数年前から、自動車に関連する事故のニュースをよく見ます。
原形をとどめないほどにへこんだ車体の映像や、命が奪われたという報道は、ほとんど毎日運転をするわたしにとって他人事とは思えず、運転をすることがとても不安になったこともありました。
加害者にならないために、巻き込まれないために自分に何ができるかを改めて考えてみました。

事前準備をする

実際に運転を始める前の準備は大切です。自動車学校に通っていた時の学科授業で、運転を始める前に目的地までの道のりを確認する、と習いました。特に初めて運転をする道は予想できないことがあります。道を確認しておくことで、曲がる場所を間違えるなどのハプニングが起きても、冷静でいられることが多いそうです。また、体調を整えることも運転の準備につながるそうです。体調が悪いと判断能力や反射能力が低下し、事故が起きやすくなるようです。体調が優れないときは運転をしない、という決断も必要だと学びました。道順を確認して体調を整えることは、運転前に終えておくべきことです。

時間に余裕を持つ

時間に余裕を持って出発する。これは運転に限らず、出勤や待ち合わせにも当てはまり、実践している方も多いでしょう。時間に余裕を持つことは、運転時に心にゆとりを与えます。心にゆとりがあることで、落ち着いた運転ができます。アクセルやブレーキを踏むタイミングを間違えたりせず、右折左折の角度などが急にならずまた大きくなりすぎず、安全運転になります。そして、予想していなかった渋滞や工事で回り道をとっても、目的地に遅刻する可能性が低くなります。わたしは、予定到着時刻より10分早めを目標にして家を出ます。これにより、運転中のイライラも減るようになりました。

イライラを抑える訓練

自動車学校のわたしの担当教官は、「イライラは運転の敵だ」と言いました。イライラは荒い運転や悪い運転マナーにつながるそうです。イライラの元は、睡眠不足などの事前準備不足や時間の余裕の無さから生まれますが、普段からイライラしない訓練を行うことで、運転時にも応用することができます。イライラのコントロールの訓練方法として、日本で近年注目されているアンガーマネジメントというものがあります(アンガーマネジメント)。最近社会問題となっているあおり運転の多くは、ドライバーのイライラが引き金になることが多いようです。自分では自覚していなくても、イライラが運転に表れて、ほかの車をあおっている可能性があるのです。アンガーマネジメントの具体的な例は、怒りを感じたらまず6秒我慢する、自分の許容範囲を広げていくなどがあります。わたし自身は子育てが良いトーニングになり、「これはここまでイライラするような出来事なのだろうか」と考えるようになってから、イライラする機会が減りました。実際の運転中に訓練を行うのではなく、運転以外の生活の中で訓練していくことで、運転中のイライラを少なくし、危険な運転を避けられるかもしれません。

マナーを守る

運転マナーを意識して事故を防ぐことも、あおり運転などの危険運転を受ける可能性を低くすることができるようです。運転マナーの例として、曲がるときは早めにウインカーを出すということがあります。急に曲がったり車線変更をしたりすると、周りのドライバーに不快感を与えてしまうことがあるようです。また、水たまりを通る時は歩行者に水をかけないようにスピードを落とす、高速道路の追い越し車線を走行し続けない、というものもあります。たくさんのマナーがありますが、その基本となるものは相手への配慮です。運転するときに大切な相手への配慮は、「お先にどうぞ」の心だと聞いたことがあります。テレビで紹介されていたあおり運転回避の方法にも、道の端に車を停めて、「お先にどうぞ」と先に行かせる、とありました。この心構えを持ちながら運転するためには、先に挙げた3つのポイントはとても重要になるでしょう。運転するときに、「お先にどうぞ」といつも思えるような心でいたら、トラブルに巻き込まれることも、自分がトラブルの原因になることも少なくなるのではないかと思います。

祈る

わたしが日々運転するときに大切にしていることは、祈りです。自動車学校で学んだことを気を付けて、報道などで見た車の事件・事故から学んでも、やはり不安は残ります。ちょっとしたミスが大惨事となってしまうかもしれないのが車の運転です。そのために、車に乗ってエンジンをかける前に、「安全に運転できるように、無事に目的地まで行けるように」と、いつも祈っています。祈ってから運転することで、守られていると感じます。モルモン書には祈りについてこのような聖句があります。「あなたの必要とするあらゆる助けを神に叫び求めなさい。(中略)あなたのすべての行いについて主と相談しなさい。そうすれば、主はあなたのためになる支持を与えて下さる。」(アルマ37章36-37節)運転前のほんの数十秒ですが、わたしにとっては落ち着いてハンドルを握るためのとても貴重な時間です。

多くの人々の生活に当たり前のようにある車は、利便性と共に危険性も兼ね備えており、運転に伴う問題は、ドライバーだけではなく他者も巻き込む可能性が十分にあります。移動手段となるか凶器となるかは、運転する人に懸かってくるのではないでしょうか。そのことをすべてのドライバーが今一度考えて、より良い、安心できる社会になるようにと望んでいます。