鬱病の人との接し方はとても難しいものです。苦しんでいる愛する人がいると、その人を助けたいという気持ちになります。しかし、助けたいが為に言ったことすべてが、まるで、何も聞こえない耳に落ちていったり、かえって状況を悪化させてしまうように思えると途方に暮れてしまうでしょう。わたしが初めてそのような感情を経験したのは、およそ一年前に仲の良い友人が、特徴をあまり見せない深い鬱病にかかったときでした。わたしは同情したり、励ましたり、あなたの気持ちはわかる、と言ってみたり、助言をしたり、なんでもいいから友人の鬱を少しでも軽くすることができるように努力しました。途方にくれ、全く使えない自分にうんざりしました。
そしてあることを理解しました。大抵重度のわたし自身の鬱を通して、これまで何年も、頻繁に周りの人に同じ思いをさせてきたのだ、ということです。家族、友人、教師や教会の指導者と数えきれないくらいの人が、どうにかわたしを助けようといろいろなことをわたしに言いましたが、彼らは大抵、己の無力さを感じさせられただけでした。鬱にかかると世界をきちんと見ることができません。鬱病を持つ人と携わるときに、『通じない』と感じるのは、現実の見方が全くちがう人と携わろうとしているからなのです。
あなたの鬱に苦しむ愛する人がわたしとよく似ているかはわかりませんが、彼らは少しばかりわたしに似たところがあるだろうと思っています。そしてわたしにとって助けとなることが、彼らの助けにもなるように願っています。鬱病や、その他の精神病を患うみなさんの感情、状況、または必要性を一般論として代弁するつもりは全くありません。人それぞれ、反応は違うでしょうが、手始めとなるいくつかのことを紹介します。
1.「あなたの状況はそんなに悪くないよ」と言うのを避けましょう
かわりに「あなたの問題を、わたしがもっとよく理解できたらいいのに」と言ってみましょう。
絶対に、感情の苦痛をちっぽけなものとしないでください。彼らが単に自信がなく、他の人の注意を引こうとしているだけだ、という可能性はあるでしょうか?もちろんあります。しかし、彼らが感情を誇張していなかったり、理解している環境に関して嘘をついてはいないことの可能性もある(し、ほぼその可能性が高い)のです。彼らが経験していることを軽蔑することは、苦しみから救い出してくれるかもしれない人や経験から彼らを更に遠ざけてしまうでしょう。
2.「祝福に目を向けましょう」と言うのを避けましょう
かわりに「土曜日に行ったお祭り(もしくは、旅行、博物館、遊園地など)で一番気に入ったのはなに?」と言ってみましょう。
まわりから、わたしにどんな祝福があるか考えてみるよう言われるのに疲れました。5年前に既にその言葉に聞き飽きているのです。「幸せな心」は「感謝する心」というのは知っていますし、人生の良いことを認識するのは鬱に苦しむ人の「人生の見方」の量りのバランスを保つのに役立ちます。それを上手に覚えさせるコツは質問を手作りにすることです。誰かに祝福について考えるよう言われると、わたしの耳に聞こえてくるのはこんな言葉です。「もうあなたと話すのは疲れたから、とりあえず聞こえの良いことを言っておくわ。」と。その代わりに、実際に起きていることについての話に自然に参加させられると、人生には良いことがあって、それを見極め、実在すると考えることができるようになります。
3. 「散歩に行ったら」というのを避けましょう
かわりに「仕事が終わったら公園にカモにえさをあげに行くんだけど、ちょうど通り道だから、迎えに行っていい?」と言ってみましょう。
散歩にいくことは鬱に苦しむ人の気晴らしになるでしょうか?運動とビタミンDは彼らのためになるでしょうか?おそらくそうでしょうが、彼らにそんなことは関係ありません。それ以外に彼らが気が乗らないのは、庭仕事や絵を描くこと、ペットショップで子犬を見ることなどです。それらは心の健康な人が楽しむことであって、鬱に苦しむ人はたいていそのような活動への興味を無くしているのです。でも、たしかに彼らは家の外へ出るべきです。なので、彼らが家から出やすいようにしてあげましょう。彼らを迎えに行って、楽しむとわかっていることをしましょう。でも彼らの為にわざわざ何かしてあげている、といった印象を与えないようにしましょう。どの道その人抜きでもするつもりだったようなふりをすれば、彼らも参加しやすくなります。
4. 「箴言3章5、6節を読んでみて」と言うのを避けましょう
かわりに「この間なんだかとても落ち込んでいたときに、読んだ聖句がすごく助けになったんだ。その話してもいい?」と言ってみましょう。
わたしをいい気持ちにさせてくれるはずの聖句を読書課題として出されるのは本当に好きではありません。たいてい知っている聖句ですから。でも鬱に苦しむ人が知らないのは、他の人の経験です。経験を分かち合うことで、彼らの心に必要なことを御霊が証する機会になります。この原則は、霊を鼓舞するどのようなもの(引用、ドキュメンタリー、本、芸術作品)にも当てはまります。宗教関連ではない文章でも大丈夫です。
5. 「いつか全部状況は良くなるから」と言うのを避けましょう
かわりに「わたしに起きたことについて話しても良い?(希望を失ったり絶望の期間から抜け出し、安堵が得られたときのこと)」と聞いてみましょう。
わたしはまわりから、「状況は良くなるから」と言われることに心を閉ざすようになりました(状況は全く良くなっていないから)。これは鬱というよりわたしの生活の環境についての問題でしょうが、それでも鬱との関係性はあると思います。しかし、他の人が希望をなくしたり絶望の中から抜け出した経験について聞くのは嫌いではないのです。少しの『証拠』がわたしが前進する為に必要なものになるかもしれないのです。
6. 「わたしに何かできることがあるか考えさせて」というのを避けてください
かわりに「なんでもいいから、どうやったらあなたを助けることができるか教えて。」と言ってみましょう。
頭がおかしくなってしまったと感じているときは、助けを求めにくいものです。「冷蔵庫を取りにいくのにあなたのトラック貸してくれない?」といった単純なお願いではないのです。それよりも「自分でも何がなんだかよくわからないけどとにかくわたしの変なところを治すの手伝ってくれない?」といったようなものです。何が必要なのか自分でもよく理解していないので、助けを求めるのは気まずく感じます。ただ自分は大丈夫ではないということだけがわかっているのです。鬱に苦しむ人が助けを求めるときに、あなたはいらっとしないことや、迷惑だと感じていなく、本当に助けたいと思っていることを彼らに理解させてあげることは、彼らにとって大きな利益となります。具体的にどんなことを通して手助けができるのか伝えるとより良いでしょう。もう一度言いますが、鬱に苦しむ人は、自分では何がおかしいのか、どうやって治すのかわからないこともあるのです。
7. 「奉仕をするべき」と言うのを避けてください
かわりに「統計学のクラスで苦戦しているんだけど、あなた数学得意よね?何問か解くの手伝ってくれない?」と言ってみましょう。
これは「散歩に行ったら。」と似ていますが、頻繁に使えることから特別に別のカテゴリーにしました。他の人を助けることは、鬱に苦しむ人にとって大変良い影響となります。でも彼らはそう気づきにくいので、奉仕をする動機を見つけるのも困難です。彼らの能力に対するあなたの自信を伝えたり、すぐにできる簡単な奉仕の方法を与えることで、彼らの鬱の思考回路から彼らを引きずり出すことができます。
8. 「祈ったほうがいいよ」というのを避けてください
かわりに「一緒にお祈りしてくれる?」と言ってみましょう。
そりゃあ祈ったほうがいいでしょう。彼らにもそんなことはわかっていますが、神様から遠くはなれてしまった、もしくは捨てられたと感じているのです。彼らの祈りは答えられないと感じているのかもしれません。鬱に苦しむ人を『より霊的に』しようと強制しても、努力は無駄に終わるでしょう。でもかわりにあなたにできることは、暖かく彼らを霊的な状況へ招くことです。彼らに一緒に祈ってくれるようお願いする時、彼らが、祈りと助けが必要なのはあなたであるとはっきりわかるようにしましょう。彼らにお祈りをしてもらえるか頼み、もし嫌だと言われたらあなたが喜んでお祈りをするようにしてください。
9. そしてお願いですから絶対に「笑って!」と言わないでください
かわりに「アイス食べに行きたい?」と言ってみましょう。
「笑って!」と命令されることを喜ぶ人はいません。誰かに『笑って』ということは「悩みは黙ってひとりで解決してよね。」と言っているようなものです。そのかわりに、鬱に苦しむ人にアイスが欲しいか聞いてみましょう。タダのアイスなら誰でも喜んでくれるでしょうから。
鬱に苦しむ人との意思疎通が難しいのは、彼らの現実の見方がずれているからです。あなたにとって当たり前のことも、彼らにとってはおとぎ話のように感じるかもしれないのです。そんなのいらだたしいことも、あなたには理解できないでしょうとわかっています。鬱をわずらったことがあったとしても、症状は人それぞれです。
でも、たとえ『通じない』と感じても、どうか諦めないでください。鬱に苦しむ人は、きっと回復して、その時あなたも彼らも、あなたがそばにいたことに感謝する日が来るかもしれません。
鬱に苦しむ人とのコミュニケーションでいい結果を得た人へ、どんなことがうまくいきましたか?どんな改善点がありますか?もしくは、あなた自身が鬱に苦しんでいるという場合は、周りの人が、あなた自身や、あなたの状況、そしてどうやって手助けをできるかについてもうちょっと理解してくれたらなぁと思うのはどんなことですか?
この記事はもともとJuliet Millerによって書かれ、ldsliving.comに “Nine Things You Shouldn’t Say to a Depressed Loved One (And What to Say Instead) ”の題名で投稿されました。
日本語©2016 LDS Living, A Division of Deseret Book Company | Englsih ©2016 LDS Living, A Division of Deseret Book Company
鬱病とはとて敏感な物で、決して簡単なものではありません、私自身も早くからもうつ病になり、完全に克服したものではありませんが、随分と前よりは良くなっております、この記事を読んで、同意しました。
また、当時、鬱病になってになっていた時に、主に送られ、助けてくれた姉妹を思い出し感謝の気持ちがあふれるばかりです。
コメントありがとうございます!辛い経験をされましたね。わたしに周りにも鬱で苦しんでいる人たちがいます。この接し方が多くの人の目に触れ、みんなが小さな心がけをしたら、鬱の人たちはだいぶ楽になるんではないでしょうか?鬱だったり、他の病気やいろいろな試練がありますが、いつも主が見守り、必要な助けを送ってくださることにわたしも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。