この記事は、ティモシー・ヒューイットによって書かれたものです。
1820年のある春の日、ジョセフ・スミスという14歳の少年が祈るために森へ入って行きました。彼は様々な宗派の教えに混乱し、どの宗派に加入すべきか知りたかったのです。ジョセフは、その時初めて声に出して祈ったと言っています。彼は、少しの導きと方向性が欲しかっただけなのです。彼の祈りは答えられ、彼は、父なる神とイエス・キリストにまみえました。この単純な真理の探求と奇跡的な示現が末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の設立へとつながるのです。
祈る、ということ
誰も、若きジョセフ・スミスでさえも、そのようなことを予想することはできませんでした。神が存在するという証拠、しるしを求めて祈りました。ジョセフへの神の現れと天の助けは特例でした。
祈りの答えについて話す前に、祈りの方法について先に話すことが重要だと思います。「赤毛のアン」で、アンはこう表現しました。「もし(彼女)が本当に祈りたければ、・・・一人で広い草原か、深い森に行き、空を見上げて、・・・そうすれば、祈りを感じるわ。」祈りの神聖な性質を理解し、それを表す場所を見つけることは、すばらしいことです。しかし、彼女に足りないところは、祈りを感じるだけ、というところです。神はわたしたちの心の祈りをお聞きになりますが、声に出して祈ることの大切さも忘れてはいけません。
神は、わたしたちの父です。ですから、わたしたちからの連絡が欲しいのです。わたしたちの感情や心の静かな望みと同じくらい、考えや心配事、希望、感謝を聞きたいのです。声を出して祈ることは、他にはない方法でわたしたちと天父を結びます。もしダニエルが、心の中の祈りで十分だと思っていたら、ライオンの穴に入ることはなかったでしょう。
聖霊によって祈りの答えを受ける
人々が多種多様なのと同じくらい様々な方法で、神の指示である祈りの答えは来ます。神はご自分の子どもたちをご存知で、どのようにその祈りに答えるかをご存知です。モルモン教の宣教師は、人々にイエス・キリストの教えが真実であることを自分自身で知ることができるということを教えています。彼らは次の聖句をよく引用します。
「また、この記録を受けるとき、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、あなたがたに勧めたい。もしキリストを信じながら、誠心誠意問うならば、神はこれが真実であることを、聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。そして聖霊の力によって、あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。」(モロナイ10:4-5)
聖霊は、私たちの心と思いに告げます。それは、喜び(使徒行伝13:52)や平安(ローマ14:17)、希望(ローマ15:13)を伴って、表現されてきました。これらは、聖霊に関する聖書の記述ですが、神の返答をこれらに限ってしまうのは、賢いことではありません。天父との個人的な関係を築いていくに従い、人は天とのコミュニケーションに伴う感情に、より慣れるようになります。主は大きな雷鳴や稲妻を起こすこともできますが、普段はわたしたちの心にささやきかけ、何が正しいかを自分自身の内側に感じることができるようにされます。
祈りを捧げ、その答えを受けるということは、モルモン教の教義の中心をなします。常に祈るようにと、指導者たちは定期的に勧告しています。教会の長であり、会員から預言者と呼ばれるトーマス・S・モンソン大管長はこう言いました。
「そうした喜びの多くは、わたしたちが祈りを通じて天の御父と交わることができ、その祈りは聞かれ、こたえられると実感したときにもたらされることを証します。それは恐らく、わたしたちが期待するような方法や場面で祈りがこたえられるのではないが、祈りは必ずこたえられる、しかもわたしたちを完全に知り、愛してくださっていて、わたしたちの幸福を願っておられる御父がこたえてくださるという実感です。」
神は、現にわたしたちの天の父です。神は、実際に祈りを聞き、答えられます。神は、その子どもたちに進むべき道を知ってほしいのです。見知らぬ道で、迷子になってほしくはないのです。わたしたちが信仰を持って主を尋ね求めるとき、主に近づくことができる方法を備えてくださっています。
ティモシィー・ヒューイットは、現在ピッツバーグに住み、フリーの作家、編集者として働いています。彼の研究分野は、言語で、特に古代ギリシャ語と英語です。