仕向ける一つの理由は恐らく、サタンが肉体を持たないからです。サタンは救いの計画を拒んで天から追放されたために、現世の大きな喜びも大きな苦しみも経験することが決してありません。
…愛されるにふさわしくなるために何の欠点もない美しさを手に入れなければならないと考えるならば、ものの見方のバランスが崩れ、サタンはわたしたちの心に劣等感と無力感、自己嫌悪を吹き込むことができるようになります。」
リアホナ2019年8月号「神にかたどって造られた」
キリストは外見を気にしない
キリストはすべての人を愛しています。わたしたちの外見なんて気にしていません。
誰も近寄ろうとしなかった、らい病患者にも手を差し伸べられました。また、社会的な評価がなく人に見向きもされない人さえも気にかけています。
パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。
マタイによる福音書9章10-13節
末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者の1人であるオークス管長は、外見に悩む若い男性からの手紙に、イザヤ書53章1-2節を引用して次のように答えました。
「キリストご自身の生涯においても、肉体的な美しさは重要ではありませんでした。そのため、わたしたちもそれをあまり重要視すべきではありません。
あなたは私に来世でどのように見えるかを気にしているかどうか尋ねましたが、わたしはこの比較的に重要ではない問題について考えることはありません。わたしはイエス・キリストの証にふさわしい生き方をすることに力を注いでいます。あなたにも同じことをお勧めします。」
多くのクリスチャンは、困った時や悩んだ時に「イエス様だったらどうするだろう?」と考えることがあります。キリストの模範に従ってみるのはいかがでしょう?
具体的には次の2つのことを提案します。
- ほかの人に対しても自分に対しても、外見ではなく内面や行動で評価する
- 「すべての人を神の子としてみる」視点を持つ
今まで意識していなかったのなら、最初は難しいかもしれません。しかし、いつもこのことを思い出すようにすることで、このような考え方、見方を身につけることができます。
ルッキズムから解放されるための4ステップ
上記の2つの提案を身につけるのに役立つのが、こちらの4つのステップです。できることから始めるといいでしょう。でもこの方法は、必ずあなたをルッキズムから解放してくれます。神様のような視点で自分やほかの人を見ることができるようになります。
- 感謝する
自分の体や誰かの体についてネガティブにとらわれているなら、体があるおかげでできるすべてのことについて考えてみましょう。
いつも人に感謝したり、自分と周りの人の良い部分を見つけるようにしましょう。
- 思いやる
いちばん大切な二つの戒めとは、神を愛することと、自分を愛するように隣人を愛することです。(マタイによる福音書22章37-39節参照)自分を愛して、周りの人を愛して、思いやりの心を持つことで、外見で自分を苦しめず、ほかの人を批判する気持ちがなくなります。
- 健康に気を配る
外見を気にしないようにしても、やっぱり病気になるような体系だと危険です。周りも心配になります。適度な運動、バランスのよい食事、適切な休息を取り入れて、あなたの心と身体の健康に気を配りましょう。
- 神殿に参入する
末日聖徒は定期的に神殿に入るように求められています。自分のために神殿で儀式を受けると、霊的、肉体的な祝福が約束されます。
亡くなった人に代わってこの儀式を受けると、自分が受けた祝福を思い出すことができます。
まとめ
外面はパッと目に入ってくるものなので、やはりどうしても気になってしまうと思います。しかし、瞬時に気になった外見も、紹介した4つのステップを思い出すことで、だんだんと重要ではなくなってきます。今も自分の外見に悩んで苦しんでいる人がいます。そんな人を救うのは、わたしたち1人1人の決意と努力なのです。どうぞ、より良い社会のためにキリストの模範に従い、キリストの教えについて学んでみてください。